ここほれわんわん | ナノ
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「えっ!!」

「本当に!?」

私と苗木くんが驚きの声を上げるのに対し、彼女はいたって冷静だった。死体にかかっているらしいシートのようなものをめくって確認すると、「間違いないわ」と返す。

「黒幕が片付けたのかな?」今までもそうしていたことを考え、発言する。「戦刃むくろの学級裁判がまだ続くとは思ってもいなかったから……」

「そうかもしれないわね。どっちにしても……これで、ようやく彼女の死体を調べられるわ」

言うや否や彼女は冷蔵庫を開ききって、スライド式になっている部分を目一杯に引き出した。焼け焦げた肉と、薬品の匂いが漂って、とっさにマスクの位置を元の場所に戻す。

霧切さんは早速調査に取り組みながら、今度こそ黒幕のしっぽを掴むと意気込んでみせた。

「じゃあ……ボクらはどうしてればいいのかな……?」

苗木くんが居心地悪そうに尋ねる。無意識かもしれないけれど、死体の方をあまり見ないようにしていた。

「その辺で待ってたら?後で捜査結果を教えてあげるわよ」

「じゃ、じゃあ私はこの部屋をもっと調べてみるね……」

そうは言ってもこの部屋で調べるところは、冷蔵庫ぐらいな気もする。手持無沙汰になった私が、青いランプの数を数えて時間をつぶしていたら、苗木くんは先ほど私が机の上にのせたビニールシートをひっくり返したり表に戻したりしながら、「二人ともそのまま作業をしながらでいいから聞いてほしい事があるんだ」と前置いた。

「さっきの……モノクマアナウンスの件なんだけどさ」

ヒントが欲しければ体育館に来い、というモノクマの言葉を思い出す。しかしそれについて発言する前に、霧切さんが「ヒントがどうのってヤツなら、行ってないわよ」と切り捨てる。

「え?どうして?」

「このタイミングでヒントなんて、私たちを惑わそうとしてるに決まってるじゃない」

「そっか……そうだよね。みょうじさんは?」

「ご、ごめん。私も行ってないの。他の人が行くかなーとおもって……。苗木くんは聞いてきたの?」

「二人とも、終わったわよ……」

ヒントの話を聞くつもりが、立ち上がった霧切さんによって会話は打ち切られた。苗木くんが驚きに目を丸める。

「もう調べ終わったの!?早かったね!」

「遅い仕事なら誰にでもできるわ。だから説明も手短に終わらせるわよ」

何ともかっこいい返答の後、彼女は端的に、腹部の傷や後頭部の傷が死後に受けたものであることを語った。

「そうなると致命傷が分からなくなるね……。残る可能性は“全身の数多くの傷”だけど、それって古傷だったはずだし……」

「……古傷なんて、どこにも書いてないわよ」黙り込んだ私と苗木くんに、霧切さんが補足する。「モノクマファイルには、“ここ数日のものではない傷”と書いてあるだけよ」

「それって何か違うの?」

「大いに違うわ。特に言葉の印象がね。あなたたちは“以前からあった傷”という言葉から“古傷”という言葉を連想したみたいだったけど……、その連想がクセモノだったのよ」

古傷という言葉から受けた印象で、私たちはそれを殺人とは関係ないものと判断してしまった。それがそもそもの誤りだったのだと指摘する霧切さんに、苗木くんが食い下がる。

「でも、ボクらがモノクマファイルを受け取ったのは、戦刃むくろが殺された直後だったはずだよ?その時点で、ここ数日の傷じゃないってことは、やっぱり致命傷だとは考えられないんじゃ……」

「戦刃むくろが殺されたこと自体、ここ数日の事じゃなかったとしたら……?」

「……えっ?」

そんなことがあるはずないと、どこかで思っていた。それが声色ににじんでしまったようで、霧切さんが私を見る。

「可能性の一つとしては考えられるはずよ」

彼女は、優秀な探偵は始め、あらゆる可能性を描くものだと説明する。常識や偏見、固定概念に惑わされることなく、様々な可能性を思い描き、捜査を重ねることで精査していくのだという。

そこまで語ってから、私たち二人が呆けているのに気づき、霧切さんは仕切りなおすように「ついでに、死体に関して知りたいことがあるなら今のうちに聞いておいた方がいいわよ。おそらく死体を調べられる機会はこれで最後のはずだから……」と腕を組んだ。

「あ、そういえば、一つあるよ!!十神くんに頼まれたんだけど、戦刃むくろのプロフィールがね――」

「身長百六十九センチ、体重四十四キロ、スリーサイズは八十、五十五、八十二……でしょ?」

ポケットからメモを取り出そうとしたら、その前に霧切さんがそらんじた。ぎょっとして固まっていると、隣で苗木くんが「覚えてるんだ……」と驚愕の声をあげていた。霧切さんはそんな私たちのリアクションに目もくれず、確かに死体と情報が一致していたことを告げる。

「じゃあやっぱり……」

「フェンリルのタトゥーの件もあるし、間違いないでしょうね。死んだのは……戦刃むくろよ」

聞きたいことはそれだけ?と、霧切さんが言うので、私はうなずいた。

寒いから出ましょうと提案する彼女にしたがって、外に出ようとすると、苗木くんが私たちを呼び止めて、戦刃むくろの死体を戻そうと提案する。分かった、と特に疑問も持たずに引き返そうとするけれど、霧切さんが動こうとしないのが気にかかった。苗木くんも同じだったようで、彼女の名前を呼び、窺いみる。

「霧切さん?戻してあげようよ。このまま出しておくのも可哀想じゃないかな……」

「可哀想?忘れたの?彼女も敵の一人なのよ」

「で、でもさ……殺されたってことは結局は被害者なわけだし……」

「自業自得って言葉は知ってる?」

「そうかもしれないけど……」

霧切さんの纏う空気がピリピリしているような気がして、緊張した。二人の顔を交互に見比べていると、それに気づいたらしい彼女が深く息を吐く。

「………………あなたは本当に甘いのね。本当に……呆れるくらいに」

その言葉は諦めや失望をはらんでいるようには感じられなかった。むしろ、どこか尊敬や羨望の気持ちがあるような気さえした。

結局手伝ってくれた彼女を見て、なんとなく、霧切さんも苗木くんが好きなんじゃないかと思った。それがどういう意味かも分からず、ただなんとなんく、そんな予感を胸に抱いたのだ。

「じゃあ、これでこの部屋の捜査はおしまいよ。ここからはまた、別行動ね」

「うん、じゃあ、また……」

「あ、ちょっと待って!」出ていこうとする霧切さんを呼び止めたのは苗木くんだった。「ねぇ、霧切さん。最後に一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあるんだ」

「何かしら?言ってみて」

「本当に……この学園に来てから一度もお父さんと会ってないの……?」

「え……?」

「お父さん?」

私が首をかしげると、苗木くんはハッとした顔つきになって、困ったように霧切さんを見る。私はそれで、自分が二人の会話に入らない方がいいことを察し、慌てて生物室を出ていこうとした。

「いいわよ、いてくれて」

意外にも引き留めてくれたのは霧切さんだった。それでもおろおろとしている姿を見かねたのか、霧切さんは淡々と「学園長は私の父なの。とっくに縁を切ったし、黒幕に殺されたようだけど」と説明してくれた。一気に与えられた情報量に戸惑い、どう反応するのが正しいのか迷っているうちに、今度こそ苗木くんに向き直っていた。真剣な声音で「それで、先ほどのはどういう意味?」と尋ねる。

「寄宿舎の二階に、ロッカールームがあったのは知ってるよね?」

「えぇ。知ってるわ。だけど、あそこのロッカーは、本人の電子生徒手帳でしか開けられないはずよ?」

「緊急用の電子生徒手帳を使ったんだよ」

「なるほどね。学園長の部屋にあった電子生徒手帳ね……」霧切さんは顎に手を添え、考え込むような仕草をとってみせる。柔らかそうな髪が揺れ、横顔が見えなくなってしまう。「それで、そのロッカーで、どんな手がかりを見つけたの?」

苗木くんは、ロッカーで見つけた手帳について話す。それは明らかに霧切さんのものだったと主張した。

霧切さんはたっぷり間をおいてから、何故そんな風に思うのかと問い詰めた。ロッカーは本人にしか開けられないことや、最近入れるようになった部屋のロッカーが、自分に割り当てられるはずがないことを根拠に、苗木くんの考えを否定する。

「確かに、そうかもしれないけど……」苗木くんはきまり悪そうに、しかしはっきりと言葉を続けた。「でも、その手帳に書いてあったんだよ。学園長のことを……お父さんって……」

霧切さんの瞳が見開かれる。口に手を当て、先ほどまでよどみなく紡いでいた言葉を詰まらせた彼女は、目に見えて動揺していた。しかし、飲み込んだ言葉と一緒に昂りかけた気持ちも抑えたようで、そっと手を傍らに落とし、拳を握りしめる。

「もしかして……だとすると、あの映像も……本物……ってこと……?」

それでも続いた言葉は、彼女らしくなく、一人で納得するような、自分本位なものだった。その意図がくみとれず、苗木くんが困惑していると、彼女はふと目の前にいる私たちを思い出したような顔つきになって、「どうやらすべてが繋がってきたみたいよ。最悪のつながり方……だけどね」と呟いた。

「ど、どういう意味……?」

「私は、これからロッカールームに行ってみるわ。あなたが言ったことを、直接自分の目で確かめたいの」

苗木くんは彼女の言葉を聞いて、すぐさまポケットから緊急用の電子生徒手帳を取り出した。ロッカーのカギとして使ってもらうつもりだったのだろう。しかし霧切さんはそれを拒んだ。

「必要ないわ。私の考え通りなら、そのロッカーは私の生徒手帳で開くはず。だってそれは、間違いなく“私のロッカー”なんだから……」

「え、どういうこと……?」

さっきまでの主張と矛盾している。混乱しているのは私だけではなく、苗木くんもだった。霧切さんは無表情のまま制服の内ポケットから透明なケースを出す。苗木くんが受け取ったのを覗き込んで、それがDVDであることを理解した。ふと脳裏をよぎったのは、舞薗さんの殺人が起きるきっかけになった、“動機づくり”のDVDのことだ。浮かんだ家族の映像を振り払うように首を左右に振る。

「第七十八期生緊急面談……?」

苗木くんが読み上げて初めて、DVDに貼られた付箋に気づいた。

「苗木くんがいなくなった後で、あの隠し部屋から見つけたの。私の考えを詳しく説明している時間はないから、代わりに二人で見ておいて。そうすればあなたたちもその意味に気づくはずよ……。私の知らないところで……私の手帳がロッカーに入れられてた意味が……」

彼女の言葉に顔を見合わせたものの、私たちは素直に従った。霧切さんと別れ、一階の視聴覚室を目指す。

DVDを再生機に入れる。映像はすぐには始まらず、しばらく黒い画面を見下ろしていた。ドキドキする心臓を確かめるように、胸の前で手を握りしめる。苗木くんの息遣いを近くに感じた。静寂を長いこと意識していたような気がする。

「ま、舞園さん……!?」

苗木くんが声を張り上げる。本人が現れたわけではない。映像の中に、彼女の姿が映し出されたのだ。私も思わず前のめりになったせいで、肩がぶつかった。謝るのも忘れて、二人して画面を食い入るように見つめていると、音声が流れた。

『では面談を始めようか……』

映像は、画面の手前に映る男性の後頭部の向こうに、こわばった表情の舞園さんが座っている様子を映していた。

『悪いが、この面談の様子は録画させてもらうよ。私は不器用なんでね……喋りながら面談の内容を書き留めるなんて、器用なことが出来ないんだよ』

その発言は、場の雰囲気を和ませようとする優しさのようにも感じたけれど、舞園さんは表情をぴくりとも動かさず、ただ緊張した様子で男性を見つめ返していた。

『この映像は、ある意味、契約書代わりだが……君らを信用してない訳じゃない。ただの保険だ。だから気にしないでくれ』

舞園さんは沈黙を貫いた。ただ、了承を表すように、小さく首を縦に振る。

『では、さっそく本題に入らせてもらうよ。君は、これからの一生をこの学園の中だけで過ごすことになるかもしれない。……それを了承してくれるか?』

『りょ、了承するも何も――』言葉を詰まらせた舞園さんは、明らかに困惑していた。この映像が何なのかという疑問はさておき、あり得ない質問と、予測できる答えに、霧切さんは一体何を見せたかったのだろうと不思議に思う。学園内で一生過ごせなんて、そんなことを受け入れられる訳がないのに。『――分かりました』

「……え?」

苗木くんが素っ頓狂な声を出す。私も、瞬きすら忘れて画面にかじりついた。

『……そうか、すまんな。それなら、私も全力で君を保護することを約束しよう。希望ヶ峰学園学園長の……名にかけてだ』

「ど、どういう……こと?」

映像が途切れ、暗くなった画面を見下ろしながら、私は呟く。

「舞園さんはここから出たかったから、あんなことしてまで……」

苗木くんをちらりと見る。彼は私以上に現状をうまく呑み込めていないらしい。青ざめた顔で画面を見ながら、私の言葉に反応さえ返せずにいた。

何と声をかけるか悩んでいると、また画面に明かりがついた。終わったと思っていた映像が、再び流れ出す。反射的にそちらを見た私は、先ほど以上の混乱に見舞われる。

「え!?」

苗木くんまでもが、叫び声をあげる。画面に映っていたのは苗木くんだった。舞園さんの時と同じ室内、同じアングル。男性と向かい合って、強い瞳でこちらを向いているのは、まぎれもなく隣で息をのんでいる、苗木くんそのものだった。

『苗木くん、面談を始める前に言っておくが、この面談の様子は録画させてもらうよ』

『はい……』

学園長の問いかけに答えるのも、やはり苗木くんの声だった。おろおろと隣にいる彼を見るけれど、やはり表情は動かない。吸い込まれてしまいそうなほど、画面に集中しているようだった。

『……では、さっそく本題に入ろうか。苗木くん、君はこれからの一生をこの学園内だけで過ごすことになるかもしれない。……それを了承してくれるか?』

苗木くんは、たっぷりと間をおいて、先ほどとまるで同じトーンで肯定した。隣にいる苗木くんの口が開いて閉じる。ごくりと唾を飲み込んだのか、のどが動くのを見た。

二人は舞園さんの時と似たような会話を繰り返し、画面が暗転する。その後も映像は、中断と再生を何度も繰り返した。十神くん、腐川さん、朝日奈さん、霧切さん――。誰もが同じようなやり取りを交わし、全員がここでの一生を受け入れると答えていた。

やりとりが聞こえなくなりそうなぐらい、耳元で自分の心音が鳴り響く。そんな中、現れたのは、同じように面談をする、私の姿だった。

『みょうじさん。君はこれからの一生をこの学園内だけで過ごすことになるかもしれない。……それを了承してくれるか?』

『…………はい』

何度も見た光景なのに、全く身に覚えのないやり取りが映し出される。自分の脳みそさえ信じられなくなって、私は震える足で立ち尽くした。また同じように暗転すると思ったら、画面の中の私がうつむいた。ぽたりと落ちたしずくが、スカートを濡らす。カーディガンの袖で目元を抑えながら、『やっぱり、無理、です』と呟く声が聞こえた。今までにない展開に、私はまるで、他人ごとのように息を潜めて成り行きを見つめた。

『だって、私、彼のことが――』

泣き顔と目が合ったとき、唐突かつ不自然にモニターの電源が切れた。先ほどまでとは明らかに違う。根本から映像の気配がなくなって、かすかに響いていた再生音すら途絶えた。

「あれ……?」

苗木くんがとっさにしゃがんでモニターやデッキを確認するけれど、異常を見つけられないらしい。

「な、なんだ……何が起きたんだ……?」

久しく苗木くんと目が合っていなかった気がする。体を起こした彼が、立ち尽くす私を見つめるので、ようやく我に返った。しかしそれに返事をする前に、モノクマが飛び出して来て、先ほどまで私たちが見ていたモニターの前に座る。

「おっとっと……どうやら故障してしまったようですね」

「は……?故障……?こんなタイミングで?」

「どんなタイミングであろうと、故障は突然やって来るものなのです。なぜならそれが故障だから!」

腹を抱えて笑い出したモノクマに、苗木くんが憤慨する。

「何が故障だよ……!わざとジャマしたんだろ!?」

「あれれ〜?苗木クンったら怖いなぁ〜。もしかしてみょうじさんのところで切れちゃったから怒ってるの?」

挑発するように首を傾げたモノクマに、苗木くんは一瞬言葉に詰まった。しかしすぐさま立て直して反論しようとする。

「いいから、早くそこをどいて、モニターを直せよ!」

「苗木クンってば素直じゃないんだから……。苗木クンが興味ないなら、みょうじさんがお部屋であんなことやこんなことしてるシーンを収録したDVDはボクが一人でシコシコ観るかぁ……」

部屋についている監視カメラの事を思い出し、顔が熱くなる。着替えやお風呂あがりは、カメラに映らないよう気をつけていたけれど、寝ているときや普段の様子はどうだったろうと思い浮かべる。見ていたって退屈なものだとは思うけど、全国レベルで放映されていたという事実が、いまさらになって現実味を帯びてきた。

苗木くんも耳を真っ赤にして、「す、捨てろよ!!」と叫んでくれた。しかしモノクマはすぐに姿を消してしまう。わずかに残った化粧品のにおいが、いつもより強くなっている気がした。それがなんだか終末に近づいているようで、私は身震いをする。振り返った苗木くんは、暗い表情のまま、「ごめん……」と謝った。何に対する謝罪か分かりづらかったので、私は首を横に振り、「気にしてないよ」とだけ伝える。

「この面談映像って、なんだったんだろうね……?」

「……」

「苗木くんは、さっきのに心当たりある?私、こんなこと言ったら、変って思われるかもだけど、全く身に覚えがなくて――」

弁解するように彼に語り掛けていると、チャイムの音が鳴り響いた。モニターに、いつも通りのモノクマが映し出される。

『物事には、始まりがあれば、必ず終わりがあるのです。そして終わりがあれば、新しい始まりもあるのです。明けない夜はないよ……。真っ暗な朝だけどね!止まない雨はないよ……。干ばつ状態になるけどね!そう、終わりがあるから、新しい始まりもあるのです。だから、また会えるよね。だって、終わりこそが始まりだから……。……じゃあ、始めましょうか!』終わりの学級裁判の始まりだよ!いつもの場所で、また会いましょう!』

不気味な笑い声を残して、モニターは途切れた。しんとなった視聴覚室に、二人分の呼吸だけが存在している。

「始まる……ね」

苗木くんがポツリとつぶやく。私は、首を縦に振った。

始まってしまう。学級裁判が、始まってしまう。何一つ謎が解けていないのに、最後の学級裁判が……。

無意識にカーディガンの裾を引っ張って伸ばし、握りこんでいた。怖い。その一言が脳裏をよぎった瞬間、体中を寒気が襲い、一歩たりとも動けなくなる。怖い、怖いよ。負けたくないし、死にたくない。でも、勝てる気がしない。あんなに頑張っても解き明かせなかった学園の謎が、たった一日調べただけではっきりするとは思えない。現に今、私たちを囲むものは分からないことばかりだ。私たちはきっとここで、死――。

「みょうじさん」

優しいにおいに包まれて、負の感情で埋め尽くされていた脳内が、瞬間的に空っぽになった。苗木くんに抱きしめられている、そう理解してからは、顔が熱くなって、鼓動が速度を増した。彼は私を痛いくらいに抱きしめると、そのままの姿勢で話し出す。

「本当に、普通のことしか言えなくてごめんね……。だけど、ボク信じてるんだ。みょうじさんのことも、みんなのことも」

肩が震えたのは、先ほどの映像のことを思い出したからだ。身に覚えのない面談、記憶にない自分の言動。苗木くんは、そんな私を信じてくれるというのだろうか。

「だから絶対、全員で無事、この学級裁判を終わらせよう」

苗木くんが言いながら私を抱く腕に力をこめた。私はそれに応えるように、彼の腰のあたりに恐るおそる手を回した。途端に勢いよく離れた苗木くんと目が合う。図々しかっただろうかと動揺したけれど、顔を真っ赤にした苗木くんに見つめられ、こちらまで恥ずかしくなってしまう。

「ご、ごめん。びっくりして……。まさかこんな風に返してもらえると思わなかったから……」

「あ、……あのね、苗木くん」

「な、何?」

「も、もう一回、ぎゅってしてもらって……いい?やっぱりまだちょっと、怖いの。だから――」

言い終わる前に抱きしめられた。私はさきほどよりも力強く苗木くんを抱きしめ返す。彼の背中で自分の両手が触れ合うのを感じた。

「苗木くん、ありがとう」

「ううん、ボクこそ」

名残惜しく感じながらも、どちらともなく距離を置く。苗木くんが差し出してくれた手に恐るおそる右手を重ねる。

「行こうか」

ぎゅっと握ってくれた手は、緊張のせいか少し汗ばんでいた。私は彼と同じ正面を見据える。二人の踏み出す一歩は、たぶん、同じぐらいの歩幅だった。




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160308