おめでとう
ピンポーンと、チャイムらしいチャイム音を鳴らすと「はーい」と中から声が返ってきた。
この家を尋ねるのは、2度目だ。1度目は、引越しの手伝いで半ば無理矢理連れて来られたんだったかな。ぼんやりとそんなことを考えていると、ガチャっと目の前のドアが開かれた。
『え、蛍??』
「……こんばんは」
驚いた顔をした彼女は、久しぶりに見たかもしれない。
『ビックリした。来るなら連絡くれればいいのに』
「兄ちゃんには言ったよ」
アッサリと中へ通されて、リビングのテーブルに座らされると、少しムッとした顔をした姉は「私は仲間はずれ?」と唇を尖らせながらも紅茶を出してくれた。
それに苦笑いを浮かべつつ、出された紅茶を飲もうとすると、「あ、まって」と静止がかけられた。
『蛍は甘い方が好きでしょ?砂糖とハチミツ、好きな方いれて飲みなよ』
「…よく、覚えてるね。僕が甘いもの好きって」
『そりゃあ、蛍とも長い付き合いなんだし』
「明光くんももうすぐ帰ってくるから、待っててね」と笑ってキッチンに戻る名前姉。
ああ、好きだな。何気ないことでも、自分のことを覚えていてくれる優しい所が好きだ。ふふっと目尻を下げて、嬉しそうに笑う所が好きだ。
好きだ。この人が好きだ。
何年も隠し続けて、それでも捨てることができなかったこの人への想い。
それに、今日、ケジメをつけなければならない。
飲みかけの紅茶を机へと戻すとき、自分の手がほんの少し震えている気がした。
「…名前姉」
『うん?なに?』
「…僕は、名前姉に憧れてたよ」
『え?どうしたの急に??』
キッチンの方で夕食の準備をしていた名前姉が、目を丸くして僕を見る。
嫌に速くなる心臓の音を聞こえないふりをして、更に言葉を続けようとすると、「蛍??」と名前姉が首を傾げた。
「優しくて、子どもの頃からずっと傍にいてくれて、兄ちゃんと2人で、僕の面倒を見てくれてた。名前姉は、ずっといい姉でいてくれた。でも、僕は、姉ちゃんを“姉”だなんて、本当に思ったことはないんだ」
『……蛍?…それは、どういう…』
「本当に、姉ちゃんのことを、姉だとおもってたら…好きになんて、ならないでしょ」
ひゅっと姉ちゃんが息を飲んだ音がした。
ああ、言ってしまった。もう後には戻れない。
自分で自分が逃げてしまいそうになるのが怖くて、名前姉から視線を逸らさないようにジッと彼女の瞳を見つめていると、不安そうに揺れるそれに、まるで信じられない、と言われている気がした。
「好きだよ、名前姉。ずっと、ずっとずっと…好きだったよ」
ダメ押しにもう一度言うと、ユラユラと揺れていた瞳がふっと瞼の中に消えた。
少しの間伏せられてしまった次に目が開いて僕を映したとき、名前姉は眉を下げて柔らかく、困ったように微笑んでいた。
『…蛍、ごめんね…。でも、ありがとう』
小さな頃から続いてきた片想い。返ってきた返事はそれだけ。たったそれだけなのに、長い間消えることのなかった想いが、昇華されていくのが分かった。
ありがとうなんて言われる資格ないのに、姉ちゃんも兄ちゃんも、優し過ぎる。でも、だから僕は、この2人が好きなのだ。そんな2人だからこそ、幸せを、願いたいと思うのだ。
「僕の方こそ、ありがとう」と自分でも驚くほどスッキリした気持ちで笑みを零すと、タイミングよく「ただいまー」と言う兄の声が聞こえてきた。
『おかえりなさい』
「おー。お、蛍ももう来てたのか」
「うん。でももう帰るけどね」
「えーなんだよ。夕食くらい食べていけよ」
「明日も早いから帰るよ」
椅子の脇に置いていた鞄を持って立ち上がると、「えー」と不満そうに2人は唇を尖らせた。似たもの夫婦だなあ。
見えないように苦笑いを浮かべて、玄関まで行くと、見送りをしてくれのか、2人が付いてきた。
「それじゃあ」
『あ、蛍』
「?なに?」
『…また、来てね』
「…気が向いたらね」
ドアノブに手をかけてドアを開こうとする。
ああ、けどその前に。
開きかけの扉をそのまま。振り返れば並んで見送ろうとしている2人。今なら、今なら言える気がする。
「…おめでとう。兄ちゃん、姉ちゃん」
今度こそ、心から言えたその言葉。
自分では分からないけれど、僕は笑っていただろうか。
答えは、嬉しそうに微笑み返してくれた2人だけが知っているだろう。
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