黒い愛憎の行く末
(に)
真選組の朝は、早い。
…なんて、そんな報道をしたのはいつだっただろうか。
とりわけて早くもない時間にパトロールに出掛け、武装警察らしく稽古も行われているこの屯所は、少し前から華がなくなった。
「…おい総悟、いい加減に仕事戻れ」
「なんでさァ、土方さん。この俺がサボっているとでも言うんですかィ?」
「ムカつくアイマスクをして縁側に寝転がっている様を、サボっている以外にどう感じろと? お前なぁ、何に落ち込んでんのか知らねぇが、仕事はちゃんと…」
そう言った俺に、総悟はアイマスクをずらしてこちらを一瞥した。
嘲笑を浮かべた総悟に眉根をひそめ、俺は煙草に火をつける。
紫煙の登るそれをくわえた俺に、総悟がわざとらしい溜め息を吐いた。
「なんでィ、小百合の事はもう忘れちまったんですかィ土方コノヤロー」
「…忘れてなんか、ねぇけどよ」
「俺ァ、小百合に会えないのが悲しくて辛くて傷心中なんでさァ。だからどっか行ってくだせェ」
そう言って再度アイマスクをおろした総悟は、今度こそ俺の言葉を…いや、存在を遮断した。
少し前から、この屯所には小百合がいない。
たったそれだけの事なのに、彼女の俺らに及ぼしていた影響力の強さを身を以て実感した。
「…はぁ」
吐き出した煙は空へと昇る。
そういえば、小百合に「煙たいの、きらい」と拗ねられた事があった。
そんな事を思い出し、微かに胸の奥が暖かくなるような気がした。
華がなくなったのは、確実に小百合がここに来なくなってからだ。
あの底抜けに明るい笑顔で隊士の大半の心を射止めていた小百合。
そんなあいつに会えないとわかった日から、ここの連中は少しずつ腑抜けてしまって仕事がスムーズにいかなくなった。
でかい出動がなかったのは幸いだったが、それでも通常業務に支障はある訳で。
「局長は、何故 小百合ちゃんに暇を出したんですか」
幾度となく投げられたその質問に、近藤さんは答えを渋った。
小百合をここに置いていたら、あの日不可解な事を言ってのけた男の言葉に誑(たぶら)かされ、少女の命を軽んじる奴が出てくるだろう。
間違いなく、危険に晒される。
それを危惧しての行動だ。
けれど、隊士達を疑っているこの状況を、彼ら自身はどう思うだろうか。
「…突き放すように、そう言うんだ。それなら、これくらいしなくちゃ、ダメだろう?」
近藤さんは、心苦しそうにそう言った。
突き放せ。
押して駄目なら引いてみろというその言葉に倣ってみて、それでも駄目なら無理矢理にでも──
きっとそれは、『手に入らないなら小百合を殺してしまえばいい』という案を示唆しているのだろう。
しかし、意中の女の息の根を止めたとて、それは『手に入れた』という事になるのだろうか。
話せぬそれを、愛を語り合えぬそれを、笑い合えぬそれを、はたして振り向いてもらえたと称していいものなのだろうか。
花が綻ぶような小百合の儚い笑顔を思い出しながら、深く煙を吐き出す。
万事屋にあの笑顔を託す事になったのは、苦肉の策である。
本当ならば、この真選組に縛り付けてでも守るべきだったはずなのに。
…そうだ、ほとぼりが冷めたら小百合を茶店にでも連れていこう。
あの柔らかい笑顔も良いけれど、まんじゅうや大福を見た時の子供のような笑顔も可愛らしくて好きだ。
その感情に、深い意味はない。
けれど、他意もない。
俺はあの笑顔をたまらなく愛しく思える。
ただそれだけだ。
すきだ。
だから、自分の物にしたい。
自分の物に、…自分だけの物に。
それには、どうしたらいいのだろう──
そこまで思考を巡らせて、はたと気付いた。
「なに考えてんだ、俺は…」
破壊的なそれを蹴散らすように、煙草の煙を深く吐き出す。
見上げた空は青く澄んでいて、馬鹿げた考えをしていた俺を嘲笑っているかのようだった。
To be continued.
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