どうせ変わらないのなら
「ツッキーの初恋の相手ってどんな人??」
合宿での夜の自主練中、何気ない会話に織り混ぜられたいきなりの木兎さんの問いに、一瞬息を飲んだ。それを隠すように「いきなり何なんですか?」と眉根を寄せると、ニヤニヤと愉しそうに笑う黒尾さんまで近寄ってきた。日向と灰羽がいないのがせめてもの救いだ。あの2人がいると更にうるさかっただろう。
助けを求めるために、唯一の善意である赤葦さんを見ると、げんなりした顔をした彼が大きくため息をついた。
「何アホなこと言ってるんすか?」
「えー。だってさ、ツッキーがどんな子好きになるか気になるんだもん」
「もんって…気持ちわる…」
「おい俺先輩」
「いいじゃんいいじゃん」「ケチケチすんなよツッキー」
どうやら話すまで解放してはもらえないようだ。
諦めてため息をついて、壁に背を預けるように座り込むと、おっ?と顔を輝かせた2人と申し訳なさそうに眉を下げる赤葦さんもすぐそばに腰を降ろした。
「姉ですよ」
「…え?」
「つ、ツッキー姉ちゃんいんの??え、キンシンソウカン??」
「…いえ、そうじゃなくて、“姉みたい人”って意味ですよ」
話しながら、自分は何を言っているんだと自嘲気味に笑ってしまいそうになる。どうせ、言ったって何も変わらない。けど、言わなくても変わらないなら、それなら、一度くらい、誰かに話したって。
「近所に住んでる4つ年上の人で、家族ぐるみで仲良くしてたのもあって、ずっと…憧れてました。ああ、ほら、良くあるじゃないですか。幼稚園の先生に憧れるとかそんな感じ。けどまあ、向こうからすれば弟がじゃれているみたいなもんだっただろうし。相手にされなく当然ですよね。それに、あの人が見てたのは、僕なんかじゃなくて、いつだって…兄でしたし」
声が震えている気がする。
大丈夫。誤魔化せる。今までだってずっと、この感情は隠してきたじゃないか。
使い古したシューズが目に入り、なんとなく、昔兄に貰ったシューズを思い出した。
「っ、笑っちゃいますよね。兄弟で好みが同じだったんですよ?今時そんな設定その辺の漫画でも見ませんよ。兄がその人と付き合ったって聞いたときは、ああ、やっぱりなって思いましたし、まあ、っ当然、ですよね。…それにっ…」
それに、あの2人は、もう。
ポロりと何かが目尻から落ちたとき、漸くハッとした。何、話してんだよ。
近くに置いていたタオルで乱暴に目元を押さえると、気まずい沈黙が流れた。
「…木兎さん、ちょっといいですか」
「お!?え?な、何赤葦??」
「いえ、監督が呼んでいたのを思い出したので。お先に失礼しますね、黒尾さん」
「おー行っていいぞ」
わざとらしいやり取りが聞こえてくる。おそらく気を使ってくれたのだろう。
2人分の足音が遠のいていくのを聞いていると、正面に座っていた黒尾さんが隣に移動してくるのが分かった。
「あー…なんつーか、その…悪かったな、ツッキー。俺はお前の地雷を踏むのが上手いらしい」
「…別に、話した僕も悪いので」
「……そのさ、初恋の人と兄ちゃん、今でも付き合ってんのか?」
どこか聞きにくそうにしながらも投げかけられた質問に小さく頷いた。
それに「そっか」と小さく零した黒尾さんは、そこからは何も話さず、まるで、というかきっと、コチラから話すのを待ってくれているのだろう。
ドクドクと嫌な音をたてていた心臓が落ち着いたのを見計らって顔をあげると、ズレた眼鏡をかけ直した。
「…踏ん切り、つけたつもりだったんです」
「うん」
「もう、大丈夫だと思ってたんです」
「…うん」
「でも、いざ二人並ぶのを見て、幸せそうに結婚の報告をされたら…押し殺したはずなのに、なんかまた溢れてきて…」
「…そっか…」
「辛いな」と少し荒々しい頭を撫でてくる黒尾さん。
他校の、それもライバル校の先輩に、一体何をはなしているんだろうと思いながらも、溜め込んでいたものを一旦口にすると、止まらなくなった。
「本当は、憧れなんかじゃなくて、ちゃんと好きだったはずなのに、憧れだって決めつけて、逃げた方が楽だからって、ずっと……ずっと、気持ちを無視してきました。でも、まさか、こんな所で泣くとか思いませんでしたね。一生の恥です」
「…別に、泣いたっていいだろ。そんだけ、その姉ちゃんの事が好きだったってことなんだしよ」
ポンポンと今度はあやすように髪を撫でる黒尾さんに、少し、兄を重ねる。
兄も、名前姉も大事だった。壊したくなかった。だから2人が付き合った時、それでいいと思った。大事な人が大事な人と幸せになるのを邪魔なんてしたくなかった。祝福したかった。けど。
「…言えなかったんです、“おめでとう”って」
「…」
「結婚するって言われたとき、どんな顔してたのかも覚えてません。ホント、可愛げのない弟ですよね」
ははっと自嘲気味に笑って、「そろそろ僕らも行きましょうか」と立ち上がる。黒尾さんも腰を上げたのを確認して体育館を出ようとした時。
「んなことねえよ」
「っ…」
「お前は、可愛げのねえ弟なんかじゃない。…多分、お前の兄貴も、その姉ちゃんもそう思ってるよ」
「…“おめでとう”も言えないような薄情なやつなのに?」
「それを言いたいのに言えない自分を責めて泣ける奴が、薄情なわけあるか」
フッと柔らかく笑んだ黒尾さんは、不覚にも絵になっていて、つい目をそらした。
そんな反応を見て「あれれー?ツッキー照れてる?」なんてからかってきた黒尾さん。
この人、優しいな。他校の1年に気を使って、“いつも通り”接しようとしてくれている。
有り難くそれに乗らせてもらって「その呼び方やめてください」と言って体育館を出ると、それを追いかけるように黒尾さんも外へ。
「…言えるといいな」
「え?」
「“おめでとう”って。あ、出来れば笑顔付きで」
ニッと歯を見せて、今度は冗談のように笑う黒尾さん。その言葉に、少し顔を俯かせながらも「…そのつもりですよ」と小さく返すと、満足そうに笑った黒尾さんに髪の毛をクシャクシャに撫でられたのだった。
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