回想
“真太郎、”
心地の良い声が鼓膜を揺らす。ああ、そういえば、アイツはこんな声だった。
“なに読んでるの?”
“本だ”
“…それは見れば分かるよ”
“普通の小説だ”
“面白い?”
“まだ途中なのだよ。判断するには早い”
“ふーん、そっか。じゃあ、”
面白かったら、それ、次読ませてね。
「……っ…」
「あれ?真ちゃんお目覚め?まだ着いてねえよ?」
イヤホンを耳から外しながら、首を傾げて覗き込んできたのは高尾だった。そうだ、今は合宿に向かうバスの中だった。
随分と久しぶりにアイツの夢を見た、と感慨に耽っていると、それに目敏く気づいた高尾がニヤニヤと口角をあげる。
「なになに?なんか嬉しそうじゃん?」
「…嬉しそう?そう、見えるのか?」
「え?…まあ、普段の仏頂面に比べれば…」
「そうか」
嬉しい、というよりも、懐かしい、という気持ちの方が強かったせいか、高尾の指摘はやけに新鮮に聞こえた。でも、そうなのかもしれない。彼女の夢を見ると、あの頃の記憶が鮮明に思い出される。
“真太郎”ともう1年程聞いていないあの声が、俺は嫌いではなかった。
ふっとつい笑みを零すと、目を丸くした高尾が身を乗り出して食いついてきた。面倒なやつだ。
「え、なになに?なんか夢でも見てたわけ??」
「…だったらなんだ?」
「マジか!え?どんな夢?好きな子の夢とか?」
「くだらん。アイツはそんなものではないのだよ」
好きだの、なんだの、そんなものではなかった。
あの頃の俺たちは、列記とした友人だった。
それを、失くしたのは、他でもない自分の…いや、俺達の責任だ。
「アイツって誰?」とここぞとばかりに食い下がる高尾に、わざとらしくため息をついてみたけれど、全く引き下がる気はないらしい。
仕方なく「友人だ」と答えれば、それでも不満そうに唇を尖らせられた。
「友達って、ただの友達じゃないっしょ?あ、もしかしてキセキの誰かとか?あの美人マネちゃん?」
「違う。確かに、帝光時代のマネージャーの1人ではあるが、桃井ではない」
「え、帝光中って他にもマネージャーいたの?」
キョトンとした顔で尋ねてくる高尾。この質問を受ける初めてではない。中学の頃から、何度か聞かれてきた。
確かに桃井は、情報収集のスペシャリストで、その腕はあの赤司からもお墨付きを受けていたが、そんな桃井の影に隠れながらも、俺達を支えてくれたマネージャーもいた。それが。
「…苗字名前。帝光バスケ部1軍マネージャーで、俺の、友人だった」
「…だった?」
怪訝そうに寄せられる眉。
だった、と言ったのは、それが事実であるから。
俺と名前は、あの日、中学3年のある秋の日以来、もう会っていない。
“真太郎、変わったね…”
“…バイバイ”
そうして別れた翌日だった。名前が、事故に合ったと聞いたのは。
「真ちゃん?」どことなく心配そうにかけられた声に、ハッとして意識を戻せば、さっきまでの調子は何処へ行ったのか、高尾が不安げに眉を下げている。「なんでないのだよ」と返して、再び目を閉じれば、もう二度と戻っては来ないあの頃の夢を見るのだった。
“うわ!…なんだ黒子かあ、吃驚した”
“今日も居残り練習頑張って偉いね”
“1軍入り、おめでとう”
懐かしい夢を見た。僕が帝光でバスケをした時、同じくバスケ部でマネージャーをした彼女の夢だ。
彼女の夢を見たのは、今日がキセキの彼らとの合同合宿だからかもしれない。普段無表情だと言われる顔の筋肉を思わず緩めて小さく微笑むと、それに気づいたのか、隣に座る火神くんが不思議そうに首を傾げた。
「?なんだよ?」
「…いえ、今朝、懐かしい夢を見たもので…それを思い出していました」
「は?夢?どんな?」
「…帝光時代にいた、マネージャーさんの夢です」
「あー、桐皇の」
納得したように頷いた火神くん。やはり、キセキの世代のマネージャー、というと、桃井さんのイメージが強いらしい。
「桃井さんじゃないですよ」と苦笑いで返すと、「え?違うの!?」と何故か監督が食いついてきた。聞いてたんですね。
「はい。桃井さんも優秀なマネージャーでしたが…もう一人、1軍のマネージャーがいたんです」
「初めて知ったわ…」
「どんな子?可愛い?」
驚愕、という言葉が似合いそうな顔をする監督。その後ろの席から小金井さんが興味津々と言った様子で尋ねてきた。
小金井さんの問に、記憶の中の彼女を辿ると、破顔して笑う姿が浮かんできた。そういえば、誰かが彼女を向日葵のようだと例えていた気がする。
「可愛らしい人でしたよ」と答えると、おお!と目を輝かせたのは何も小金井さんだけではない。男子高校生なんて、そんなものだろう。
ただ、隣の火神くんだけは、難しそうに眉根を寄せていた。
「でしたって、なんだよ?」
「…きみ、時々ムカつくくらい鋭いですね」
「喧嘩売ってんのか?」
「売りませんし買いませんよ。喧嘩なんてそんな無価値なもの」
「…で?なんで過去形なんだよ?」
火神くんからぶつけられる純粋な疑問。
それのせいで、さっきまで綺麗に笑っていた記憶の彼女が、寂しげな顔になってしまった。
“…ごめんね、黒子”
泣きそうな顔で、けど泣かずにそう言った彼女は、苗字さんの唇は震えていた。
そんな顔するくらいなら、もういっそ泣いてしまえばいいのに。そう思ってはいても口に出さなかったのは、当時の自分が、弱かったせい。自分の事ばかりに囚われて、彼女の事を見ていなかったせいだろう。我ながら情けない。
バスケ部を退部して逃げてしまった自分と、最後まで、全員でまた笑える日を信じていた彼女とでは、比べることさえ申し訳ない。
「…今は、連絡をとっていないので、」
「?仲悪かったのか?」
「…いえ、良かったと思います。苗字さんは優しくて気さくな方だったので、あの気難しい代表の緑間くんとも仲良くしていましたし」
「へえ、緑間と。じゃあなんで?連絡すりゃいいんじゃん。お前ら仲直り?みたいなもんしたんだろ?」
「…そうですね。出来ることならまっさきに彼女に伝えたいところですが…連絡、取れなくなってしまったんです」
正確には、取れなくされた。だろう。
パチパチと数回瞬きをした後、眉を下げた火神くんは、「そうなのか」と残念そうに口を曲げた。
連絡を取れなくなったのは、自分たちのせい。
あの日、あの時、ごめんねと言って去っていく背中を引き止めることもせずに見送ってしまった。
もし、あの時引き止めていたら…何か、変わっていたのだろうか。今更だと分かっていても、後悔せずにいられない。
「(…苗字さん、あなたは、今どこにいるんでしょうか)」
もし、もう一度会うことができたなら。
そう望んでしまうのは、いけないことだろうか。
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