猫とねことネコ
(いち)
暗い。
今 私がいる静かな場所は、闇に包まれていた。
温かい何かに肌が触れているのは理解できた。けど、わかるのはそれだけだ。
あたたかい。くらい。
確か私は、銀ちゃんのお家にいて、それから何故か私の家に戻っていて、それから、それから…。
「小百合」
じゃあ、ここはどこ?
そんな結論に辿り着いたのと同時に、誰かに名前を呼ばれた。
顔をあげても何も見えず、私は首を傾げた。
そうしていると、また名前を呼ばれた。夢の中で私を呼ぶ、いつものあの声だ。
不思議に思っていると、段々と回りに明かりが灯ってきて、自分が置かれた状況が見えてくる。
右を見て、左を見る。それから、腰を下ろしている自分の回りを見て目を見開いた。
目の前に、たくさんの黒猫がいる。
温かいと思っていたのは、どうやら猫さんに囲まれていたかららしい。
ふわふわ、ぬくぬく、柔らかいすべすべの塊が、私の手元をすり抜けていく。
その中に、定春君を思い出させるくらいに大きな黒猫がゆったりと寝そべっていた。
「えっと…にゃ、にゃー?」
「…ねこ、ではないよ」
「うひゃあっ、しゃべった!」
「違う、その子は喋ってなどいないよ、小百合。今話しているのは…」
そう聞こえたかと思うと、ふと私の首もとに何かが触れた。
私だよ、と耳元で囁かれる。するりと撫でていくそれは、そのまま私を抱き締めた。
ゾワゾワと背中が粟立ったけれど、後ろから抱きすくめられた私はどうにも動く事が出来ず、その人の腕を見るしかなかった。
「ふふ、小百合…あぁ…やっと君に会えた」
肩と腕を握るその腕の力は強くって、首筋に当たる吐息はなんだか温かい。
動けずに身を固めれば、その手は私の喉元を撫でてそのまま着物の襟の中へ差し込まれる。
息を呑んだ私に反応して、回りの猫が顔をあげた。にゃーにゃー。
それに気付いたのか、その手はぴたりと動きを止める。そして後ろからもう一度私の名を呼んだ。
「…小百合…? どうして怖がっているの?」
「ど…、どうしてって。 わたし、貴方を知らないんだもん…怖いに決まってる…っ」
にゃーにゃー。
猫が同意するように鳴いた。あれ、もしかしたら否定してるかもしれないけど、まぁいっか。
ともかく、私は後ろにいる得体の知れないヒトへ恐怖感しか感じられないのだ。
それはしょうのない事である。
後ろから、私の名が呼ばれる。
返事をせずに身を固めていると、次いで私のうなじに温かい何かが触れた。
ぞわっと、思い切り鳥肌がたつ。
思わず叫んで暴れてみれば、どうやら後ろにいたヒトはそんな事は想定していなかったみたいだ。
簡単にその腕(かいな)から逃げ出す事が出来、私は目の前の大きな黒猫さんの側まで転がるように駆けた。
大きな猫さんに抱き着けば、そんな私に他の黒猫達が群がる。
「小百合?どうしたの小百合…なんで逃げるんだい…?」
「やっ、やだ…!来ないで!たすけ…っ、誰か助けて!」
「やめておくれ、小百合…どうして…」
「誰か、…新ちゃん!しんちゃぁん…!」
「どうして…っ、他の男の名を呼ぶんだ…!!」
悲しみにまみれた声が耳に届き、私は眉を顰めたままその人を見る。
けれど、そこにいたのは人間ではなく、寧ろ黒猫のような耳の生えたヒト、だった。
顔にぐるぐると巻いた晒し布は取れかかっていて、そこから猫のような耳と金色の目が垣間見える。
その様に、息を呑んだ。
町中で、おんなじようなヒトを見掛けたことがある。確か、ああいうヒト達を総じて…
「あまん、と…?」
「!」
「そうだ、天人…。新八ちゃんがそう教えてくれた…。 あなた、天人なの?」
震える声で尋ねた私に、目の前のヒトは悲しそうに顔を歪めて頭を抱える。
ずれた晒し布が、またズルリと下へ垂れ下がった。
小さな声で、私の名前を呼ぶ。
切々とした呼び掛けに、私は唇を閉じた。
その時だ。
後ろから、勢いよく扉の開く大きな音が響いたのは。
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