幾重もの戸を開けて
(いち)
『……小百合。』
(あ、また。)
こっちの世界に来る日に聞いた声。
耳に染み込む、不思議なそれ。
寝ている間に頭に残るその声は、夢、と言っても良いのだろうか。
『小百合、小百合…』
自分の所在も覚束ない暗闇の中で、その声は私の身体を包み、肌に纏わり付いた。
『…会いたい、早く会いたいよ小百合』
もしかして、私をこっちに喚んだのは……
(貴方なの…?)
訊ねようと唇を動かしても、そこから漏れるのは無音だけだった。
息は出来るのに、声が出ない。
『流れに逆らわずに待っていて、小百合。会いにいくから……』
あいにいくから
その言葉が、やけに頭に響いた。
「ん……、ぬぅ…」
身体がぐらぐらと揺れる感覚に、ゆっくり現実に引き戻される。ふと目を開ければ、私は知らない空間に居た。
どうやら腰掛けた状態で眠っていたらしい。
「おう、小百合起きたか。」
「…ぅお、はよ…ぅ…」
ここは、何処だろう。
唸りながら目をしばたたかせ、ぼうっとしていると、左隣に居たトシちゃんが声をかけた。
「もうちょいで屯所に着くからな」
「…んぅー…」
「お前車苦手みたいだから……、まだ寝てろ」
くるま…?
ああそうだ、お祭りから帰るのに、パトカーっていうのに乗ったんだっけ。
そう思い、目を擦る。
不意に右隣を見れば、そこには身体中に包帯を巻いた総ちゃんの姿があった。向こう側の透明の壁に頭を付けて、どうやら彼は眠っているらしい。
開いた胸元からちらりと見える白い包帯。命に別状があるような傷ではないとさがるんは言っていたけれど、あまり気持ちの良い物ではない。
「こら…寝てろっての」
そう言って、思い切り私の頭を撫でるトシちゃん。
睡眠を許したトシちゃんの言葉に甘え、私は欠伸をひとつ零す。くぁ、と大口を開けて、目尻に滲んだ涙を袖口で拭うと、私はトシちゃんの膝に頭を預けた。
「うおっ、小百合?!」
「寝る…の…」
「だからってお前これは……って、もう寝てるし…!」
ぐらぐらと身体が揺れる。
赤子を抱く母の揺り篭とは違うだろう小刻みな動き。
京の駕籠(かご)はあまり揺れないから、これはあまり体験のない揺れだ。
しかしそれは、確実に私を現から追い出していく。ふんわりとトシちゃんの手が私の頭を撫でていった。
そういえば、新ちゃんにもよくひざ枕をしてあげたり、逆にしてもらってたりしてたっけ。
記憶の端っこから、幸せな想い出が流れてくる。
夢心地、という感じだろうか。
いや、これが夢なのかも。
幸せな幸せな、
過去の…キオク……
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