愛してるーlove
京治くんが元の世界に戻ってから1ヶ月が経ってしまった。仕事を終えて家に帰って「ただいま」と言っても、返ってこない「お帰りなさい」につい泣いてしまったのが初日。ああ、情けない。
早く帰る意味もなくなった私は、京治くんと出会う前にも増して、仕事に勤しむようになった。それは、周りから見ても明らかなくらい。休憩中も仕事をし続ける私を心配に思ったのか、同僚がお昼に誘ってくれたけれど、気分がのらなくて断らせてもらった。
そういえば、最近は食事もろくに取っていない。誰かと食べるご飯の美味しさを知ってしまったからだろうか。
「…ねえ、名前。あんたホント休みなさいよ。倒れちゃうわよ?」
『……うん…分かってはいるつもりなんだけど…何かしてないと落ち着かなくて…』
落ち着かない、というよりは泣いちゃいそう、という方が正しいかもしれない。
昼食を終えて戻ってきた隣のデスクの同僚に苦笑いを見せると、困ったように眉を下げられた。
「最近痩せたんじゃない?」「そうかな?」
なんて会話をしながらも、パソコンの画面から目を離さずにいると、不意に戻ってきた彼女が持ってきた雑誌が目に入った。
『…その雑誌って…』
「え?…ああ、バレー雑誌よ。岡本くんが買ってきて欲しいっていうから代わりに買ってきたんだけど…あれ?岡本くんどこ行ったの?」
『…ねえ、それ、見てもいいかな?』
「え?…ああ、そういえば学生のときしてたんだっけ」
「はい」と手渡されたそれを受け取ってお礼を言うと、笑い返されてから彼女は自分の椅子に腰掛けて、携帯を弄り始めた。
“月刊バリボー”
そう表紙に書かれた雑誌に、首を傾げる。こんな雑誌今まで見たことがあるだろうか。
不思議に思いながら1ページ目を捲ると、“インターハイ注目チーム特集”という記事が目に入り、頭を過ぎったのはもちろん京治くんだった。
今頃、彼もバレーを頑張っているのかな。ほんの少し鼻の奥がツンとなったのに気づかないふりをして次のページを捲ると。
『…え…』
目に飛び込んできたのは、“梟谷学園”の文字。
嘘。だって、そんなはず。
震える両手を握りしめて、掲載されている写真を見ると、そこに写っていたのは。
『けい、じ、くん…?』
「?名前?どうかしたの?」
震える声で呼んだのは、もちろん愛しい彼の名前。
見たことのないユニフォームを着た彼の写真を指先なぞっていると、そんな様子に気づいたのか、隣の彼女が雑誌を覗き込んできた。
「梟谷…ああ、あそこね。おおー!この子カッコイイねー!知り合い?」
『っ、ちょっと待って…!梟谷学園って、なんでここに…?』
「?は?何言ってんのよ?梟谷って言ったら結構有名じゃない。ここからもそんなに遠くないし…『ホント!?』えっ?」
『本当にあるの!?』
思わず叫ぶように尋ねると、彼女だけでなくほかの人たちにも見られてしまった。けど、そんなこと気にしていられない。
左手の薬指に残っている、彼と過ごした証を掴んで答えを待っていると、困惑しながらも頷いてくれたのを確認すると、考える前に身体が動いた。
「え?ちょ、ちょっと名前?どこいくのよ!」
『早退する!!!』
「はあ!?」
「名前!?」後ろから呼び止める声が聞こえてきたけれど、残念ながら今の私には気にする暇がない。鞄を引っ掴んで、携帯で梟谷学園と検索しながら会社を出る。マップに場所が表示されると、自然と走り出していた。
ヒールを鳴らしながら走る姿は、周りから見れば滑稽だろう。タクシーを呼び止めようとしたけれど、気づかないで通り過ぎてしまったタクシーに、つい舌打ちを零してしまう。
もう一度場所を確認すると、鞄を肩に掛け直してもう一度走り出す。
会いたい。会いたい。会いたい。
京治くんに、会いたい。
ねえ、京治くん。あなたも、待ってくれていますか?
『っハア…もう、なんで、ここ、道変わってんの…!!』
走って向かったのはいいものの、途中から見慣れない通りになってしまい、迷子のような状態になってしまった。文句を溢しながら角を曲がろうとした時、ドンっと何かにぶつかって尻餅をついてしまう。
「っうお!?」
「?何してんだよ黒尾ー?」
「いや、この人とぶつかっちまって…あーお姉さん平気??」
ぶつかった相手は私服の若い2人組。見たとこ大学生だろうか。
「大丈夫です」と返して、立ち上がろうとしたとき。
「……名前、さん……?」
『…え…』
聞こえてきた声に、動きを止めて顔をあげる。2人組、だと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
2人で隠れて見えなかった人物に目を向けると、かち合った視線に唇が震えた。
『っ…け、京治くんっ……!!』
「っ名前さん!!!」
立ち上がって駆け寄ろうとしたけれど、それよりも早く京治くんが駆け寄って来てくれた。
座り込んだままの私を、抱きしめくれた京治くん。走ってきたせいで汗だってかいているのに、そんなことも気にならない。
小さく震える大きな背中に腕を回して、抱き締め返すと、初めて聞いた、彼の震える声が鼓膜を揺らす。
「っ、なんで、なんで名前さんが、ここに……」
『分からない…けど、たまたま見た雑誌に京治くんが載ってて、気づいたら、君に会いに走ってた…』
「雑誌で…?ということは、“こっち”の世界に来たんじゃ…?」
『ううん、違うよ。私の家も、会社も“この”世界にあるから』
「…それじゃあ、もう、離れなくていいんですか…?傍に、傍に居ても、いいんですか…?」
『…うん』
少しだけ抱き締められる力が緩められる。それに気づいて京治くんの胸板から顔をあげると、優しく細められた目が向けられていた。
溢れた涙を親指で拭ってくれた彼に微笑むと、そのまま京治くんの顔が近づいてきた。目を瞑って、落とされるキスを待とうとしたのだけれど。
「あー…お取り込み中失礼」
『っ!』
「…黒尾さん、本当に失礼ですね」
「いや、いきなりラブシーン始められた身にもなれよ。木兎を見ろ。お前のデレっぷりに放心してるぞ」
…そういえば、彼らがいるんだった。
慌てて京治くんと距離をとって立ち上がると、不服そうな顔をして京治くんも立ち上がった。いやいや人前だからしょうがない。
「え?え??この姉ちゃん誰??赤葦の彼女??」困惑している銀髪くんに申し訳なく思っていると、骨ばった手に肩を抱かれた。
「はい。俺の、恋人です」
『!』
「…マジか…赤葦に美人の年上彼女がいたとか…え?マジで!?」
「マジです。ですから、今日はこれで」
「はあ!?ちょ、あ、赤葦!?」
手を握られたかと思うと走り始めた京治くん。彼を呼び止めようとする銀髪くんの姿に、つい先ほどの自分を思い出す。
『あの、京治くん。いいの?何か約束してたんじゃ…』
「いいですよ別に。1年経ってやっとあなたに会えたんですから」
『え…1年?嘘…だって私はまだ1ヶ月しか…』
「え?1ヶ月??」
食い違う答えに足を止めてお互い目を丸くする。
なんだか顔つきが少し大人っぽく見えたけど、まさか1年も経っていたなんて。
呆けたまま彼を見つめると、京治くんがふっと緩く笑んだ。
「…こうしてまた会えたなら、もう、それでいいです」
『…うん…そうだね』
ソっと頬に添えられた手に自然と視線を合わせると、二人揃って笑みを見せる。
意地悪だと思っていた神様に、謝らなきゃいけない。
繋がった世界で初めて交わしたキスは、今まで重ねたどんなものよりも、幸せなものだった。
End
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