わたし西向きゃ、きみ東 | ナノ
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04




いくら経っても狛枝先輩が待ち合わせ場所に現れない。不安になって、日時を間違えたかと、携帯の予定帳を何度も開いた。その回数が二十を越えたころ、風に乗って運ばれてきた彼の香りに、心がみるみる癒されていった。

「おーい!ごめん!みょうじさん……!」

手を振りながら声をあげて走ってくるので、嗅覚がなくてもすぐに見つけられたと思う。私は胸いっぱいに息を吸い込むと、目の前に来た彼に微笑んだ。

「こんにちは、狛枝先輩!」

「ごめん……随分待たせちゃったね……」

彼は腕時計を確認して青ざめる。確かに待ち合わせの時間から、三時間ほど過ぎていた。

「いえ!無事でよかったです!メールも返信ないから、何かあったのかと思って……」

「本当にごめんね。携帯電話は落とした弾みに車道に出て轢かれちゃって……。電車は人身事故ですごく遅れてたんだ。……みょうじさんは電車じゃないの?」

「はい、私は電車が苦手なんで自転車で来ました!近くの駐輪場に停めてます。それより携帯大丈夫ですか?」

私が心配して覗き込むと、彼はポケットから携帯電話の残骸を取り出した。

「見ての通りだよ」

「うわあ……。先に携帯ショップ行きましょうか!あ、でもおうちの人いないと買えませんよね……?」

「一人でも買えるけど、別に大丈夫だよ。今度行くから。それよりボクは君にお詫びがしたいから、どこかで奢らせてくれないかな?」

「それこそ気にしないでください!私、狛枝先輩と連絡つかなくなっちゃうほうが怖いですっ!」

言ってから、甘えたことを口走ったことに気づき、羞恥心がわきあがる。慌てて「は、はぐれたりしたら、それに、何か事故があったらって思うと心配で」と付け足す。狛枝先輩は私の主張に納得してくれたようで、しばらく手を顎に添えて考え込んでいた。やがて顔をあげると「確かに。ボクもみょうじさんとメールができなくなるのは寂しいな」と笑ってくれた。

「そしたら、先に携帯ショップへ行っていい?それから、おいしいパフェの店に連れてくよ」

「ありがとうございます!」

私たちは人の流れに紛れて歩き出す。狛枝先輩と並んで歩く非日常に、胸の奥がくすぐったくなった。パーカーの裾を整えるように伸ばしながら、にやけそうな口元を我慢した。





「本当に、本当にいいんですか?」

何度もしつこく確認する私に嫌な顔一つせず、狛枝先輩は柔らかく笑う。

「うん。遠慮せず食べて」

彼が私の目の前にある大きなパフェを示しながら言ったタイミングで、店員さんがアイスクリームを持ってきた。狛枝先輩がスプーンをとり、それを口に含むのを見て、ようやく決心を固める。ぱんっと両手を顔の前で合わせて、深々と頭を下げる。

「ほんっとーにありがとうございます!」

「いいんだよ。遅刻しちゃったお詫びなんだから。それに、携帯ショップやブランド店にも付き合ってもらっちゃったからね」

そう言って掲げた新しい携帯電話には、アメーバがぶら下がっている。狛枝先輩は、私にくれたものと似たデザインのストラップを購入して、その場でつけていた。

「私たくさん楽しかったのに、こうしてパフェまで食べられて幸せです!いただきますね!」

私は思い切りパフェの匂いを嗅ぐ。先ほどまで冷蔵庫に入っていたような、透明で冷えた香りが肺を満たすのを感じた。

「そういえば」イチゴを口に放り込んだタイミングで、彼が思いついたように言う。「みょうじさんって、いつも何か食べる時、思い切り息を吸い込んでるよね。癖?」

言われて、自分の行動を思い返すけれど、記憶になかった。私は首をかしげながら、次のフルーツに着手する。

「全然気にしてませんでした……。たぶんそうですね、癖です!」

「そう。前から気になってたんだけど、君の嗅覚は先天性のものなの?」

「先天性って生まれつきかってことですよね?違いますよ〜」

私は食べながらかいつまんで説明する。母親の料理が壊滅的に下手で、しょっちゅう毒が紛れ込んでいたこと。小学校低学年の頃には、嗅覚で料理の異物を避けられるようになってきたこと。狛枝先輩は熱心に話を聞いてくれていて、なんだか照れくさくなった。

「へぇ……なるほどね。そういえばさっき、電車が苦手って言ってたけど、それは嗅覚のせい?」

「あ、はい!そうなんですよね。狭い場所とか、匂いがこもりやすい場所は苦手で……」

「マスクなんかじゃ防げないの?」

マスク、と繰り返したら、狛枝先輩が「普通の、風邪ひいたときにつけるような」と補足する。私はあまり風邪をひかないので、ほとんど着用したことがなかったけれど、小学生の時は給食の準備で身に着けていたかもしれない。首をかしげて記憶をたどるけど、給食の匂いは問題なく嗅ぎ取っていた気がする。

「うーん。マスクじゃ気休め程度かもしれません……」

「そうか。みょうじさんの嗅覚は本当に優れているんだね」

感心したように言われると、ますます恥ずかしくなる。

「というか狛枝先輩!アイス、溶けてますよ〜」

「あぁ。本当だ。みょうじさんの話が興味深かったから……」

眉尻を下げて笑う狛枝先輩が、溶けたアイスをスプーンにのせてなめた。私はふと思い立って、パフェに乗っていたイチゴをその器に転がした。

「先輩、よかったらあげます。あ、このサクサクのやつもいりますか?」

「え?いいよ。みょうじさんのだよ」

「くれたのは狛枝先輩です」

それに、と生クリームとスナック菓子をすくいあげ、照れくささに視線を落としながら笑う。

「私も幸せのおすそわけができたらいいなぁ、と思いまして」

いつももらってばかりだから、私も彼に返したい。そんな思いでスプーンを再び彼のアイスの入った器へ近づけた。しかし、それが届く前に、右手首を握られる。えっ、と戸惑いの言葉を上げる前に、狛枝先輩に誘導されてスプーンが持ち上げられた。彼は前かがみになって身を乗り出すと、スプーンの生クリームを直接食べた。しばらくもぐもぐやっていた彼はごくりと飲み込んで満面の笑みを浮かべる。

「おいしいよ!ありがとう」

潔く解放された手首が、力なく元の場所へ戻っていく。胸の奥がむずがゆくてどうしようもなくなった。ほっぺも火照ってきて、狛枝先輩のしたことが、まったく理解できない。握られた手首や、狛枝先輩が口を付けたスプーンが、私の思考を埋め尽くす。この後どう動くのが正解なのかわからなくて、身動きが取れなくなった。

「どうしたの?みょうじさん。ボクも食べさせようか?」

「へっ、あ、大丈夫です!!」

私はごまかすようにスプーンでがっつりと生クリームをすくった。それを口につっこんでから、狛枝先輩の香りを強く意識してむせた。間接キスだ。間接キスをしてしまった!ドキドキしている自分がひどくいやらしく感じて、涙ぐむ。

「お、おいしいです」

「涙目になるほど喜んでもらえるなんて……光栄だよ!」

狛枝先輩が手放しに喜ぶので、私は何も言えない。苺をひたすら口の中へ詰め込むことで、平常心を取り戻そうとした。





「狛枝先輩、今日はありがとうございました」

自転車を押して駅前に向かい、彼に別れを告げた。深々と下げた頭を戻すと、満面の笑みに迎えられる。

「また遊んでくれたらうれしいな」

「いいんですか!?私もうれしいです!」

どうやら退屈しないでもらえたみたいだ。また誘ってもらえた喜びに打ち震えていると、彼は腕時計を一瞥して、改札に体を向けた。どうやら電車が来るらしい。

「それじゃあ、またね」

「はい!!」

彼を見送る。角を曲がる直前、彼は振り返って手を掲げてくれた。それに返したら、やがて人ごみに紛れて見えなくなった。寂しい気持ちを抱きそうになって、ポケットに入れたままのアメーバのキーホルダーを握り締めた。鞄につけるとなくしてしまいそうで、私はずっとしまいこんでいた。

そのまま立ち尽くしていたけれど、やがて我に返った。いつまでもこうしていても仕方ないと、帰宅するため自転車にまたがった。すると、下の方でバキッと妙な音がした。

「……?」

音の正体を探るべく周囲を見渡すけれど、わからない。気にせず走り出そうとしたら、自転車が動かず、つんのめりそうになった。

「え?あれ?」

自転車から降りて、その場に停める。しゃがみこんで素人ながらに確認するけれど、異常は見つけられない。

それでもまた自転車を動かそうとすると、まるでロックがかかったみたいに前へ進まなかった。











「なまえ、今日お昼どこで食べる?」

「あっ、ごめん!今日も数学わかんなかったから、狛枝先輩に聞いてくるよ!先食べてて〜」

授業の終わり、筆箱に筆記用具をしまっていたら、お弁当を持った友人がやってきた。私は質問へ行くために出していたノートと教材をまとめ、机の上で重ねて角をそろえる。

「またぁ?最近一緒にいすぎじゃない?」

「え、そんなことないよー」

答えながらも、彼女の言う通りだと思う。休み時間に顔を合わせる回数は増えたし、近頃はよく下校のタイミングも合わせている。狛枝先輩にもらった飴がポケットに入っていることを思い出し、それを口に含みながら立ち上がると、心配そうな友人の表情が目に入った。

「あのさ……。狛枝先輩の噂、聞いたことある?」

「うわさ?」

深刻そうな彼女の様子に、思わず立ち止まった。口内に広がるオレンジの味をかみしめながら首をかしげると、友人はどこか躊躇しながら言葉をつづけた。

「なんか、女遊びがひどいとか……何考えてるか分かんないとか……、一緒にいると不幸になるとか、良くない噂、聞くんだよ」

ぽつり、ぽつりと慎重に語られる内容に思いをはせる。

確かに狛枝先輩は、つかみどころがないというか、自分の考えを滅多に口にするタイプじゃないけど、何を考えているかわからないというほどではないと思う。ただ、穏やかなだけだ。

女遊びに関してはまったく心当たりがない。少なくとも私といる間、彼が女子生徒に話しかけられたり、話しかけたりする場面は見かけていない。

『ボクの能力は周りの人を不幸にするからね』

三つ目の噂について考える前に、狛枝先輩の言葉がよみがえる。確かにそんなことを言っていたけれど、私はそうは思わなかった。そんなの、狛枝先輩のせいじゃなくて、周りの人が自分の不幸を彼のせいにしているだけではないだろうか。なんだかむかむかしてきて、感情を抑えるようにうなだれる。

友人は私の気持ちに気づいたようだった。ハッとした顔をして、「ごめん」と謝罪する。謝らせたかったわけではなかったので、首を横へ振った。彼女が心配してくれている気持ちも、理解はできた。

「ううん。心配してくれてるのに、ごめん。でも私、狛枝先輩は普通だと思う……から」

「そうだよね……ごめん。あんたが先輩と仲いいのわかるよ。それに、こういうの一番嫌いだよね」

小学校が同じで、過去のできごとをすべて知っている彼女は、ひどく気を揉んだ様子で謝罪した。私は険悪なムードが過ぎ去ったことに胸をなでおろしながら、気遣ってくれたことにお礼の言葉を述べる。

「もし心配なら一緒にくる?狛枝先輩、勉強教えるの上手だよ」

「……。あたしはいいや。待ってるから行っといで」

彼女が私の肩を押す。促されるように教室を出る間際、振り返って友人の名を呼んだ。

「ねえ、今日は外でお昼食べよ!天気いいし」

「えー?暑くて無理!」

「いいじゃん、ピクニックみたいだよ〜」

「はぁ、仕方ないなあ」

「ありがと!その時、夏休みに行くところ決めようね!」

はいはい、と追い払うような仕草をされて、私は廊下に飛び出した。狛枝先輩の教室を目指しながら、彼の匂いを注意深く探す。

友人を待たせたくない気持ちと、狛枝先輩に早く会いたい気持ちで、足取りが軽くなる。階段を一段抜かしで駆けおりて、踊り場で手すりを掴み、カーブする。それを繰り返していたら、掴んだ手すりが濡れていた。手元が滑って、体が傾く。遠心力に負けて踊り場に転がった私は、あと数センチずれていたら階段下まで転がり落ちていただろう事実に背筋が冷えるのを感じた。

ドキドキしながら立ち上がる。打ち付けた膝が痛むぐらいで、たいしたケガはなさそうだった。周囲を見渡すけれど、人はまだ少なく、誰もこちらに注目していなかった。恥ずかしさから素早く制服を整えて、階段を急ぎ足におりた。今度はちゃんと、一段ずつ踏みしめて。




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160921