黒い愛憎の行く末
(いち)
「有難う、それから御免なさい」
笑顔でそう言ったその女を愛したいと、俺は本当に思っていたのかもしれない。
俺に向けられた偽りの愛情すら、心地よく感じていたのだ。
だから、俺の元から去っていったその艶やかな黒髪を、力ずくで取り戻せなかった。
階下へ飛び降りたその背中を抱き締めて、俺の元から逃げ出せないように閉じ込める事が出来たならば…あるいはその姿をそのまま終わらせる事が出来たならば。
そうすれば──
(誰にも渡さずに、すんだかもしんねぇってか?)
一瞬でも馬鹿げた考えが頭をよぎった事を恥じる。
手に入らないから壊すなんて、そんな、そんな…
「やれば良かったのに」
後ろから、そう声が聞こえた。
振り向けば、そこには大和屋の姿があった。
「そんなに手に入れたくて、そんなに手に入らないなら、いっそ殺しちゃえば良かったのに」
「…バカな事ぬかしてんじゃねぇ」
「一瞬でもその考えが浮かんだ癖に、何を強がってんのさ」
「うるせぇな…行動するかどうかは、個人の問題だろ」
「でも、殺せばあの死体はアンタの物になってた」
「あいにく、屍姦には興味ねぇんでな」
「…あの女を殺してくれなきゃ、俺の計画は丸潰れなんだけどな…。はあ。まったく、思い通りにはいかないな」
あーあ、とわざとがましく息を吐いた大和屋は、手に持っていた髑髏を撫でた。
つまらなさそうにする赤い瞳に、俺は小さく舌打ちをする。
しかし大和屋はそんな事は気にならないようで、表情を取り繕わずに俺を見ていた。
「まあ、アンタが駄目でも、まだ手はある」
「…あ?」
「ふふっ、この世界の幕府の犬は、天人と一緒にいる俺には操りやすくて嬉しい限りだよ」
裏のある笑みを浮かべた大和屋。
にんまりと細められたその瞳は、俺がいうのもおかしな話だけれど、狂気に満ちているように感じた。
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