夢小説 完結 | ナノ
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名前さんの世界に来てから3日目。
今日から彼女は仕事に行かなくてはならないらしい。


『これ合鍵。うちを出てもいいけど、迷子にならないでね?赤葦くんの携帯、こっちじゃ使えなかったみたいだし…』


玄関先で心配そうに見上げてくる名前さん。そんな彼女に内心笑いながら「大丈夫です」と頷いてみたけれど、それでも何処か不安そうに瞳を揺らされた。そんなに信用がないのだろうか。それにしても、こんなに渋る必要もないと思うけれど。
家を出ようとしない名前さんに首を傾げたとき、小さな手が控えめに服の袖を掴んできた。


『…やっぱり、仕事、休もうかな…』

「え…?」

『…だって…帰ってきたら、赤葦くんが居なくなってるかもって考えたら…なんか怖くて…』


キュッと唇を噛んでうつむいた名前さん。
参った。どうして彼女はこんなに俺を喜ばせるのだろう。小さく笑んで目下の彼女に手を伸ばして頬を包むと、名前さんがゆっくりと顔をあげた。


「黙っていなくなったりしませんよ」

『…うん、そう、だよね…』


「わがまま言ってごめんね」そう眉を下げた名前さん。そんな彼女に視線を合わせるように屈むと大きな目がキョトンとしたように俺をうつした。
ああ、こういう風に驚いてる彼女も好きだな。
らしくない自分を笑ってから顔を寄せて、グロスを塗られて唇と自分のそれを重ねる。


「いってらっしゃい、名前さん」

『〜っ!!い、いってきます!!!』


真っ赤な顔をして出ていく名前さんの姿を見送ると、また更に込み上げてきた。ホント、参ったな。これじゃあ本当に戻れなくなる。大きく吸った息をはいてグルリと主のいない部屋を見ると、なんだかやけに広く感じた。
さて、これからどうしようかな。
少し考えてから家を出る準備をすることに。外に出てこの辺の地理でも覚えるかな。買ってもらったばかりの服に着替えてはきなれた靴に足を入れると、貰った合鍵で鍵をして名前さんの家をでた。


「(ここは東京のどの辺なのだろうか)」


周囲に気を配りながら歩いてみるとやはり見慣れない場所ばかり。この前のショッピングモールも見たことがなかったし、やっぱりここは俺の知る“東京”とは違うんだな。
知らない土地を一人で歩いて迷子になるほどアレではないけれどあまり遠くに行くのもよくないだろう。ゆったりとした足取りで歩いていると、ふいに美味しそうな香りが鼻腔をくすぐった。


「…ここは」


カフェ…というよりは喫茶店だ。それもかなりシックな感じの。少しだけ気になって店を見上げていると、カランカランとベルが鳴って店の扉が開かれた。


「おや?珍しいお客さんだなあ。お兄さん、珈琲は好きかい?」


中から現れたのは人の良さそうな店のマスターだった。










『え、バイト見つけた!?』

「はい」


夕方、帰ってきた名前さんに昼間に見つけた喫茶店のことを話すと目を丸くされた。俺だって自分で驚いている。まさかこんなバイトをすることになるなんて。
苦笑いして名前さんに頷いてみせると、感心したように名前さんが息をもらした。


『よく見つけたね…』

「たまたまこの辺りを散策していたら見つけて…」

『どんな所?まさか怪しいバイトじゃ…?』

「違いますよ。この近くにある喫茶店です」

『喫茶店か…』


名前さんはホッとしたように肩を落とすとグラスのビールに口をつけた。仕事終わりに飲むビールは最高だと先ほど言っていたけれど、確かに美味しそうに飲んでいるな。


「気の良さそうなご主人が一人で趣味で始めた喫茶店らしくて、ちょうど働いてくれそうな人間を探していたそうです」

『へー…まあ、今は普通なら夏休みだし、赤葦くんがバイトしてても怪しまれることもないと思うけど…履歴書とかその辺はいらなかったの?』


そう、それは俺も思っていた。普通のバイトならそういったものがいるはずなのだろうけど、あそこのマスターは優しく目を細めてそんなものはいらないと首をふった。

“紙に書かれた情報より、こうして直接会って話した情報を信じるよ”

いい人、の基準は分からないけれど、この人はきっと“いい人”だと俺の中で何かがそう言った。
柔らかく笑うマスターの顔を思い浮かべて笑んでいると、名前さんが不思議そうに俺の名前を呼んできた。


『何かあったらなんでも言ってね。慣れない土地で大変だろうし』


そう笑いかける彼女に頷いてみせると、満足そうに笑った名前さんはまたビールを飲むのだった。

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