HQ総合病院麻酔科医8
入院病棟の個室を利用するのは、金持ちか有名人、もしくは何か特別な理由のある人がほとんど。照島くんに関しては、Jリーガーということで、有名人と称して間違いないだろう。
ナースステーションで聞いた部屋番号の前で立ち止まり、ネームプレートを確認する。お目当ての人物の名前があった所で、部屋をノックすると、「へいへーい、どうぞー」中から返事が返って来たのを聞いてから、部屋のドアをスライドされた。
「…あれ?」
『こんにちは、照島さん』
「あらら?もしかして俺のファンの人とか?…ってんなわけねえか。白衣着てるし」
『ファンじゃなくてごめんなさい。麻酔科の苗字です』
「へー、先生みたいな綺麗な女医さんもいるんすねー」
『それはどうも』
軽口を叩きながら彼のベッドに歩み寄る。あ、確かに何処かで見た顔だ。思い出せないけど、多分テレビとか雑誌で。
ついマジマジと見てしまったからか、照島くんが可笑しそうにケラケラと笑い始めた。
「なになにー?俺に惚れちゃった??」
『まさか。見たことある顔だなって思っただけよ』
「ははっ。つか、苗字センセイそっちの喋り方の方でいいよ。多分俺のが年下っぽいし」
どうやら堅苦しいのはお気に召さないらしい。「それじゃあお言葉に甘えて」と言って個室特有の大きな窓から外を見ると、小児科の日向が子供たちと共に駆け回って遊んでいた。元気だなあ。
なんだか微笑ましく小さく笑みを溢していると、「それで?」感がいいのか、まるでこちらが何を言いたいのか分かっているように照島くんが首を傾げた。
「苗字先生は、なんで俺に会いにきたわけ?」
『有名なJリーガーさんに会いたいと思っちゃダメ?』
「ははっ、俺ここに入院して結構たってるぜ?ファンならもっと早く来てるっしょ?」
やっぱり感がいいのだろうか、それとも、こうして来るのを待っていたのか。本題に入ることを促すように笑みを深めた彼に、降参するように両手をあげてみせると、照島くんが面白そうに眉を吊り上げた。回りくどいのもお嫌いらしい。
仕方ないというように眉を竦めると、お望みどおり本題に入ってあげることにした。
『リハビリ、拒んでるらしいわね?』
「…ははっ、やっぱそれか。この前来た茶髪の兄ちゃんも同じようなこと言ってきたよ」
ああ、二口か。アイツも会いに来てたんだな。
「悔しそうな顔して帰ってったけど」「どうやって追い返したの?」「いや、俺の担当医が連れてった」
茂庭の心労を減らそうとするはずが、どうやらから廻ってしまったらしい。そのときの様子を想像してケラケラ笑っていると、いい加減痺れを切らしたのか、照島くんがほんの少し眉を寄せた。
『ああ、ごめんごめん』
「…で?先生も同じこと言ってきたってことは、俺をリハビリセンターに連れてくわけ?」
『まさか。リハビリは自分の意思でするからこそ意味があるのよ?無理やりさせても意味はないし』
「は…?じゃあ何しに来たんすか?」
『何しに、ねえ……強いて言えば、自分の未来が受け入れられないJリーガーくんを慰めに、かな?』
「…」
挑発するように口元に笑みを浮かべると、照島くんの目が冷たさを持って細められた。ああ、やっぱり怒らしたな。
怒鳴り声の1つでも降ってくるだろうと、待ってみたけれど、照島くんは怒鳴る所か、何かを諦めたように視線を落として笑ってませた。
「…ふーん…どうやって慰めてくれるわけ?」
『…怒らないのね。わざわざ挑発してあげたのに』
「そういう類の台詞は聞き飽きた。うちのクラブの奴らにも散々罵られたし。今更先生に言われた所で、怒る気にもなんないっすよ」
はっ、と鼻で笑ってみせたけれど、ベッドのシーツを握る手が震えているのが分かる。強がりもいい所だ。
ジッと視線を下げたままの彼に、わざとらしくため息をついてみせると、照島くんの肩が大きく揺れた。
『かっこ悪いわね』
「…は?」
『そんな風に諦めて、立ち止まって、先が見えないことが怖くて動こうとしないなんて、ただの弱虫じゃない』
「っんだと!!!」
先ほどとは打って変わって怒りを顕にした照島くん。なんだ、怒れるじゃないか。ちゃんと自分のために怒れるじゃない。
向けられる鋭い視線に、内心笑っていると、照島くんが悔しそうに奥歯を噛んだ。
「あんたに、あんたに分かるわけないだろ!!!期待も応援も、全部裏切って無くしたんだよ!!俺にはもう、なんも残ってねえんだよ!!!」
照島くんの叫びは、きっと廊下にも響いたことだろう。それだけ大きな訴えだった。
握った拳を震わせて、それでも掴みかかろうとしないのは、私が女だからか。それとも、殴ったところで何も変わらないと、分かっているからか。
怒気を込めて揺れる瞳に視線を合わせると、日本人らしい黒目が更に細まった。
『明日の昼頃、迎えに来るから』
「…は?迎え?」
『そ。ちゃんといい子に待っててよ』
「はあ?ちょ、おい!!」
「先生!!」と引き止める声を無視して病室を出る。今頃取り残された照島くんは、どんな顔をしているのだろうか。もしかしたら、更に煽ってしまったかもしれないな。
八つ当たりで枕を投げる姿を勝手に想像していると、運か不運か東峰が通りかかった。
『あ、東峰。ちょうど良かった』
「あれ?苗字?」
『明日、ちょっとそっち遊びに行くね』
「え?いいけど…黒尾に怒られないようにな」
『ああ、それは平気。ちゃんと説明するから』
「それなら、いいけど…今度は何するんだ?」
『んー…臆病者の背中をちょっとね』
「よろしくね」と後ろ手を振って、麻酔科の医局に戻ろうとすると、東峰の苦笑いが見えた。
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