名前
名前は、親友だった。
“さーつき、今日もデータまとめ?”
“うん、ごめんね。雑用とか、全部名前に任せちゃって…”
“ううん、それはいいけど…さつきこそ、大丈夫?データも大事だけど、さつきの身体の方が大事なんだからね?”
明るくて優しくて、私は、名前が大好きだった。でも。
“…さつき、ごめんね”
“私頑張るから、だから…泣かないで”
キセキの皆の才能が開花して、チームプレーが消えていき、テツくんは部活を退部した。学校にまで来なくなってしまった彼の痛みに胸を痛め、何も出来ずに、ただただバラバラになっていく皆を見ていた私に、名前は泣かないで、といつも言ってくれた。泣きたいのは、名前だって同じはずなのに。名前は、私の前では泣かなかった。
そんな彼女が、泣いていたのを見たのは、あの日名前が事故にある前日。名前は、誰もいない体育館で静かに泣いていた。
『おはようございます』
合宿2日目。目を覚まして身支度を整えて食堂に行くと、笑顔の名前が迎えてくれた。
「今日も頑張って下さいね」と笑って言った後、何かに気づいた名前は食堂の入り口の方へ小走りした。
『おはよう、緑間くん』
「…おはようなのだよ」
『昨日の夜は、読書の邪魔してごめんね。よく眠れた?』
敬語を抜いてミドリんと話す名前。
2人の会話を聞いていると、まるで、あの頃に戻ったみたい。
ぼんやりと、羨望を含めながは2人を見ていると、不意に名前と目が合った。
『おはようございます!相田さんと、桃井さんですよね?』
桃井さん。
彼女の口からは、あまり聞きなれない呼び方だった。
「…うん、そうだよ」
『男の子たちの中にお2人だけ女性だと、不便もあるかもしれません。気軽に声をかけて下さいね』
にこやかで親しみやすい笑み。でも、どことなく他人行儀。
「ありがとう」とリコさんが返すのを聞きながら、名前の笑顔をぼんやり見ていると、チラリとリコさんが私を見た。
「…ねえ名前ちゃん、もし良かったら私たちのこと名前で呼んでくれない?」
『え?』
「数少ない女の子同士なんだし」
「ね?」と同意を求めてきたリコさん。
それに慌てて首を縦に動かすと、少し考えるような素振りを見せた後、名前が緩く微笑んだ。
『じゃあ、リコさんと、さつきちゃんで』
「っ、さつき!」
『っえ?』
「…さ、さつきって、呼んでもらえないかな?」
つい、言ってしまった。
反射で動くなんて、これじゃあ大ちゃんと同じだ。
後悔しながら、伺うように名前を見ると、不思議そうにキョトンと目を丸くした彼女は、クスクスと楽しそうに笑った。あ、この笑い方、知ってる。
『ふふ、じゃあ、“さつき”で』
「っ……け、敬語も、いらないから、ね?」
『うん、分かった』
嫌な気なんて全く見せず、笑って了承してくれる名前。嬉しいのに、悲しい。
なんとも言えない気持ちになって、鼻の奥がツンっとしたとき、「名前ちゃん、」とここの管理人であるおばあさん、河野さんに呼ばれて名前はそちらへ。気づかれる前に目尻に浮かんだものを拭うと、リコさんの手がそっと背中を撫でた。
「…私、やっぱり、思い出して欲しいんです。
自分勝手な我が儘だって分かってます。でも、」
それでも、私は、あの頃の思い出を、忘れて欲しくなんてない。堪えきれずに頬を滑り落ちる涙が、床へと落ちていく。
テツ君、赤司くん、私は、また笑いたいよ。あの頃みたいに、皆で笑い合いたいよ。
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