獅子と臆病者



……あぁ、もう全てどうでもいい。

私を咎める様に見た仲間の、沢山の目が閉じられて、奥底から湧き上がる解放感に身を委ねた。
批判に怯え震えていた気持ちが飲み込まれ、狂喜と訳もない苛立ちが四肢を支配していく感覚が言い様もなくただ心地良い。
この感覚にいつから慣れてしまったのだろうか。
気味が悪いほど軽い身体で日輪刀を振り下ろす。
ギラリと月光を照り返す切先が鬼の首を捉え、臭くてベタつく血を頭から浴びた。
ザクリと肉を斬った感触に、嗜虐的な笑いが腹の底で燻ったのは一瞬で、ぬらりと頬を垂れ落ちる血にカッと怒りが燃え滾った。
くそふざけんな鬼のくせになんて汚いものを吹き出してやがる。あ’’あ’’苛々させんな糞が!!
怒りのままに刃を振るえば、背後から飛びかかってきた鬼の胴を真っ二つに裂いた。
「ぎゃっ」と叫んで、離れた胴と足が地面に落ちてバタバタと蠢く。

「きっもちわりー…」

先刻まで仲間の隊士を貪っていた鬼の、惨めで哀れで醜い様が無性に面白くて堪らない。ふつふつと腹が沸き、引き攣った口元から笑いが漏れた。
再生しようとぶくぶく蠢く胴を刻むように、ただ痛みを与える為だけに突き刺せば、鬼の必死な表情は屈辱に染まって私を睨みつけた。

「てめえ人間のくせに…!!」

「喋んなよ豚」

ぐわっと開かれた口に刃を突き刺した。ぶちゅぶちゅと咥内で血と唾液と舌が混ざり合う音が小気味良い。
面白い!面白い!!血でいっぱいの口の中は、コポコポと小さい泡が踊っている。
喉の奥は見えるかしら。切先で肉の側面を抉れば、あがあがと呻き声が漏れた。
ガチガチガチガチ。
牙が刃にぶつかり耳障りな音を立てる。その音が嫌に神経に触れ、苛ついてぐりっと手首を捻れば、鬼はびくっと身体を震わせて白目を剥いた。
ぁーぉーと呻き声さえ刀に押しつぶされる鬼。
抵抗さえしない。なんて惨めで哀れでかわいいの。
よほど深く刺さっているのか、刀を抜こうと動かせば頭もゆらゆら揺れる。その度に、「あ’’っ」と声が漏れた。
可哀想に。痛いでしょ?かわいそうかわいそう。

「ねぇ痛い?」

あまりにかわいそうで、思わず声をかけた。あぁ、自身の優しさを与えるのってこんなに気持ちの良い事なのね。
事切れたかのように白目を剥いたまま何も答えない鬼に苛立ちが募る。
首も斬ってないのに。

「ねえってば」

ぐりんと鬼の赤い眼が私を捉えた。
ぶわっと沸きたつ殺気に、煽りにも似た笑いが込み上げる。そのとき。

「そこをどけ!!!!」

凛とした声が響いて、反射的に刀を振れば目の前で火花が散った。
声の主から受けた刀の圧と腕力に耐えられずに、私は木の葉のように吹き飛ばされた。無様に木に体を打ちつけて、地面に膝をつく。
ぎ、と鬼の叫びが聞こえて視線を向けると、派手な姿の隊士が鬼の首を切り落としたところだった。
見慣れた隊服に、鬼をいたぶっていた高揚感が一気に消えて、岩を飲み下したかのように重苦しさが広がった。
あーあ、終わっちゃった。仲間が来ちゃった。夢から醒めたみたいにぼーっとする。あぁちがう、本当に夢だったのかも。
だって私みたいな出来損ないが人喰い鬼にあんな芸当できるわけないもんね。
暗闇に浮かぶ白い羽織の後ろ姿が、まるで悪魔みたいに見えた。

「よもや、これは君がやったのか…?」

突然の男の声に、殺戮の快楽に浸っていた心臓がひゅっと縮こまった。
闇夜に転がる十数人の隊士の亡骸や、あちらこちらで風にはためく無数の鬼の衣。改めて見ると地獄絵図のよう。
ざりっと音を立てて、隊士が近づいてきた。
派手な金色の髪に白い羽織り。暗闇でも爛々と輝く瞳を辺りに彷徨わせ、つ、と私を見据えた。彼が一歩踏み出す度にびりびりとした迫力が肌を泡立たせた。
強靭な圧力。逃げ出したくなる。
あぁ…この人は強い人だ。怖い。強い人は怖いから嫌い。さっきの一撃も、私じゃまるで歯が立たなかった。
伏せた視界に影がかかり顔を上げると、月を背に私を見下ろす男と目が合った。瞬間、今までの自分の戦いを声高に怒られているような気がしてはっと目を逸らした。
そんな私を、見透かすように大きな瞳が見つめる。
嫌な汗が止まらない。散々鬼を痛ぶった数分前が思い出されて、無言で責められているかのような気分になる。
嫌、見ないで。怖い。ごめんなさい。たくさん仲間を死なせてごめんなさい。調子に乗って鬼を殺してごめんなさい。怖い、怖い、怖い。
ぎゅっと目を瞑る。この人の目に映りたくなかった。

「……立ちなさい。任務は終わった。」

目の前に手が差し出されて、それが私に向けられた手だと理解するのに時間がかかった。
どくん、どくんと動悸が鳴り、脂汗が背中を伝う。震える指先を、彼の手に添えた。
大きな固い手にぐいっと引っ張られて腰を上げれば、さっきまで馬鹿みたいに軽かった体が泥水を吸いこんだように重かった。
ぱ、と手を離されて、重心を保てない体がよろける。おずおずと視線を上げれば、彼は自分の鎹鴉に言伝を頼んでいたところだった。あの瞳が私を見ていないことに少しほっとしたのも束の間。くるっと私に振り向いた彼は、爛々と目を輝かせて言い放った。 

「君!よく生き残ったな!俺は炎柱、煉獄杏寿朗だ!!」

溌剌とした声が夜闇に響き渡り、まるで月までその声が届いたみたいに、雲隠れしていた月光が彼の顔を鮮明に照らす。
精悍な顔だった。
柱…柱、強くて、絶対に正しい人。
弱くて惨めな私が、1番嫌いな人種だった。






鬼の気配を頼りに進んでいくと、幾人もの隊士が地面に転がっていた。生きてる者はいないかと視線を巡らせても、その死に様がもはや命は無いと語っていた。微かな声が風に乗り俺の耳に届く。木々の向こう、少し開けたところで隊員がうずくまっているのが見えた。女性か…傍に転がるのは鬼。駆ける足を早める。鬼は倒れているとはいえ、一瞬で喉笛に噛み付かれそうなほど近くで鬼を覗き込んでいる。何をやっている、と声をかけようとしたその瞬間。ぶわっと鬼から殺気が放たれ、俺は全力で地面を蹴った。

「では、生き残った子は1人だけだったんだね」

お館様の穏やかな声が、暗い部屋に響いた。 
俺の報告を脳裏に描いておられるのか、薄い瞼は閉じられている。

「は!彼女は俺の刀の振りを見事受け止めました!!傷も負っておらず、おそらく大半の鬼は彼女が仕留めたのかと!」

蝋燭の炎が揺れ、お館様を照らした。
思い返せば、なんとも不思議な少女だった。彼女の周りにだけ消えた鬼の衣が散乱していたし、俺が報告した通り、鬼のほとんどを彼女が倒したのは間違いない。刃の切先のような雰囲気を纏って背後からの俺の一撃を受けた姿。火花に一瞬煌めいた瞳はいまだ脳裏に焼きついている。あの瞬間を思い出すたびに、興奮が鳥肌を走らせる。
しかし、あれだけの数の鬼を倒していながら、俺の刀の速度に追いつくほどの反射神経を持っていながら、対面した少女は酷くおどおどとして俺に怯えているように見えた。
俺の考えを察したのか、お館様が口を開く。

「あの子は不思議な子なんだよ。
己で己を傷つけて、それ埋めるように鬼を倒す。自分を嫌うほど彼女の刃は速く鋭くなっていくんだ。それが正しいとは、私は言ってやれないけれど…」

穏やかに揺らぐ声が、少し悲しげに沈んだ。
お館様の言葉はわかるようでわからないようで…
うむ!わからん!!
思いが俺の顔に出ていたのか、お館様は優しく笑った。

「自分を信じることで強くなる杏寿朗とは、正反対の強さだからね。人の強さの原動力は人それぞれだ。わかっておやり」

「は!!」

深く頭を垂れて承諾の意を示せば、お館様は静かに微笑んで、報告会は終わりとなった。








強い人が嫌いです。
弱い自分はもっと嫌いです。
死ぬほど嫌いです。
強い人は、その強さゆえに弱い人のことをわかってくれません。わかる必要もないんです。
だって強い人が全て正しいから。
強い人の優しさが嫌いです。強い人にしか解らない正義感と道徳に乗っ取った、どこか突き放すような優しさが嫌いです。
そんな優しさに触れると自分の無様さに飲み込まれて死にたくなります。
強い人の端的な指示はよく理解できません。グズでトロい私の脳みそでは、強い人がなぜその指示を出したのかも分からず、一寸先に迫る死に怯えて言われたことをこなすのに精一杯です。必死に出した私の解はいつも見当外れで、強い人の呆れた目が私の自尊心やらちっぽけな矜持をずたずたに引き裂きます。
それは痛くて痛くてしょうがないけど、私が弱いせいなのだから、私なんて死ねばいいのにと思いながら、膿んだ傷口をよく見えるように解剖して改善点を見つけるしかないのです。痛いのです。
強い人は沢山沢山私を傷つけます。
それは嫌になる程正しくて、傷つけられる弱い私が間違っていて、でもこの痛みすら間違いだとするなら私は私をどこまで否定すれば強く正しくなれるのかもわからず、結局答えなんて見つからないまま空っぽのまま虚しく笑顔を張り付けるしかないのです。
だから、強い人が嫌いです。
……そんな強さの権化みたいな人が目の前にいます。

「俺の継子にならないか!!!!」

「…」

真正面から私を見据える瞳から、そっと視線を外した。
辛うじて笑みを保っている口元が引き攣る。
怖い。無遠慮に見下ろしてくる目と気迫が怖い。馬鹿でかい声に萎縮してしまう。

「俺の継子にならないか!!!!」

怖い怖い怖い。
なんで突然継子!?
なりません逸らした目で察してくださいお願いします。
任務がお休みの日に街に出たら先日遭遇した炎柱様にとっ捕まってしまいました。めちゃくちゃ目立つ金髪頭の大男にずるずると人目の無い通りに連れて行かれて身の危険を感じていたら継子ですってよ。呑気に歩いていた自分を呪う。
取り巻く事態が飲み込めなくて、目がぐるぐる回る。でも頭の方はパニックになって全然回らない。ちくしょう。
炎柱様の継子になった瞬間、鬼殺隊士からなんでクソ弱のてめーがって罵詈雑言の嵐が吹き荒ぶ未来しか見えないし、私もこんな怖くて凄い人の継子になったら精神病んで自滅するので丁重にお断りしたいんだけれど。
炎柱様の言い方が「ならないか?(誘い)」じゃなくて「ならないか(確定)」だし、強い人の、ましてや柱の誘いをクソ雑魚の私なんかが断れるはずがないのである。
なので、先ほどからあうあうと情けない声と必死の愛想笑いでなんとか逃げようとしているのに、炎柱様の大きな上背とじっと見つめる瞳の迫力に退路を絶たれてしまっていた。

「継子にならないかと言っている!!!!」 

「き、聞こえてます…すみません」

「よもや!聞こえていたとは!!」

はっはっはっと笑う炎柱様。
ぎょろっとした目はどこを見ているのかわからない。
……え、ほんとにどこ見てるの?怖い……

「すみません、あの、なんで私……じゃなくて、えっと、すみません、私じゃ継子には」

うまく言葉が出てこなくて無意味に謝ってしまう。情けなくて恥ずかしい。

「うむ!そんなに謝ることではないぞ!緊張もしなくていい!」

炎柱様の言葉に、カァっと顔が熱くなる。彼の目にはさぞ滑稽な私が映っているのだろうかと無意識に考えてしまい、慌ててそんな思いをかき消した。自意識過剰だ。被害妄想が過ぎてる。

「…私より、継子に相応しい隊士は沢山います。
あの、私では炎柱様のご期待に添えるかわかりません…!」

私の言葉に、またはっはっはっ!と笑う炎柱様。
いや、笑い事じゃないですってば。本気で言ってるのに。

「俺が、君の強さは継子に値すると判断した!
これ以上の理由はないだろう!!」

馬鹿でかい声で放たれる言葉に耳を疑った。強くなんかないのに。私の何を知ってるの?鬼よりも仲間の隊士に怯えてしまうんだよ。継子なんてなったら、情けない醜態を晒しまくってあっという間に炎柱様をがっかりさせるに違いない。またあの呆れた目で見られるんだ。ぎゅっと袖を握る私に、炎柱様が顔を近づけた。

「それに、君の強さは俺の強さと根本的な部分から違うらしい。俺がさらに強くなるためにも、是非君と稽古がしたい!」

よく通る声が私の胸を震わせて、困惑と恐怖と、僅かな期待を掻き混ぜる。私に継子が務まるわけがない、やめておけ、と胸の奥で囁く声がする。
炎柱様を見上げれば、大きな瞳と目があった。飲み込まれそうな圧に怯むのをぐっと耐え、言葉の真偽を定めるようにその瞳を覗き込む。
この人の声は不思議だ。最初は怖くてよく聞こえてなかったけれど、耳を傾ければ言葉が真っ直ぐ心に届いてくる。
私の心臓は静かに高鳴り始めていた。
こんな言葉で嬉しくなって、無責任に頷いてしまいそうな自分に嫌気がさす。強い人に近づけば近づくほど傷ついて自分を嫌いになることなんてわかってるのに。

「俺の継子になってくれ!!!!」

ガシリと急に肩を掴まれて、心臓が口から飛び出そうになった。一瞬でまたパニックに陥った私は思わず首を縦に振ってしまったのだった。
通りに炎柱様の笑い声が響いた。





見下ろした娘はひどく小さく見えた。
おどおどしながら困ったように愛想笑いを浮かべる様子に申し訳なくなるが、何日も彼女を探し、ようやく見つけたこの機会を決して逃すものかと俺の決意は固い。
あの夜の姿が忘れられない。もう一度彼女の剣技を見たい。共に戦えたらどれだけ頼もしいだろう。

「俺の継子にならないか!!!!」

声をかけるたびにびくっと肩が跳ねる。自分の声が大きいのは承知していたがここまで機敏に反応されるのは些か心が痛んだ。
しかしこの少女、押せば流されそうな風体をしているのになかなか強情で、頑なに首を振らない。
彼女を継ぐ子にしたいという俺の心情を正直に伝えれば、ふと顔が上げられ目が合った。
探るように俺を見つめる瞳。初めて会った夜の、彼女の鋭い雰囲気が思い出されて、腹の底から熱い興奮が湧き上がった。
衝動的に肩を掴み「俺の継子になってくれ!!!!」と頼み込んでいた。
よもや!これほど己を律せぬとは情けない!!
彼女はというと目を白黒させて、こくこくと頷いた。
納得した上での承諾ではないのは見て取れる。
だがこれで、晴れて彼女は俺の継子だ。
稽古が楽しみで仕方がないな!あの強さを間近で見られるとは!!
うむ!!めでたい!!!! 
俺の笑い声が響いた。





「遅い!!!!」

足を引っ掛けられ、顔から地面に叩きつけられた。飛びかかった勢いのまま地面と衝突したものだから、存分に砂利に頬を擦り付ける。

「立て!いつまでも地面で伸びていては鬼に食い殺されるぞ!!」

まだ転がってから1秒も経ってないですけど!!
心の叫びを噛み殺してばっと体を上げれば炎柱様の竹刀が目の前に迫り、視界に火花が散った。
朝から稽古が始まり、煉獄家の庭にはもう西日が差していた。何度も何度も地面に叩きつけられて体中が痛い。そんな私とは対照的に、炎柱様の道着は泥一つ付いてない。それどころか息をあげる瞬間もなかった。自分が情けなくなる。
やっぱり私が継子なんて、間違ってたんだ。
煉獄家の門をくぐった自分を呪った。
街中で炎柱様に出会ってから1週間。煉獄家に住み込みで稽古を初めてから5日。朝から晩まで徹底的に叩きのめされるだけで、何の進歩もない。炎柱様の怒声を聞く度に体が強張って言うことを聞かなくなっていく。同じことを何度も注意され、真夜中の布団の中で死にたくなる。きっと炎柱様は想像以上に私が弱くて呆れているだろう。継子にしたことを後悔しているかもしれない。

「む、日が暮れたな!稽古は終いにしよう!!」

彼の声が夕闇に響いた。
気づけば東の空には一番星が輝いている。

「……はい」

疲労で掠れた声が漏れた。
返事くらいもっとハキハキできないもんかね。
じゃりっと炎柱様が横を通り過ぎた。稽古時の彼の怒声が思い出されて、体が強張る。ふわりと炎柱様の匂いが鼻先を掠めた。腹が減ったな!と明るい声が夕暮れの庭に響いて、無意識にほっと息をついたのだった。
夕餉の支度ができました、と屋敷から千寿朗くんの声がした。



「うまい!」

炎柱様の声に、千寿朗くんが嬉しそうに笑った。  
あっという間に空になった煉獄さんのお茶碗をいそいそと受け取り、こんもりと白米を盛って返す千寿郎くん。

「なまえさん、お口に合いますか?」 

黙々とお箸を進める私に、朗らかに千寿郎くんが聞いてくれる。

「はい、美味しいです」

手を止め彼に微笑みかければ、それはそれは嬉しそうに笑ってくれた。可愛いなぁ。初めて会った時は炎柱様にそっくりすぎて驚いたけど。

「なまえ!今日の稽古はどうだった!!」

炎柱様の問いに、ピシリと固まった。 
情けない稽古の様子を思い出して、視線が落ちる。

「えっと……」

なんて答えるのが正解なの、考えろ私。辛かったです?楽しかったです??いや柱の稽古舐めてんのか!! 

「自分の実力不足を、痛感しました…」

「む!当たり前だな!!」

ぐさりと刺さる。悪意が無いのは分かってるんだけど、私の脳内卑屈語変換器が勝手に心を傷つけるから、曖昧に笑うしかなかった。 

「すみません…」

小さな声で謝る私を、困り顔の千寿朗くんが物言いたげに見上げた。不甲斐ない自分が恥ずかしくて視線に気づかないふりをした。

「型は完璧にできているが、常に間ができている!思い切り踏み込んでこい!!」

「はい」

昨日と同じことを注意される。一昨日もその前の日も同じ。理解してるつもりだけど、実践してるけど、また見当違いなことをしている気がした。
消えたくなる。私なんでこんな簡単なことが出来ないんだろう。
味のしなくなったおかずを咀嚼する。
やっぱり強い人の言葉を、鈍臭い私の脳みそじゃ理解できないんだ。
どうしようずっとわからないままだったら。
(………聞けばいいじゃない。
具体的にどうすればいいのか。)
心の奥で、自分の問いに答える声がする。
そんな簡単なこと聞くの?こんなに分かりやすい言葉で教えてくれてるのに??
(聞くんだよ。馬鹿な頭じゃわかんないんだから。)
…怖い。
(さっさと聞けよ。)
(ほら。
御託はいいから聞け!!!!)

「あの…!!」

炎柱様と千寿朗くんがぐりんっとこっちを見た。
言葉が喉に張り付いて形にならない。

「えっと、さっきのお話なんですけど、わからなくて…すみません、具体的に……」

頭が真っ白になって、無意識に謝ってしまう。お箸を持った手が小さく震えていて情けない。

「わからなかったか!」

よもや!と声を上げる炎柱様に無性に申し訳なくなる。ごめんなさい、あんなに稽古をつけてくださっているのに。

「なまえ!君は技を繰り出す直前に足運びも刀も遅くなる!最初に注意した時から刀を振るう速度は上がったが、技の前で間があっては太刀筋がまる見えだ!!」

お箸を持ったまま、炎柱様は刀を振る真似をした。

「…はい」

すとん、と炎柱様の言葉が胸に落ちた。
自分の動きが客観的に脳内で再生されていく。

「この技を出すのだと決めたら、何も考えず思い切り振り切るといい!型は良く体に染み付いている!君なら太刀筋がぶれることはない!!」

炎柱様の視線は真っ直ぐ私を見つめていた。
その瞳には呆れも失望もない。途方もなく安心する。 

「…はい!」

しっかりと頷いた私を見て、炎柱様はにっこり笑った。
そんな笑顔を誰かから向けられたのは久しかったから、無性に照れ臭くて下手くそな笑顔が口元を崩した。
その後、明日は任務だからと炎柱様のあとにお風呂を頂いて自室に戻れば、昼間の稽古が嘘のように屋敷内は静まり返っていた。こんな広い屋敷に親子3人ぽっちで住んでるんだもんね。当たり前か。ちなみに炎柱様の父上にはまだお会いしてない。挨拶に出向いたが襖の向こうで居留守を使われた。
開け放した障子は縁側に面していて、晴れた夜空に明るい満月がよく見えた。穏やかに流れてくる夜の空気が心地よい。
耳をすませば、炎柱様も千寿朗くんも寝付いたようで物音ひとつしなかった。

「よし、やるか」

清潔な道着に着替え、日輪刀を携えて庭に出る。
皆が寝静まってから始める特訓。初日は緊張と萎縮で散々だった稽古が変に体に癖つかないよう、自由に刀を振るう時間だった。
夕餉の時の、炎柱様の言葉を反芻する。
間、というのは恐らく自分の迷いからくるものだ。
稽古の時、この型でいいのかとかまた注意されるかもとか無駄なことを沢山考えてしまっている。
そういえば炎柱様に思い切り刀を振ったことないなぁ、とふと気付いた。いや、いつも全力で挑んではいる。ただ常に迷いがあって、炎柱様の声に怯えていた。
日輪刀を構えて目を閉じる。

「技を出す前、振り下ろす直前の間…」

周りの巻藁が全て鬼だとイメージする。
あの夜の記憶。今まで殺してきた鬼たち。
1人きりで鬼と対峙する時はいつも、何にも怯える必要がないからひどく楽しい。
ふつふつと高揚感が湧き上がり口元に笑みが溢れる。
深く、深く息を吸った。







自室で報告書を書いていた。
いやはや、結構な時間がかかってしまったな!
なまえが継子として来てから、任務以外の日中は全て稽古に充てていたため、かなりの書き仕事が溜まっていた。いつもだったら眠っている時間なのでもう既に瞼が重い。
それにしても、なまえのあの強さはどうしたら引き出せるのだろうか。竹刀を持てば変わるやもと思っていたがそうでもないらしい。相変わらず俺の声に怯えて、不自然な動きばかりであった。
師範たるもの、教え子の心も開いてやれぬとは。
む、いかん。また手が止まっていた。
さて取り組もうと筆に墨をつける。
その時だった。
静まり返った屋敷の中で、ちり、と殺気を感じ、机から視線をあげる。
鬼、ではないな。今時分に道場破りか、腕の立つ不埒者か。
感覚を研ぎ澄ませば肌がざわつくような気配を感じて、日輪刀を手に部屋を出た。
風を切る音を頼りに進んでいけば、満月が照らす庭でなまえがひとり刃を振るっていた。
びりっと辺りを切り裂くかのような雰囲気。月光をその細い身体に受け、右へ左へと飛び回る。昼間の不恰好ともいえるなまえとは別人だった。地を駆ける音すら立てず、まるで自身が刃であるかのように風を切り刀を振る姿に、俺は思わず目を奪われてしまったのだった。
縁側の柱に寄りかかり、なまえを目で追う。「間がある」とは言ったものの、今の彼女は息を呑むほど洗練された身のこなしで、無駄な動きはひとつもない。一向に速度の落ちぬ足と、僅かに聴こえる呼吸音。
よもや、全集中常中を会得しているのか…。しかしそれでは昼間の稽古はなんだ。息も絶え絶えで、足ももつれて、俺の迫に容易に飲み込まれていたではないか。それもひどく怯えた様子で。
怯えていた…?
思い返せば、初めて会ったあの夜も俺が現れた途端にこの鋭い雰囲気は途絶えてしまった。手を差し伸べた時には怯えた目で俺を見ていた。

……よもや!!!!俺が怖いのか!!!!

ぴしゃーん!と雷に打たれような衝撃が身体を突き抜けた。
師範が継子を怯えさせて稽古も満足につけられないとは!!情けない!!!!
愕然とした思いと申し訳なさと悔しさと、様々な思いが湧き上がり、思わずなまえを見る。
俺の思いなど露ほども知らぬなまえは、軽々と地を蹴り庭を駆ける。月光を受けて、彼女の瞳がきらりと光った。どうしようもなく目で追ってしまうほど綺麗だった。
なまえの姿を目に焼き付けながら、どうしたものかと溜息をつく。
夜は刻々と更けていった。


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