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HQ総合病院麻酔科医6


ソワソワソワソワ。そんな音が聞こえてきそうだ。
分娩室の前で右に左に歩き回る茂庭の姿に「落ち着け」と声をかけたけれど、聞こえていないのか茂庭は足を止めない。かれこれ六時間もこんな調子らしい。いい加減座れ。
舞さんに陣痛がきたと聞いて私が駆け付けたのが一時間ほど前。分娩室中では花巻が舞さんの出産をお手伝いしているらしい。花巻なら大丈夫だろう。実力も兼ね備えたうえでの“指名率No.1”だ。
ふと腕時計に目を落とそうとすると、自分のデスクに置きっぱなしだったことに気づく。なんだ、私もなかなかに緊張しているのかもしれない。小さく笑ってから壁時計に目を向けるともう日付が変わりそうである。この子の誕生日は明日になるのか、と考えたとき、中から元気な泣き声が。


「あっ…あ!!い、今の!!今のって!!」

『うん。おめでとう茂庭。パパになれたね』

「お、俺が…俺が父親に…!!」


「うああああっ」なんて情けなく泣き出した茂庭。まだ子供の顔を見たわけでもないのにワンワン子供のように泣くその背中を押すと茂庭がどこか不思議そうにこちらを振り返った。


『ほや、早く行ってあげなよ。“茂庭パパ”』

「苗字…!!ああ!!行ってくるっ!!」


服の袖で乱暴に涙を脱ぐって分娩室の方へ向かう背中を見送っていると、ちょうど茂庭を呼びにきたのか中から花巻が出てきた。
「お。おめでとう茂庭先生。元気な女の子だったよ」「おおっ…!ありがとう!!ありがとう花巻いいいいい!!」
一方的に花巻の手をつかんで握手をしたあと、急いで愛する奥さんと娘のもとへ向かった背中は確かにパパのものだった。おめでとう。もう一度小さく呟くと穏やかに笑う花巻と目があった。


『お疲れ。花巻先生』

「おー。頑張ったよな赤ちゃんも奥さんも」


清々しい表情で茂庭が消えていった方を見つめる花巻に「そうだね」と頷くと分娩室の中から驚くような喜ぶような、とにかく物凄い声が聞こえた来た。きっとというか絶対茂庭だ。たぶん赤ちゃんを前にして、また泣いてでもいるのだろう。あまりにも想像できる姿に笑っていると同じことを考えたいたのか花巻も笑い声をあげていた。


「…にしても、茂庭が俺に頼んでくるとは思わなかったわ」

『え、なんで?』

「…同僚の、しかも男には頼んで来ないと思ったんだよ」


いやあ、なんて首を回す花巻に舞さんから聞いた話を思い出す。そういえば、確か茂庭が花巻にお願いしたんだっけ。
「花巻先生なら安心だ!!」なんて疑うことを知らない笑顔で言う茂庭を想像していると、隣から小さく息をつく音がした。


『…なんだ、花巻でもそういうのあるのか』

「そういうのって?」

『んー…緊張みたいな?』


ニヤリと笑ってみせると「お前は俺をなんだと思ってるんデスカ」と額を小突かれた。
命を預かる私たちの仕事では、決して情をうつすことは良しとされない。あくまで仕事。そう割りきらなけらばならない。それでも人間である以上、助けられれば心から嬉しいと思うし、助けられなかったときは自らの無力さを痛感し胸を痛める。
小突かれたところを擦りながら冗談だと笑っていると、ポケットの中で携帯が震えた。


「なに?仕事?」

『いや、黒尾から。まだ残ってるなら送ってくれるってさ』

「…ふーん」


さっきまで嬉しそうにしていたくせに。「送ってもらうの?」と笑っていない目で尋ねてくるあたり、なかなか子供っぽいというか。
茂庭の子供も無事に生まれて特に残ってる理由もないし。「そうしようかな」と面白くなさそうに唇を尖らせる花巻から視線をそらすと、更に顔をしかめられた。顔には出しても行くなと言葉にしないあたり、花巻は分かっている。別に私たちは恋人同士でもないしね。それじゃあと踵を返して黒尾がいるであろう医局へ向かうと「おー…またな」と手をふりながらも眉を寄せる花巻には気づかないふりをした。






*****






「え、マジで!?」

『うん。だからさ、今度お祝いに何かあげようよ』


送ってもらっている途中、信号に捕まった所で茂庭ジュニアの誕生を黒尾に教えると、研磨とは違う猫目を大きく見開いてこっちを見てきた。ちょっと、余所見しないで。事故ったら笑えない。前を向いてというように人差し指でフロントガラスを指すと「うるせえなあ」と言いながら見開いた目をうっとおしそうに細めて前を向いてくれた。


「にしても、茂庭が父親ねえ…」

『いいパパになりそうだよね』

「過保護すぎる保護者になりそうだな」


それは言えてる。ケラケラ笑って黒尾に同意していると、ちょうど信号が青にかわって黒尾がハンドルを握り直した。


「アイツ俺らと同い年だよな…?マジか…なんか焦るわ」

『焦った所で相手も見つかってないくせに』

「お前が言うな」


バックミラーを通して睨んでくる黒尾から逃げるように窓から外を見ると、街灯の光がやけに明るく思えた。
同期で既婚者なのは他に何人いたっけ。指を折って数えていると、「何してんだ?」と再び赤信号で止まった黒尾に声をかけられた。
「夜久って彼女とどうなったの?」「あ?…あー…この前別れたった言ってたな」「いつの間に…もはや救命あるあるだね」
岩泉もフラれたらしいし。声には出さずに付け足してみたけれど「岩泉もフラれたらしいな」心底愉快そうに黒尾が笑っていた。なんだ、知ってるのか。


『てことは茂庭の他は…海と猿杙と笹谷…あと東峰か』

「あれ?澤村は??」

『あー…結ちゃんと澤村はねえ…』


黒尾が疑問に思うのも仕方ない。あの二人はもう結婚していたった可笑しくないし。返答の代わりに苦笑いを溢すと、不思議そうに眉を寄せた黒尾の横顔が窓にうつった。


「道宮さん、だっけ?高校からの付き合いなんだろ?さっさと腰落ち着かせりゃいいのに」

『結ちゃんはね、多分それを望んでるんだと思うけど…澤村がなあ』

「え、なに?踏み切れないのってアイツの方なの?」


驚いてこっちを向こうとしたとき、また信号が赤から青へ。後ろの車に煽られる前に発車させた黒尾につい笑っていると、どういうことだ、と言いたげな目でバックミラー越しに見られた。

澤村は唯ちゃんをとても大事にしている。だからこそ、澤村は結ちゃんとの結婚を決断できない。救命医は自他共に認めるほどの忙しさだ。だから澤村は言っていた。


“俺と結婚したら、道宮に寂しい思いをさせるだろ?”


「あー…アイツらしいっちゃらしいな」

『だよね。でも結唯ちゃんはそれでもいい、大丈夫だって言いそうなもんだけど…そこはさ本人たちの意思だしね』


苦笑いを溢して運転する黒尾の横顔を見ると、「それもそうだな」どこか残念そうに黒尾が息をはいた。


「…お前は、そういうのねえの?」

『あー…結婚願望、ってこと?』

「おう」


この質問、前にもかおりちゃんにされた気がする。こういうのをデジャヴって言っていいんだっけ。
何度目か分からない赤信号に捕まって、なんとなく窓の外を見ると、仲睦まじく歩く三人家族が目に映った。


『この人のために、仕事をやめてもいいって思える相手ができない限り、結婚はいいかなあ』

「…それスゲエハードル高くねえか?仕事中毒さんよお」

『黒尾だって似たようなもんでしょ』


お互い30手前。そろそろそういうことを考える時期だと分かってはいても、誰でもいいからと躍起になりたくはない。できることなら、ちゃんと好きになった相手とゴールインしたいし。ああでも、結婚は人生の墓場ともいうか。
いつかに親戚のオバさんから聞いた、女の夢を粉々に砕くような台詞を思い出して笑っていると、不思議そうにしながらも、黒尾の唇が緩く弧を描いた。


「30になっても相手いなけりゃ、俺がもらってやるよ」

『うわ、絶対見つけよ』


2人分の小さな笑い声が響く車内。こういう軽口を叩ける関係が楽だ。なんて思っているから、結婚が遠ざかっていくのかもしれない。

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