どこまでも黒い空
(いち)
万事屋から飛び出した私は、階段の下で一人と男の人に出会った。
見慣れた黒い服は、少し懐かしい。
空気が揺れて少し香った煙草が、また懐かしさを誘った。
トシちゃん、と名を呼べば、彼は驚いたように瞬きを繰り返して私の名前を口にした。
「あ…小百合…っ! お前、外に…」
「待って! トシちゃん、そこにいてね!」
そう言って階段の下に膝を抱えて縮こまる。
不思議がるトシちゃんを気にせず、私は唇に人差し指を当てて「しぃっ!」と釘を刺す。
しばらくすると、上から神楽ちゃんと定春君が降りてきた。
定春君が匂いを嗅いで探したら、すぐに見付かってしまうかもしれない。
けれどそんな時の為のトシちゃんだ。
「げっ、ニコチンマヨラー!」
「『げっ』ってなんだよ。…どうか、したのか?」
「マヨラーには関係ないアル! 行こう定春、マヨラーがここにいるって事は、きっと小百合はもうどっか行っちゃった後アル!」
神楽ちゃんの言葉に、トシちゃんが私を見た。
もう一度唇に指を当てると、トシちゃんは観念したように息を吐いた。
「小百合なら、買い物に行くって言って向こうに走っていったぞ」
「マジか! もーっ、一人で出掛けないように言ってたのに、やっぱり小百合は私がいないと駄目アルな!」
心配してるような、それでいてちょっと嬉しそうな神楽ちゃんの声が聞こえる。
定春君を呼んだ幼さの残る声は、獣の足音と共に去っていった。
…なんか、そんな風に思ってくれてたなら、悪い事したかなぁ…。
いやいや、でも、…うーん…。
そう考えながら立ち上がると、トシちゃんは私の前に歩み寄る。
「…追われてたのか?」
「んぅ…、そ、そんな感じデス。んっと、有難うトシちゃん」
「いや、別に見回りしてて通りかかった…だけだし。気にすんな」
お前はどうして逃げてたんだ?
そう訊ねたトシちゃんへの返答が、思わず遅れる。
新ちゃんと出会った時と同じようなそれに、心臓が跳ねる気がした。
「…、え…っと、…」
「いや、答えられないならいい。何となくわかるし」
「うぁ、ううん、そうじゃなくて…」
「お前が万事屋の野郎にどう扱われてるか、よく分かった。苦肉の策だったけど、やっぱりあんな野郎に任せちゃいけなかったんだな」
「んんぅ…? 待って、トシちゃんどうしたの? そんな…、そんな、恐い顔しないで」
「そうだ、真選組に戻れるように手筈を整えといてやる。だから小百合、すぐにでも俺達の所に──」
私の前に立って行く手を阻むトシちゃんは、ゆっくりとこちらに近付いて私の肩に手を添えた。
真剣な眼差しは、少し狂気を帯びている。
言動も相俟って、ものすごく…恐い…。
有無を言わさぬトシちゃんに、私は必死に抗う。
その時に万事屋の玄関が開く音がしたのは、私の耳には届かなかった。
「な、なんか、トシちゃんおかしいよ?」
「そんな事ねぇ。俺は、ひどい目にあってる小百合を思って言ってんだ、…なのに、何で抵抗すんだよ…!」
「やだっ、離し…ぁ…っ?! は…っ!」
ぎゅっ、と私の首にトシちゃんの指がめり込む。
一気に呼吸は出来なくなって、私は目を固く閉じた。
[ 119/129 ][*prev] [next#]
[back]