ここほれわんわん | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


投票の結果、江ノ島盾子に全ての票が集まった。画面に大きく映し出された彼女の顔。その下に『絶望の敗北!?』と文字まで入っていて、まるでバラエティ番組でも見ているようだった。

「江ノ島盾子……あなたの負けよ」

静寂は霧切さんによって破られる。その言葉にどんな反応を示すのか気になって、息を潜めてうずくまる江ノ島さんを見下ろす。他のみんなも同じだったようで、また張り詰めた空気に包まれる。

「負け…………?負けた……?」江ノ島さんはふらふらと立ち上がる。証言台に片手をつくと、重たそうに頭を支えた。「アタシが……?そ、そんな…………そんなのってぇええっ!!」

「み、認めねーつもりか……?」

剣幕に気圧されたらしい葉隠くんが、私の方に寄りながら小声で問いかけていた。十神くんが鼻で笑うので、そんな葉隠くんの様子をバカにしているのかと思ったら、「さすがの“高校級の絶望”も、自分を疑う絶望には弱いか……」と続けた。

しかし、顔を上げた彼女の表情を染めるのは、みんなの予想を裏切る感情だった。

「そんなのって……最高じゃない!!」

歓び、幸福、快感。うっとりとした顔つきは、明らかにこの場にそぐわない。まだ何か隠し玉でも持っているのではと警戒し、鼻をひくつかせたけれど、匂いは何も変わりはなかった。

「これが……これが絶望なのね……!二年も前から……この学園に乗り込んで……綿密な計画を練り上げて……そして、計画の為に実の姉まで殺したって言うのに……」彼女は自身の体を抱きしめ内股になる。「それなのに、最後の最後で失敗するなんてッ!これ以上ないほどの超絶望だわッ!!」

言葉の内容が頭に入ってこない。追い詰められてなお、幸せいっぱいな表情をした江ノ島さんは、ぶるぶると体を震わせていた。はぁ、と艶っぽい息を吐く。苗木くんも現状を理解できずにいるようで、「な、何……言ってるんだよ……」と戸惑いの声を上げた。

江ノ島さんは、生まれた瞬間から絶望的なほどに飽き飽きしていたと語る。だからこそ、最初で最後の最大の絶望、“死”というイベントを味わえることが嬉しいらしい。それも計画の失敗という最高級の絶望の中で、と補足する。説明されても、何一つ共感できなかった。

「とにかく……負けを認めるって事でいいのね?」

冷静な霧切さんがまとめると、江ノ島さんは嘲るように鼻を鳴らした。しかしすぐに腹を抱えて笑い出す。

「負けとか、そんなの別にどっちでもいいし!だって、オマエラが勝とうが負けようが、結局は一緒なんだもん……外も絶望、中も絶望!あんたらには絶望しかないんだから!」

「ち、違う……そんな事……」

「そんなことはない!」

否定しようと口を開いた苗木くんを遮ったのは十神くんだった。予想外の人物から上がった反論の声に、誰もがそちらに注目した。

「言っておくが、今の俺たちはもう絶望など恐れていない」

腕を組み、あごをひらいて見下すような視線を投げつける彼は、すっかりいつもの調子に戻っていた。それに励まされたのか、朝日奈さんも同意する。両手を握りしめると、「だって、私たちは“希望”を持って外に出ていく決心をしたんだもん!」と声を張った。

「そこの苗木っちに、そそのかされちまってな!」

「み、みんな……!」

苗木くんが周囲を見渡した。涙声になった彼が、小さく鼻をすすった気がした。

「……江ノ島盾子、あなたは言ってたわね。絶望は伝染して広まるって……。でも……それは希望だって一緒よ」霧切さんが得意げに彼女の見つめる。「今の私たちを見れば、それがわかるはずよ?」

「そうだよ!希望が絶望を育てるなら、絶望だって希望を育てるはず!」

みんなと一緒になって声を張る。江ノ島さんがピクリと反応し、私を見た。しかしそれはほんの一瞬で、瞬いた後にはもう苗木くんを睨んでいた。

「あー、イヤだイヤだ!私の大嫌いな顔がいっぱいじゃない!これ以上、そんな顔を見てるのは、苦痛以外の何物でもないけど…………でも、最後に一つだけ」

江ノ島さんは証言台を離れると、裁判場を歩き出した。

「オマエラが、あくまで“希望”にこだわるなら、それはそれで構わないけどさ……でも、覚悟しておきなよ。これから先、オマエラの前には次々と“絶望”が立ちはだかることになるよ」

私たちの背後をぐるりと一周しながら、彼女は言う。その顔からはすっかり表情が消えていて、裁判中、ころころと話し方を変えていたのが嘘のように落ち着き払っていた。

「どこへ進もうと……どこへ逃げようともね……。表と裏……だけど紙一重……希望があるところには必ず絶望もあるんだよ」

「それでも、オマエラは希望を持ち続けていられるかしらん?」

苗木くんの背後で足を止めた。裁判場に響いていたヒールの音が止み、静寂に支配される。ハッとしたように苗木くんが言う。「あ、当たり前だ……だって、ボク達は……」しかしその言葉は最後まで紡がれることなく、江ノ島さんの笑い声にかき消された。

「いいんだって!今のは単なる独り言!だから、答える必要なんてないの!でも、その独り言も、もうお終い……」

彼女は残り半周を急ぎ足に済ませると、正面まで戻ってきた。いつもモノクマが座っていた立派な装飾の施された椅子の前に来ると、頬を桃色に染め、恍惚とした表情を浮かべる。

「だって、そろそろ“おしおき”の時間……でしょ!?」

その言葉を聞いた途端、今までおしおきを受けてきた仲間たちのことを思い出し、全身に冷水を浴びせられたような心持ちがした。何も言えずにいると、霧切さんが「あなたは……自分まで処刑するつもりなの……?」と代弁してくれる。

「そういうルールだったはずでしょ?」

あっけらかんと他人事のように言いきった江ノ島さんは、モノクマがおしおきを開始する際ハンマーで叩いていた、赤いボタンの前に立った。

「ま、待てよ……!ボクは別にお前に死んでもらおうなんて……!」

苗木くんが証言台を離れた。正面の江ノ島さんの元へかけて行こうとするけど、その前に江ノ島さんが金切り声をあげた。

「やめてやめてやめてやめてッ!!」

ただならぬ様子に嫌な予感がして、近くまで来た苗木くんの制服を引っ張って止めた。私を振り払えず、咄嗟の判断に悩んだ彼は、前と後ろを交互に見る。江ノ島さんは大きく頭を振っていた。つやつやのツインテールが見る影もなく乱れていく。

「さっきから言ってるじゃない!アタシは、生きる事に“希望”なんて持ってないの!むしろ……人生で一度しか味わえない“死の絶望”を、これから楽しもうとしているんだから……ジャマしないでよぉおおおおっ!!」

江ノ島さんのしたことは許されないことだ。世界を破滅に追いやって、理不尽に絶望を撒き散らした。たくさんの人を殺したから、例えここで生きのびたとしても、法が彼女を殺すだろう。それでも、私たちが彼女を死に追いやることは、間違っている気がした。

苗木くんの考えも同じらしい。必死に江ノ島さんを止めようと言葉をかけるけど、ヒートアップした彼女の耳には一切届かなかった。

「うぷぷ……うぷぷぷ……!あぁ、素敵だわ……これが死の絶望なのね……!この絶望の十分の一でも、百分の一でも……世界中のみんなに、もっと味わって欲しかった……!世界中を、この素晴らしい絶望に染め上げたかった!」

一人で舞台を演じる女優のようだった。誰もが息を飲み、口を挟むことすらできなくなったとき、彼女はとうとう赤いボタンに手をかけた。

「じゃあ!始めるよ!最後にふさわしいスペシャルなおしおき!!」

幸せそうな表情とは裏腹に、その瞳の焦点は定まらない。彼女が今、何を見ているのか、思っているのか。わからないまま眺めていることが辛くなり、私はとうとう視線を伏せた。

「では張り切っていきましょう!おしおきターイム!アーッハッハッハッハッハッハッハ!!」

虚空に吸い込まれる高笑い。目を閉じ、耳を抑えて時が過ぎるのを待った。しばらくの間そうしてやり過ごしていたけれど、やがてプレス音が規則的に響く。苗木くんが処刑されそうになったときの記憶がよぎった。ありえないのに、彼が死んでしまう予感に顔を上げると、モノクマを抱いてベルトコンベアに運ばれていく江ノ島さんがいた。彼女は背後に迫る死の恐怖に、震えることもおびえることもなかった。鼻歌なんて口ずさみながら、満面の笑みを浮かべ、体を左右に揺らしながら流されていく。私は一瞬でも見てしまったことを後悔しながら、すぐさま目をそらした。そうして、汗を浮かべながらもお仕置きの様子を凝視している苗木くんに気づいた。瞬間、ぐちゃりと肉のつぶれる音がした。それが、全ての終わりの合図だった。










江ノ島さんの死を確認したのは霧切さんだった。“おしおき”の跡地から戻った彼女は、江ノ島さんの死が確かであったことを淡々と語った。それから、いぶかしげなスイッチのようなものも持っていた。遺体のそばに落ちていたという。

みんなで話し合った結果、恐らくそれが脱出のスイッチではないかという話になった。私たちはそれを試す前に、一度身支度を整えるため解散することとなった。それぞれの部屋に戻り、数少ない自分の荷物をまとめる。私はほとんど持ち物がなかったので、散らかっていた部屋を片付ける程度にとどめておいた。

部屋に帰ってすぐ、枕もとに置いてあったメモ用紙を正の字を数える。サボっていた日数分を付け足すと、二十三本になった。朝と夜を告げるアナウンスがなくなった今、それすらあやふやな情報かもしれない。感傷に浸りながらも、破ってゴミ箱に捨てた。

使い捨てのマスクの箱を見て、自分が今、マスクをしていないことを思い出す。江ノ島さんに奪われて、捨てられたままだった。新しいものをつけようと伸ばしかけた手を握った。別にいいや、と身をひるがえしたタイミングで、ドアをたたく音がする。

「はーい!」

慌てて駆け寄り扉を開けると、苗木くんが立っていた。「苗木くん!どうしたの!?」と前のめりになると、彼は視線を斜め下に落とし、照れくさそうに頬をかいた。そんな態度を見て、こちらまでつられて恥ずかしさを覚える。

「ご、ごめん。忙しいときに。ちょっとだけいいかな?」

「もちろん!私はもう支度終わったから……」

「ありがとう」

苗木くんを部屋にあげる。扉をしめると、一人でいた時よりも静まり返った気がした。椅子を差し出したけど、苗木くんは遠慮するように首を横へ振ると、「すぐに済むから」と断った。

しかし、彼は私の正面に立ったまま、それきり口を開かなかった。何を言うのか、何をされるのか、緊張しながら待っていたけれど、なかなか動かない。私はなんとなく、苗木くんが裁判での出来事について話そうとしているのだと感じた。

あの時くだした私の選択は、私や苗木くんにとって最適だったのだろうか。突如、不安が押し寄せて、いないはずの江ノ島さんに笑われた気がした。

不安になったのには、理由がある。私はまだ、裁判中に気づいたことを、誰にも打ち明けていない。他のみんなは学園生活に関する記憶だけ奪われたようだけど、どうやら私は中学時代の記憶まで抜け落ちているらしかった。

人生でたった一人、告白した相手がいる。それは中学時の知り合いのはずなのに、その人の顔も性格も思い出せない。唯一覚えているのは、彼が私を振った際に放った「猫派なんだよね」という言葉だけだった。

「あの、さ」

ようやく苗木くんが口を開いた。緊張からぴしゃりと背筋を伸ばすと、彼はずっとポケットに入れたままだった片手を出した。何か握られていることに気づき、そちらに注目すると、隠すつもりは毛頭なかったようで、目の前に差し出される。彼が握り締めていたのは指輪で、ダイヤモンドがくっついていた。もしかしたらガラスでできた偽物かもしれない……というかおそらくそうだと思うけど、大げさなデザインのそれに、私はぎょっとした。

「こ、こんなことしたら気持ち悪いって思われるかもしれないんだけど、えっと……セレスさんにハートの指輪持ってかれちゃったって、残念がってたでしょ?ガチャガチャの……ボクもガチャガチャやったら、これ出てきたから……」

学級裁判で堂々と喋っていた彼の面影はなく、支離滅裂で聞き取りづらい話し方だった。顔がみるみる内に赤くなり、本当に恥ずかしい思いをしているのは一目瞭然だった。

言われて、ずいぶん前に苗木くんへ愚痴をこぼしたことを思い出す。セレスさんにとられた指輪は舞園さんにプレゼントするつもりのものだったから、別に自分が欲しかったわけではないのに、些細なやりとりを覚えてもらえていたことが嬉しかった。

苗木くんは耳まで赤く染めていたけれど、それでもまっすぐに指輪を差し出し続けていた。それを見て、私は本当に、ずいぶんこの人に助けられてきたのだと再認識する。

指輪をつまみ上げて受け取ると、苗木くんが明らかに胸をなでおろしていた。

「本当は、みょうじさんが欲しがってたハート形の指輪を探したかったんだけど、何度やっても全然出なくて……。渡そうかどうかずっと悩んでたんだけど……。ボク、本当に、ちっとも幸運なんかじゃないんだ」

「ううん、うれしいよ。ありがとう」

指輪を握り締めたまま思い悩んだ。きっと、すぐにでもこの指輪をはめて見せることが、彼を安心させる最善の行動なのだと思う。けれど、それができないのは、心の奥底に江ノ島さんの残骸が消えないせいだ。私は、私の中にあるモヤモヤを吐き出すため、慎重に言葉を選んだ。

「……苗木くんは、江ノ島さんの話、本当だと思う?」

「えっ?」

「私、忘れてるのかな。大切な人のこと」

彼に聞くべきではないと、分かっていた。それでも、二人でいることを選ぶなら、避けては通れない道だとも思った。苗木くんは困ったように眉根を寄せると、わずかに視線を伏せる。

「ボクは、本当なんじゃないかなって思うよ。だって、みょうじさんみたいな人に、彼氏がいたって全然不思議じゃないし……」

「えっ、そんなことないよ……。中学までいたことないし……。それに、そんなこと言ったら苗木くんだっていそうじゃない?」

「ボ、ボクはいたことないよ」

その返答に、喜びを感じてしまった。多分、彼の最初の彼女になれたことが嬉しかったのだ。私はそれで、思っていたよりずっと、苗木くんのことを好きになっている自分に気づく。そうしたら、こんな表情をさせていることが心苦しくなった。かたく指輪を握り締めていた手を開き、それを見下ろす。

「……苗木くん、聞いて。私、本当に何も思い出せないの。江ノ島さんが言ってたこと何一つ……。好きな人の見た目も中身も、その人と私がどんな関係だったかも、どうして好きになったのかも」寂しそうな顔が見ていられなくてうつむく。「今、その人とどういう状態なのかも――」

江ノ島さんの言い方は、まるで私と彼の関係が続いているようだった。しかし、この学園がシェルター化した際、離れ離れになったようでもあった。私はその人に振られたのだろうか。それとも、未だに関係は続いているのだろうか。今になって押し寄せるのは、自分が一方的にその人との関係をないがしろにしているのではないかという恐れだった。

どちらを選んでも、どちらかは傷つけてしまう。二人とも救いたいとは思うけれど、身勝手なことはしたくない。

私はまず、目の前にいる彼に、自分の意思を伝えようとする。

「な、なんでこんなこと言うのかっていうと、……うまく言えないんだけど、自分でも自分の気持ちが全然分からないから……。いい加減だって嫌われたくないんだけど、江ノ島さんが言ってた人に会った時、自分がどういう行動をとるか予想ができなくて……」

未来の自分が、苗木くんを呆気なく捨てることは無いと思う。だけど、その人が絶望に落ちていたとしたら、私は責任を感じるだろう。でも、その責任のとり方は?罪の償い方は?私がその時、どんな選択をし、どんな行動をとるのか、全くわからないのだ。

「こんな私なんかが、苗木くんのくれた指輪をはめていいのかさえ分かんないの……」

話しているうちに感極まって、涙があふれ出る。身勝手なことを言っている自覚はあるのに、言葉を途中で引っ込めることはできそうになかった。

「苗木くんの傍にいたいっていうのも、ホントだよ!でも、私、中学生の時の記憶まであやふやで……。今いる自分さえ信じられなくて、なんか、もう、ひょっとしたら、そんな資格ないんじゃないかって――」

「みょうじさん!ボクはそれでも諦めないから! 」

泣崩れそうになった時、苗木くんが引き戻すように私の肩をつかんだ。間近にぶつかった視線に、冷やりとする。マスク一枚ないだけで、ずいぶん彼が近くにいるような気がした。

「もしキミが全部を思いだして、それで、その人のことを大切に思ったとしてもいいんだ。それなら、僕は僕でキミの傍にいるために頑張るから! 」

自分の泣き言と彼の返事が結びつかなくて呆気に取られていると、畳み掛けるように彼が叫んだ。揺さぶられ、気圧されて、頭の中が真っ白になる。必死に噛み砕いて、かけられた言葉の意味を理解した時には、じわじわと胸の奥が熱くなっていた。

「みょうじさんがその人とボクの間で悩んでたって構わないよ。ボクはそうやって正直に話してくれるキミだから好きになったんだ。まるで自分がズルいことしてるみたいに言うけど、ズルい人はもっと、うまく誤魔化したり、気がつかないふりでうやむやにしたりするんじゃないかな……」

「そんなこと、ない。苗木くんが優しすぎるんだよ。だって、私がもし、逆の立場だったら、さみしいし悲しいし、嫌だって言うと思う」

「それはそれで嬉しいけど……」

苗木くんがはにかんだ。肩の力が抜けてしまう。なんだか深刻に考えているのが自分だけのような気がしてきた。

「とにかく、いいんだ。記憶を失う前のボクなら多分、今の状況をラッキーだって言うと思うよ。だって、普通なら手に入らなかったキミを、例え一瞬だとしても、こうして一人占めできてるわけだし……」

どうしてそんなに前向きでいられるのかと、尊敬を通り越して疑問すら抱いた時、彼が私の肩を解放した。まっすぐに向けられる瞳から羞恥は消え失せていた。

「それに、キミを好きな気持ちは、誰にも負けない自信があるんだ。その、大切な人とだって、戦ってみせるよ!」

強い意志を向けられて、こそばゆくなる。ガッツポーズをして見せる彼がおかしくて、思わず小さく笑ってしまった。

「苗木くんは、本当に前向きだね」

「それだけが取り柄だからね」

「そんなことないよ。たくさん、あるよ。いいとこ。私、全部言える」

苗木くんが上ずった声をあげる。それを聞きながら、私は指輪をつまみ上げた。慎重に、丁寧に指へはめてみると、薬指にはぶかぶかだった。

「どうかな?ちょっと大きいかも……」

「そうだね……。あ、そうだ」

苗木くんが私の手を取った。ドキッとしたのは一瞬で、指輪を抜き取るためだと気づいてからは落ち着いた。

彼はポケットからネックレスのようなものを探り出す。「これもガチャガチャでとったんだ」と説明しながら、元々ついていた装飾部分を外すと、代わりに指輪を通していた。

「これならどうかな」

言いながら、一歩詰めてきて、私を抱きしめるような動作をする。色濃く漂った彼の香りに、身動き一つとれなくなった。固まった私を気にせず、苗木くんが首の後ろに触れた。しばらくしてまた退いたかと思うと、私の胸元に指輪がぶら下がっていた。

「指輪って、よく考えたらまだ早いよね……。ごめん、なんだかんだ言って、ボク焦ってたのかもしれない。良かったら、そうやってネックレスとして使ってもらえたら嬉しいかな」

「……苗木くん、ありがとう!」

彼に抱きつきたい衝動に駆られて、監視カメラの存在を思い出す。もしかしたらこのやりとりすら、大切な人は見ているかもしれない。ふくらんだ罪悪感に押しつぶされることはなかった。その苦しみすら受け入れて、早く彼を助けに行こうと、決意する。

もう絶対に諦めない。絶望を乗り越えて、大切な人をみんな、守るんだ。

瞬いたら、いつしかかわいた涙でまぶたがつっぱった。手の甲でそれをほぐすと、気合いを入れるように自分の頬を抑える。

「苗木くん、みんなのところ行こう。それで、さっさとここを出よう!」

「うん、そうだね」

苗木くんの手を、私から掴む。驚いたような顔をしたので、笑いかける。すぐに同じ表情が返されて、ますます私も口元が緩んだ。こんな状況下だというのに、胸に抱いたものは、間違いなく幸福や希望だった。

繋いだ手首で、心地よさそうにミサンガが揺れていた。




End

160902