夢小説 完結 | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

見つめるーwatch


『…(来てしまった…)』


珈琲の香りが鼻腔を擽る。目の前の扉を開けば、京治くんに会えるだろう。バイトをしている彼が見れるだろう。
休日。午前中がバイトだからと京治くんが出ていったのがつい1時間前。前々からバイトをしている様子を見たいと思っていた。だからつい、来てしまった。
どうしようかと小さく溜息をこぼしていると、チリンチリンとなったドアベルに大きく肩が跳ねた。


「おや?こんにちは、お嬢さん」

『あ、は、はい…こんにちは』


顔を出したのは京治くんではなく、優しそうおじいさんだった。多分この人がマスターだろう。ニコニコと笑いながら「どうぞ」と中へ入るように促してくるマスターさんを断ることなんてできるはずもなく、小さくお辞儀をしてから入ると、店内は珈琲の香りに包まれていた。


「…あれ…名前さん…?」

『あ、あはは……来ちゃった…』


お目当ての彼はカウンターでグラスを拭いていたため、入ると直ぐに見つかってしまった。どうやら今は他にお客さんはいないらしい。恥ずかしいやら気まずいやらで苦笑いをしてしまうと、一瞬目を丸くした京治くんも、少しだけ頬を赤くした。


「…なんでここに…」

『気になっちゃって…京治くんが、どんな風に働いてるのか…』


突然来るなんて、やっぱり迷惑だったかな。
「ごめんね」と謝って帰ろうとすると、柔らかく微笑むマスターにそれを止められた。


「まあまあ、彼は怒っているんじゃありませんよ。貴女が急に来て照れているだけですよ」

『え…そう、なんですか?』


マスターの言葉に思わず聞き返してしまうと、にっこりと笑って頷き返された。本当に?京治くん、照れてるだけなの?
チラリとカウンターの向こう側にいる本人に確認するように見ると、さっきよりも頬っぺたを赤くした京治くんが気恥ずかしそうに目をそらした。
あ、本当になんだ。
なんだかそんな彼が可愛くて笑ってしまうと、「笑わないで下さい」と赤い顔のまま釘を刺されてしまった。


「さあ、カウンター席でいいかな?赤葦くんの恋人さんは珈琲はお好きかな?それとも紅茶がお好みかい?」

『え…あの、どうして分かったんですか?私と京治くんが、その…恋人、って…』

「おや?違ったかい?君たちの目がそう言っていたんだがねえ」


「目は口ほどに物を言うから」そう言って笑うマスターに、今度は私も顔を赤くする。
私と京治くんを“恋人”だと思ってくれる人は少ない。兄妹や従兄弟だと思われる方が多い。そのせいか、マスターの言葉は嬉しいけれど、どこか恥ずかしい。
それで正しいです、という意味を込めて頷いてみせると、満足そうに笑ったマスターはカウンターの椅子を1つ引いてくれた。有り難くそこに座らせてもらうと、グラスを拭き終わった京治くんが、スッとメニューを差し出してきた。


「何にしますか?」

『…じゃあ、京治くんのオススメで』

「オススメ、ですか…」


少し考えるように顎に手をあてたあと、「分かりました」と頷いた京治くんは、さっそく準備に取り掛かってくれた。やっぱり、家で見る彼とはどこか違う。
ここの制服なのであろう、白いシャツに黒のサロンエプロンがよく似合っている。手際も良さそう。
カッコイイなあ、なんてつい見惚れてしまっていると、「どうぞ」京治くんがレモンタルトと美味しそうな紅茶を淹れてくれた。


『ありがとう。この紅茶って…』

「アールグレイにしてみました。有名ですし、俺もよく飲ませて貰うので」

「紅茶には疲労回復やリラックス効果があるからね。レモンタルトはこの時期限定でだしているんだよ。よければ、感想をお聞かせ願いたい」

『私みたいな素人の感想で良ければ、喜んで』


笑って頷いてみせると、マスターも京治くんも嬉しそうに顔を綻ばせた。小さなフォークを手に取って、タルトを少し掬って口に運ぶと、ほんのりとした甘さが口の中に広がった。
美味しい。
思わず零すと、マスターが柔らかく目尻を下げた。


『爽やかな甘さで、夏にピッタリですね。これだと何個でも食べれそう』

「お嬢さんにそう言ってもらえると嬉しいよ。これで自信を持って店頭にだせる」


ありがとうと言ってくれるマスターに「こちらこそ」と返して、今度は紅茶を一口飲む。なるほど、マスターの言う通りかもしれない。一口飲んだだけだというのに、体中の疲れがとれたようだ。心配そうに見つめてくる京治くんに「美味しいよ」とカップを持ったまま応えると、ホッとしたように笑みをこぼした。


『やっぱり紅茶もちゃんと茶葉からつくった方が美味しいね。凄く美味しいもの』

「それなら良かったです」

「嬉しいねえ。けど、多分お嬢さんがそう思うのは、赤葦くんが淹れた紅茶だからじゃないかな?」

『え?』

「私も妻が淹れてくれた珈琲が何よりも好きだからね」


マスターには全てお見通しなのかもしれない。再び赤くなる頬を隠すように、カップに口をつけてみたけれど、やっぱり紅茶は美味しくて、無償に恥ずかしくなった。
そんな私を口元を緩めて見つめてくる京治くんを横目に、火照った頬を冷ましていると、チリンチリンとおみのドアベルがなった。お客さんが来たようだ。常連さんなのか、その人と話し始めたマスターを確認してから、もう一度レモンタルトを一口。うん、やっぱり美味しい。


「…名前さん、」

『うん?なに?』

「吃驚しましたよ。まさか来るなんて思ってなかったので」

『あー…ごめんね。誘惑に負けちゃって』

「誘惑?」


不思議そうに首を傾げた京治くん。ほら、そういう顔さえカッコイイんだから。喫茶店でバイトをする彼もカッコイイに決まってる。だから見たいと思うのは当然なのではないだろうか。
誤魔化すように紅茶を飲むと、京治くんが不思議そうに首を傾げた。


『…見たかったんだ。京治くんがバイトしてる所』

「そう、なんですか…?何も面白いことなんてないと思いますが…」

『京治くんの新しい一面を見れるだけで、私は幸せなの』


ふふっと笑ってみせると、面食らったように目を見開いた京治くんは、恥ずかしそうに頬をかいた。可愛いなあ。そんな彼に緩く笑んでいると、京治くんが小さく唇を動かした。


「…俺も」

『え?』

「…俺も、こっちに来てから、名前さんのこと、たくさん知れて、嬉しいです」


頬を少しだけ染めてハニカム京治くん。
ズルいなあ。
顔を隠すようにして、また紅茶を飲もうとしたけれど
いつの間にかカップは空になっていた。もう飲み終わったのか。真っ白なカップの底を見つめながら「ありがとう」と小さくこぼすと、京治くんの大きな手が柔く髪を撫でてくれた。

prev next