悲しみは消えゆく
(いち)
「お前を殺せば、俺の大切な先生は戻ってきてくれる筈だったんだ」
部屋の隅で膝を抱える鈴さんは、とうとうと私への恨み言を連ねる。
「二人とも仲良くしていておくれよ」と、天人さんは私達を部屋に置いてどこかへ行ってしまった。
にゃーにゃー鳴いている黒猫が私の傍らを転げ回ってじゃれては、鈴さんの方へと駆けて甘えてまたこちらへ戻ってくる。うはぁ、可愛いなぁ。
部屋の隅から動かない鈴さんは、それでも私から離れない。
一定の距離を保ちながらも、我関せずでどこかへ行くような事はなかった。
「お前を殺して、絶対に先生を生き返らせるつもりだったのに…」
「…鈴さんに殺されるの?」
「俺が殺すんじゃない。この世界の誰かがお前を殺せば、その犯人を恨む奴が出てくる。その憎悪の力で…」
「でも、またサヨナラの悲しみを味わうかもしれないよ」
「…話が跳びすぎてて、何が言いたいのかよくわからないんだけど」
「その先生と一回お別れして、とっても悲しかったんでしょ? また会えても、次のサヨナラが本当に辛くなっちゃうよ」
「…そんな事、ない」
拗ねるように膝に顔を埋める。
どうして私が死んだら鈴さんの大事な人が生き返るのかは、全然理解が出来なかった。けど、確かにわかったのは、鈴さんがその人に本当に会いたくて会いたくて仕方がなかったという事だ。
「小百合もおんなじ目にあったら、おんなじ事するのかなぁ」
「……さぁな」
「鈴さんの気持ちは鈴さんにしかわからないし、鈴さんの決意は全然わかんないけど、小百合も死に別れたら会いたくて仕方なくなっちゃうと思うなぁ」
ねー、黒猫さん。
にゃー。
小さな黒猫達は、どうやら鈴さんの足元を定位置と決めたらしい。わらわらと集まって、お団子のように固まっている。可愛いなぁ。
欠伸をして丸まった猫達に釣られて鈴さんに歩み寄れば、俯いていた鈴さんは顔を上げて私を睨んだ。
「…鈴さんは淋しくてしょーがなかったんだね」
微笑みかければ、鈴さんはますます睨みをきかせた。それを気にせず、私は言葉を続ける。
「淋しかったから、誰かの命を使ってでも会いたかったんだね」
「…」
「小百合には何にもわかんないけど、鈴さんにとってその人はとっても大事で、大切で大好きな存在だったのよね。それはわかったよ。」
「……」
「淋しかったね」
ポンポン、と鈴さんの頭を撫でる。すると鈴さんは目を丸くして、困ったように顔を伏せた。
少し俯いて、それから顔を上げてまた私を睨む。
そうして、ひどく刺のある声で言った。
「あんた、殺そうとした相手に情けをかけるなんて、バカなんじゃない?」
刺がある。
でも、表情はなんとなく柔らかく感じた。
「バカじゃないもん」と、そう反論しようとした瞬間、紙風船を叩き潰したような音が耳に届いて辺りが薄暗く陰った。
猫が鳴く。
驚いた私は息を呑んで口を噤み、鈴さんも様子を伺うように黙った。
けど、小さな声で呟いたのが私の耳に届く。
「先生…?」
喜びと悲しみが混ざりあった、なんとも言えない声音で鈴さんは言った。「先生」を呼ぶ悲痛な声は、その闇に溶けて響く。
「待ってください、先生…!」
置いていかないで、と、泣きそうな声が耳に届いたかと思えば、再び破裂音が響いて猫が鳴いた。
そうしてゆったりと明るくなる部屋の中に、鈴さんの姿はどこにもなかった。
どこへ、行ったのだろうか。
首を傾げた私の回りに、猫が群がる。ぼんやりと明るいけれど、それでもやっぱりほの暗い部屋の中に居るのは、私と小さな黒猫さん達だけだ。
さっき私が見た夢みたいだ。
京都の自宅にいた夢は、暗くなってからパンと音がして途絶えた。ということは、これも夢?それとも、私じゃなくて誰かの夢?
考えても答えは出なくて、それでも鈴さんがドコに行ったのかが気になって、私は立ち上がって回りを見渡した。
「すず、さん」
呟けば、その声は闇に溶けて消える。
部屋の灯りは次第に明るさを増して、私と猫達を照らした。
鈴さんをもう一度呼べば、後ろから私を呼ぶ声がひとつ。
驚きのあまり、私は肩を震わせる。声の主に反応してにゃあと鳴いた小さな猫さんは、私の足元をすり抜けていった。それから部屋の入口に佇んでいた天人さんの下で声をあげる。
にゃあ、にゃあ。何匹も重なる鳴き声は、何かを懇願するかのような必死さを醸し出していて、私は天人さんと猫を見比べつつも立ち上がったその場所から動く事が出来ずにいた。
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