コイのカケヒキ。(山崎烝さん)




なまえ、と。
名前を、呼ばれた。


振り返れば、山崎さんがいつも通りの顔で立っていた。毎度の事ながら、あの目は怖い。

「あ、あの、何、でしょう、か」


切れ切れに言えば、呆れたように溜息を吐く。なんで怖がんねん、と言われたのは、つい最近の事だった。

確かに、斬られそうになった訳でも、陰湿な虐めを受けた訳でもないから、怖がる必要はない。

しかし、私がそのツリ目を怖いと思うのは事実である。


「…怖がるなっちゅーたやん。なんで構えんねん」

「ごめ…なさい…」


目を見ないように、俯いて謝る。
するとまた溜息が聞こえた。

呆れ、られてる。


私はますますしゅんと俯いて、廊下の脇に身を寄せた。勿論、山崎さんを通す為だ。それ以外に意味はない。

しかし山崎さんは私の隣に並ぶと、なぁ、と声をかけた。


「は、はい…ッ」

「…お前なぁ…。まぁえぇ、とりあえず会話したかっただけやし」

「か、会話、ですか。」

「せや、もう用はすんだわ。じゃ、またな」


ぽんぽん、と頭を軽く撫でて、山崎さんは来た道を引き返していった。



……あれ?

(…こっちの方向に用事があったんじゃなくて、『私』に用事があったの?)


小さな問い掛けは口から漏れず、胸の中で響く。


今はまだ、貴方の不器用な優しさに。
甘えていても、いいですか?




コイのカケヒキ。


(あの目が怖くなくなるのはいつなんだろう)




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