HQ総合病院麻酔科医9
『おーエラいエラい。ちゃんといい子に待ってたね』
「つか、動けねえんすけど」
『まあまあ、ほら行くよ。車椅子に乗った乗った』
「…リハビリセンターだったら行っても無駄っすよ。俺、リハビリなんてする気ないっすから」
『リハビリセンターじゃないから。とりあえず、付いてきてみてよ』
嫌そうに顔を歪めながら、渋々車椅子に身を移してくれた照島くん。なんだかんだいい子だなあ。バレないように口元を緩めていると、「行かないんすか?」照島くんが唇を尖らせた。
それじゃあ、行きますか。
車椅子の押手を掴んで歩き出す。今から行く場所で、照島くんはどんな顔をするだろうか。
「…ここは…」
「あー!名前先生だ!!」
「ホントだ!!先生だ!!」
エレベーターに乗って目的の階で降りてすぐ、病院では珍しい明る気な声が聞こえてきた。手を振って応えてあげると、眩しいくらいの笑顔を浮かべたまま走り寄ってきてくれた。
「先生スゲエ久しぶり!」
『そうだね。ここ最近ちょっと忙しかったからね』
「こっちの兄ちゃんは??先生の恋人??」
『残念。この人は先生の患者さんです』
「なーんだ。つまんねえの」
ブーブー文句を溢す2人にケラケラ笑っていると、「あ!!」廊下の角を曲がって現れた日向がこちらを指さしていた。もしかして。
日向から視線を下げると、わざとらしく口笛を吹いた2人に苦笑いが浮かんできた。
「お前ら!!今日は検診あるから大人しくって言っただろ!!」
「えーだってさー」
「大人しくなんて暇だしな?」
「な?」
「とにかく!病室に戻るぞ!!」
「「えー」」
「いいから、ほら!!」
『またね、2人共。日向先生も』
「あっ、は、はいっ!あ、ありがとうございます!」
『あはは、うん。じゃあね』
顔を真っ赤にしてペコペコ頭を下げて、唇を尖らせる2人の背中を押す日向。言っちゃなんだが、こうやった見ると兄弟のようだ。3人の姿が、日向がやって来た角へ消えるまで見送っていると、不思議そうな顔をした照島くんと目があった。
『ここは小児科。子供たちが居たって可笑しくないでしょ?』
「…そこじゃなくて、なんで俺をここに連れてきたんすか?」
怪訝そうに眉根を寄せて見上げて来る彼に、ソッと目を細める。なんで、かあ。
視線を上げて、3人が消えた廊下にまた目をやると、忙しなく動く看護師か1人その角を曲がった。
『…さっきの、男の子のうちの1人、君のことを指差しながら私の恋人か聞いてきた方の子は…心臓が悪いの』
「っ…心臓って…」
『臓器移植、心臓を移植すれば治るんだけど…ドナーはそう簡単には見つからない』
「…それじゃあ、アイツは…」
『でも、あの子は、自分の命を諦めてなんていないわ』
「!」
『この前、院内学級で言ってた。「将来は、サッカー選手になるんだ」って』
「…サッカー選手って…でも…」
『子供って凄いよね。あんなに小さい体に、私たちなんかよりずっと大きい夢を持ってる』
子供の力は偉大だと、東峰がよく言っていた。
もう一度照島くんに目を向けると、どこか気まずそうに車椅子にのる自分の足を見つめていた。
目尻を下げて微笑んでから、車椅子の押手を握り直す。「行こうか」と声をかけて、車椅子を押し始めた。
『はい、到着。ここはさっき言った院内学級…翼学級ね』
「…少ないっすね」
『生徒自体はそんなに少なくないんだけど、調子が良くないとこれない子もいるし、1日授業受けさせるわけじゃないしね』
「へー…」
『この授業は、小学校低学年の子達の授業だね』
窓越しに聞こえる先生の声を耳にしながら、チラリと照島くんに目をやると、真剣な目をした彼が子供たちの姿を捕らえていた。
『…照島くん、あなたはどうしてサッカー選手になったの?』
「え?どうしてって……サッカーが上手かったからで…」
『じゃあ、どうしてサッカーを始めたの?』
「…それは……ガキの頃、テレビでたまたま見た試合でスゲエドリブルする選手みて、それで、面白そうだなって思って…」
『それだよ、照島くん』
「は?」
ニッと笑って人差し指をたてると、キョトンと目を丸くした彼がこちらを見上げた。
『人が何かを始める時、誰だって最初からそれを好きなはずなんてない。みんな、ちょっとした興味から何かを始めようとする』
「…それがなんだって言うんすか?」
『照島くんは、もうサッカーはできないと思う。でも、これから先、新しいことを始めようとすれば、いくらでも始められる。それは、サッカー以上のものではないかもしれない。でも、もしかすると、サッカーとはまた別の何かをあなたは得られるかもしれないわ』
「…」
『“サッカーができない自分に価値なんてない”って君が自分を諦めてどうするの。さっきの子たちやこの教室にいる皆をみて。君よりもずっとずっと小さな体で小さな手で、あの子たちは自分の未来を掴もうとしている』
「カッコイイでしょ?」そう笑いかけると、膝の上で握る拳に力が入りすぎて、大きく震えているのが見えた。
きっと彼自身分かっているのだ。リハビリを拒むなんて馬鹿なことをしていると。それでも、彼は自分を許せないのだろう。どんなに良いことをしたからといって、大切なサッカーを出来なくなった自分を。
膝を折って、片膝をつく。真っ直ぐに目線を合わせると、黒い瞳の奥に何かが光った気がした。
「…先生、俺、サッカー好きだったんだ」
『うん』
「だから、サッカー出来なくなったって知った時、スゲエ後悔したよ。何やってんだって。けど、そうやって後悔して、立ち止まってるのってマジにかっこ悪いのな」
『…そうだね』
「…まだ、次にやりたいこととか分かんねえけど、でも…こんな小せえガキ共に負けられねえし、だから……リハビリ、ぐらいは、しようと、思う」
途切れ途切れだけど、それでもハッキリと言ったくれた照島くんに、顔の筋肉が柔らかく緩むのが分かった。ここに連れてきたのは間違いじゃなかったかな。
照島くんが浮かべた穏やかな笑顔を見て、二口の驚く顔が目に浮かぶのだった。
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