わたし西向きゃ、きみ東 | ナノ
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06



おかしいな、箸がない。

弁当袋の中を確認するが、先ほどまでは確かにあったそれは、どこにも見当たらなかった。

困ったなぁ、と小さくため息をこぼした時、脳裏をよぎったのは一人の無邪気な少女だった。彼女には、本人すら知らないうちに、無くなった上履きを見つけてもらったことがある。頼めば笑顔で快諾してくれるだろうが、ボクごときのために、そう何度も彼女の手を煩わせるのは気が引けた。

腰を上げて教室をうろつく。この短時間で無くなったということは……とゴミ箱を覗くと、案の定、箸ケースが放り込まれていた。さすがにこれを使うのは嫌だから、食堂の割り箸をもらってこよう。

埃を払ってカバンにしまい、弁当袋をつかんで教室を出た。食堂を目指して歩きながら、先ほど思い浮かべた少女のことを考えていた。

みょうじなまえ、それが彼女の名前だ。一つ下の学年で、お菓子や香りの良いものが好きな、どこにでもいそうな女の子。だけど、ただ一つ、彼女には決定的な特異性がある。嗅覚が常人より遥かに優れているのだ。

とても素晴らしいことなのに、彼女はそれを隠したがっているようだった。力のない者は時に徒党を組んで、才能のあるものを潰そうとする。恐らく無能な奴らに排除された経験があるのだろう。





「狛枝先輩、こんにちは!」

理科室は人気もなく、掃除もわりと行き届いているので気に入っている。いつものように床へ座り、机に隠れて昼食を取っていると、彼女がやってきて隣に座った。

「こんにちは、みょうじさん」

「質問、いいですか?」

「もちろんだよ!ボクなんかが力になれるのなら、喜んでそうするよ!」

箸を止め、差し出された教科書を覗き込む。その際、持参した弁当袋を彼女が脇へ置いたのに気づいた。今日は一緒にお昼を食べるつもりで来ているのか。最近続くな、と思いながら、いくつかの疑問に答えていく。

「ありがとうございます!分かりました!」

「役に立てて良かったよ」

「はい!また一人で解いてみますね」

言うや否や、地面にノートを広げる。彼女が背中を丸め、一生懸命になって問題を解く姿が好きだった。

やがて、できるようになったことを喜び、彼女は再び礼を述べた。おずおずと弁当袋を取り出し、「一緒に食べてもいいですか?」と尋ねる。「もちろん」と笑顔を向ければ安堵したように、袋を開けた。

「最近、いつもボクと食べてるけどいいの?」

なんでもない風に問いかけたら、小さな体がぎこちなく揺れた。それでも「はい!先輩といられて嬉しいです」なんて真面目に返してくれる。

「前、よく一緒にいた子は?あの、結構ハキハキした感じの……。夏休みが明けてからあんまり見かけないけど」

「えっと、最近、委員会とかで忙しいみたいで……」

他にもいくつか理由を上げるのを聞きながら、手がもじもじと動くのを見た。嘘をつく時、カーディガンの袖口を引っ張るのがみょうじさんの癖だ。まだ暑さの残る九月、半袖を着ているせいで、隠れる場所のない小さな手は、ひどく居心地悪そうにうごめいていた。





『みょうじなまえのこと、どう思ってますか?』

怖いものなど何一つないような、躊躇いのない視線がボクを射抜いたことを思い出す。ある日の放課後、ボクを呼び止めたのは、みょうじさんの友人だった。

『どうって……可愛い後輩だと思ってるよ』

『それは良かったです。……じゃあ、あの子が最近、やけに不幸な目にあっているのは知ってますか?』

警戒心をむき出しにしながら、彼女が言う。ボクは初めて知ったことのように驚いてみせ、『例えば?』と促した。

『自転車が壊れたり、家の鍵なくしたり。夜道で痴漢にあったとかも聞きました。あと、怪我が絶えません』

『それは心配になるね……』

聞いた話もあれば、知らない話もあった。ボクが困ったような声を出すと、初めて彼女が言葉を選ぶような態度を見せた。

『狛枝先輩は、……噂なんか信じて悪いんですけど、一緒にいる人を不幸にするって聞きました。それって何でですか?何か、心当たりはありますか?別に、責めたいわけじゃないんです。ただ、あの子が傷つくのは見たくないから……』

最後まで視線もそらさず言い切った彼女が、ボクを通して見ているだろうみょうじさんの姿を、一緒になって瞼にえがいてみる。あの屈託のない笑顔に惹かれる人がボク以外にいたって、なんら不思議ではない。でも、邪魔だと思う。希望が輝くために必要なのは、同等の希望だ。ボクがそれになれるなんておこがましいことは思わないけれど、何も持たない目の前の彼女に比べたら、まだマシなように感じる。

『愛されてるね』

彼女が怪訝な顔をした。ボクはうつむき、自然と上がる口角を抑えようと努める。

『キミが聞いた噂は正しいよ。ボクのせいで不幸になった人はたくさんいるから……』

『それって、どういうことなんですか?』

『そのままの意味だよ。ボクの側にいる人はみんな、不幸になるんだ。みょうじさんも例外じゃないと思うよ』

目の前の少女が嫌悪感を露わにしたのに気づきながら、ボクは言葉を続けた。

『ボクもみょうじさんのような優しい子が傷つくのは悲しいよ。でも、それでより希望が輝くのなら、仕方のない対価だと思わない?』

『はぁ……?』

『彼女は本当に素晴らしい人間なんだ。ボクの与える不幸を乗り越えて、いつも希望を見出してくれる。そんな彼女が認めてくれたボクの能力は、彼女がより高みに行くための踏み台として使うのが然るべきだろ?君に同じことができる?できないよね?』

途中から興奮気味に語り出したせいで、みるみるうちに相手の顔色が悪くなる。

得体の知れないものを見るような目を向けられて、無理もないと思う。平凡で退屈な人達には、到底ボクの考えは理解できないだろう。彼らはいつだって、能力を持つものから搾取することしか考えていないのだから。

けど、失敗したかもしれない。つい夢中になって熱く話してしまったけれど、彼女がみょうじさんに、有ること無いこと吹き込んだらどうしよう。さすがに避けられてしまうかな。会えなくなるのは嫌だなあ。

みょうじさんだけなんだよ。ボクをあんなにキラキラした目で見てくれるのは。希望や才能を差し引いても、彼女の側にいるのは心地がいいのに。





「わっ……!」

鈍い音と小さな悲鳴に意識を引き戻される。顔を上げると彼女が水筒の蓋を持って固まっていた。床に転がる水筒の本体と、膝の上に置かれた水浸しの弁当箱。どうやらお茶を飲もうと手にした水筒が、きちんと閉まっていなかったらしい。蓋から下を落としたせいで、弁当だけでなくスカートまでびしょ濡れになっていた。

「大丈夫?」

慌ててハンカチを取り出し、スカートを拭いてやろうとするが、押し返されてしまう。そうか、洗濯してあるとはいえ、ボクのハンカチをなすりつけられるのは嫌だよね、と思ったら、彼女はポケットから自分のハンカチを取り出して笑った。

「先輩のハンカチが汚れちゃいます!前にチョコ拭いてもらっちゃってすみませんでした!あの時、ハンカチ鞄に入れたままにしてたの恥ずかしくて、今はちゃんと持ち歩いてるんです!だから大丈夫です!」

必死に説明しているのは、失敗を恥じる気持ちもあるのだろうか。ボクはそんなの気にしないのに。むしろ、小さな不幸をこうして次の希望に結びつける姿に、さすがみょうじさんだと考える。

彼女はお弁当をどかし、スカートをぱたぱたと拭いていた。途中でとても拭き切れる量じゃないと気づいたらしく、その場で膝立ちになる。何をするのかと思ったらスカートを両手でぎゅっと握り、「しぼれますね」と笑っていた。そのせいで腿まで見えているのに気づいていないようだ。やっぱりボクは幸運だなあと、その様子を眺めながら卵焼きを咀嚼した。

「着替えある?」

彼女がはっとして首を横に振る。

「ないです……」

眉尻を下げ、困り顔になった。むくむくと膨れ上がるのは庇護欲というやつかもしれない。

「長袖長ズボンのジャージでよければ貸そうか?サイズが大きいかもだけど……」

「えっ!助かりますけど……、いいんですか?」

「気にしないで。体育では半ズボンを履いてるから。すぐに取ってくるね」

ありがとうございます、と申し訳なさそうに頭をさげる。むしろボクなんかのジャージを着てくれることに、感謝したいくらいだ。

立ち上がり、スカートを拭く彼女を置いて理科室を出る。廊下に人の気配を感じて振り返ると、走り去っていく後ろ姿があった。見覚えのある髪型に、みょうじさんの友人かと納得する。正面から睨みつけ、「なまえにもう近づかないで!」と吐き捨てた力強さは、今ではすっかり消え失せていた。

仕方ないよね、みょうじさんの方から近づいてくるんだから。それにしても、付き合いの長い彼女よりボクといることを選んでくれたなんて光栄だなぁ。ボクは本当についてるね!



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160923