わたし西向きゃ、きみ東 | ナノ
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03




日直の私は、体育後の片づけを手伝っていた。ハードルを体育倉庫へ運んでいた時、ふと狛枝先輩の匂いが香った。周囲を見渡すが、当然彼の姿はない。

突然動きを止めて、忙しなく周囲を見渡す私を、体育委員の女子が不審に思ったようだった。「どうかした?」と問いかけられて、咄嗟に「何でもないよ」と返す。冷汗がどっと沸き出たのは、幼いころに奇妙な行動をからかわれたことがトラウマのようになっているからだろう。

平静を装いハードルを片付ける。置いたはずみに土埃が舞って、くしゃみが出た。鼻をぐずつかせながらもすぐに整え、先に倉庫を出た彼女に続いた。重たい倉庫の扉をきちんと閉めてから、深くため息を吐き出す。気を抜くとすぐ匂いに夢中になってしまうから、注意しなければならない。窮屈さを感じると同時に、このコンプレックスを丸ごと受け入れてくれた狛枝先輩のことを思い出し、会いたい気持ちがふくらんだ。





「狛枝先輩〜!」

先輩が歩いているのを見かけてからの私は早い。友人に断りを入れ、すぐさま駆けだす。その声を聞いて立ち止まってくれる彼めがけて、飛び掛からん勢いで走り寄る。

「狛枝先輩っ!こんにちは!」

「こんにちは」

「今お時間大丈夫ですか?」

「うん。移動教室中だから少しなら構わないよ」

ありがとうございます!と頭を下げて、彼がそうしたように窓際に寄りかかる。狛枝先輩のクラスメイトがこちらをチラチラ見ながら通るので、少しだけ居心地の悪さを感じ、身をひるがえして窓枠に手を置いた。

「あ、みょうじさん。これあげるよ」

「えっ!」

彼が渡してくれた包み紙を受け取る。なんだか会うたびに色々もらっていて申し訳ないなと考える。手のひらのパッケージを見下ろして、それがチョコレートだと理解した時には、もう包み紙を開いていた。体育の後はとてもお腹が減るのだ。

「おいしーです!ありがとうございます〜!」

「それはよかった。でも、少し溶けてたね」

確かに、包み紙の上からでもわかるくらいチョコは柔らかくなっていた。甘ったるい匂いを確認しながら、紙の上からつまむ。触れないように気を付けて食べたのだけれど、口の端を汚してしまったらしい。狛枝先輩はポケットからハンカチを出すと、私の口元をそっと拭ってくれた。

「わっ、すみません!ハンカチ汚れちゃいますよ!」

慌ててハンカチを押しのけようとするけれど、もう拭き終わったようで、離れていくところだった。

「いいよ。というか、溶けたチョコレート渡してごめんね」

「それは全然!美味しいですし、暑くなってきたから仕方ないですよ!」

必死すぎる私が面白かったのか、狛枝先輩が柔らかく微笑んだ。それを見た途端、ぎゅんと胸の奥が締め付けられたような気になる。

「あっ、暑いといえばプール!プールですね!」

「そうだね」

大雑把な話題の転換に、彼は疑問を抱く様子もなく答える。私は上手に話すことが苦手だったけれど、狛枝先輩はいつも穏やかに聞いてくれるので、安心して会話を楽しむことができた。

「狛枝先輩はプール好きですか?」

「うーん、学校の授業はあまり好きじゃないけど……泳ぐのは嫌いじゃないかな」

「あ、それはわかります!私も海とかだったらいいんですけど……」

学校のプールは清潔感がないし、クラスメイトの前で水着になるのは少し恥ずかしい。

そこまで考えて、ふと先ほどのことを思い出す。狛枝先輩を見上げると、目が合った。

「狛枝先輩、今体育は何やってます?」

突然話題が飛んだにもかかわらず、彼は「体育館で球技をしてるよ」と答えてくれた。しかしそれは私にとっては予想外の答えで、首をかしげる。

「あれ、おかしいなぁ……」

「何が?」

「今日、体育倉庫で狛枝先輩の匂いがしたから……もしかしたら先輩たちも外で何かやってるのかな?と思って」

「体育倉庫で……?変だね。ボク、今日は体育倉庫へ行ってないよ」

「じゃあ気のせいかもですね」

言ってから、自分が相当気持ちの悪い発言をしたことに気づく。私の嗅覚について、狛枝先輩が否定をすることはなかったけど、調子に乗りすぎてしまったように感じた。しどろもどろに視線を落とす。スカートの位置を整えるふりをして、意味もなく撫ぜおろしていると、視界の端に映った緑色のスリッパの存在に気づく。

「あぁ、これ?週末、上履きを洗おうと持って帰ったんだけど忘れちゃって……」

思考を読まれたことにドキッとしたのだけれど、普段通りに微笑む彼に安堵した。どうやら引かれてはいないらしい。

「狛枝先輩、意外にぬけてるところもあるんですね」

「あはは。恥ずかしいなぁ……」

後頭部をかいた狛枝先輩が、腕を戻す際に時計を見た。それで私も近くの教室を覗き込み、壁時計を確認する。

「そろそろ行かなきゃですね!呼び止めちゃってすみません」

「ううん。いつも声かけてもらえてうれしいよ」

「チョコありがとうございました!」

私はくるりと身をひるがえすと、狛枝先輩に手を振って走り出した。口の中にまだ残っている甘い味が、体を軽くさせ、幸福感で私を満たした。










「みょうじさん」

翌日、狛枝先輩が私の教室へ来た。彼の方からわざわざ訪ねてきてくれたのは、それが初めてだったように思う。クラスメイトの視線にドギマギしながらも廊下に駆けだした。彼は私にもっと近づくよう手招きすると、無造作に垂らしていた私の右手をすくいあげ、何か乗せた。

「あげる」

言われて、自分の手のひらを見る。それは理科の教科書に載っているようなアメーバの形をしていて、なぜかリボンまでついていた。

「なんですか?これ」

「もらったんだ」

狛枝先輩が補足するように説明をしてくれる。それは、ブランドに疎い私でさえ知っているような人気店の、記念品らしい。

彼は昨日、街中を歩いていた際、その店の前を通りがかって自動ドアを開けてしまった。買い物をするつもりはなかったのに、店の人がやたらと見てくるので、申し訳なさから入店したそうだ。そしたら、彼はちょうどその店舗の十万人目の客で、この記念品を授与されたのだという。

「こ、こんなすごい物、もらっちゃっていいんですか!?」

仰天した私が動揺をあらわにすると、狛枝先輩は何が面白いのかくすくす笑った。

「いいんだよ。ボクなんかが持ってたって意味ないし……」

「でも……」

「好きじゃない?」

「かわいいですよ!」

しょんぼりした表情になるので、あわてて首を横にふった。するとそれだけで狛枝先輩は、心底安心しきったような顔になる。また胸の奥がぎゅうぎゅう締め付けられたような気がして、私は自分のお腹のあたりをさすった。

「本当もらっちゃっていいんですね?」

「うん。みょうじさんに貰って欲しいんだ」

「それなら、ありがたくいただきます!大切にしますね!」

ぎゅっとアメーバを握りしめると、チャリっと音がした。それすら心地よくて、私は照れ隠しに俯いた。それで、彼が上履きを履いていることに気がつき、今日は忘れずに済んだらしいことを知る。しかしその上履きは、週末に洗ったはずなのに土埃にまみれていて、不思議に思った。

「みょうじさんに喜んでもらえたなら良かったよ」

彼の言葉にパッと顔を上げる。感謝の気持ちから、自然と頬が緩んだ。

「それにしても狛枝先輩すごいですね!偶然に偶然が重なってそんなことがあるなんて……」

「よくあるんだよね、こういうこと。でも君に比べたら大したことないよ」

「よくあるんですか!?それ、すごいですよ!」

目を丸くし、興奮した私に対し、彼はなぜか自嘲的な笑みを浮かべる。

「すごくなんてないよ。ボクの能力は周りの人を不幸にするからね。現に、後から入店した人はボクを恨めしそうにみていたよ。あの人はブランド服を身につけてたから、きっとその店が大好きで来てたんだ。それなのにボクなんかがいたせいで、彼女のチャンスを奪ってしまったんだよ……」

「それは違いますよ!」

身を乗り出して、声を張る。勢いに負けてたじろいだ彼の手を、アメーバごと握りこんだ。

「その人は確かに悔しい思いをしたかもしれませんが、別に不幸じゃないと思いますよ!そもそも、それ、狛枝先輩のせいじゃないですから!もしそれでも、お店の人とか、その女の人に申し訳なく思うなら、今からそのブランド店のファンになればいいんですよ!」

狛枝先輩が目を丸くして瞬いた。熱く語った自分が恥ずかしいような、照れくさいような気持ちになったけれど、懸命に話せた達成感もあった。

「狛枝先輩はすごいですよ。誇りを持ってください!……って、狛枝先輩の言葉ですけどね」

へらりと笑うと、緊張に肩をこわばらせていた先輩が脱力したのがわかった。私は彼の手を解放する。

呆気にとられた様子の狛枝先輩に、再度キーホルダーを見せつける。

「それにほら、私はこうやって幸せのおすそ分けを頂きましたよ!あっ、でも別に物が欲しいとかじゃないんで、また下さいとかせびってるんじゃないんですけど……。狛枝先輩の思いやりが、優しさが、私を幸せにしてくれたんです!」

元気になってほしい一心で、必死に喋っているせいで、自分が話していることの半分くらいは頭から抜けていった。狛枝先輩にも伝わってないかもしれないという不安が頭をもたげた時、彼はうつむき、小さく息をもらした。呆れさせてしまったかも、とわずかに緊張した時、狛枝先輩が優しげな表情を向けてくれた。

「みょうじさん、ありがとう。君はすごいなあ」

「えっ!狛枝先輩がすごいって話ですよ」

「君の方がすごいんだよ」

まるで幼い子供に言い聞かせるように、彼は私の頭を撫でた。くすぐったくて気持ちいい触り方に、口をぎゅっと結んだ。それから、ここが教室の前であることを思い出し、恥ずかしくなる。するとそれすら見越したように狛枝先輩が離れるので、今度はもの寂しさを感じてしまった。

「……みょうじさん。良かったら今度、一緒にそのお店に行ってくれない?」

驚き、息をのむ。男の子と遊びに行ったことなどなかった私にとって、その誘いは衝撃だった。

「ボク、その店を好きになりたいな。行くなら、キミとがいいんだ」

ストレートな誘いの言葉に、照れたり、悩んだりする余裕もなかった。きづけば何度も首を縦に振っていて、狛枝先輩はふき出すように笑った。

「良かった。ボクなんかの誘いに乗ってくれてありがとう。そしたら、また詳細は連絡するよ」

「は、はい!!ありがとうございます!」

「お礼を言うのはこっちだよ。ありがとう」

それじゃあ、と立ち去る彼の背中を見送りながら、うるさく響く心臓のあたりを押さえつけていた。なんだか熱に浮かされたときみたいに、思考がふわふわしている。狛枝先輩の香りを、さっきまで堪能していたはずなのに、もう嗅ぎたい。正体不明な感情に名前を付けかねていたら、始業を告げるベルが鳴った。それで私は一気に現実へと引き戻され、素早く教室へと駆け戻るのだった。



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160919