この場は苗木くんに任せて、別の場所へ移動することにした。血痕などを見ないように気をつけながら廊下を駆け抜け、学校エリアに向かう。
一階から順に回り、周囲を注意深く確認した。しかし大した手がかりも見つけられないまま四階まで来てしまい、気持ちが焦る。捜査時間の前に流れたアナウンスを思い出したのはそのタイミングだった。
モノクマは、捜査のために全てのロックを解除したと言っていた。新しく解放されたところを優先して回るべきだったかもしれない。しかし落ち込みそうな気持ちを振り払うため、四階の廊下を大きな歩幅で歩む。見落としのないようにきちんと確認して来たことに意味があると、自分に言い聞かせた。
学園長室と、情報処理室のどちらへ行くか迷って、先に学園長室に行くことを選んだ。以前、霧切さんと忍び込んだので、勝手がわかる分、すぐに捜査を終えられると判断したのだ。
重たい扉を開くと、中には十神くんがいた。どきりとして、思わず戸を閉めそうになるけれど、その前に彼が振り返った。目が合ってしまったので観念し、おずおずと入室する。
「みょうじ、お前も来たのか……」
正面にある学園長用のデスクを漁っていたらしい彼が、何かの書類を持ってこちらへ向かってきた。
「ちょうどいいところに来たな。面白いものを見せてやるよ」
こちらが拒絶する可能性など微塵も思っていないような声色だった。十神くんは部屋の中央にあるローテーブルに書類を置くと、それを挟むような形で設置されたソファに思い切り座った。あごを出して向かい側へ座るよう促すので、私はつい言われるがままに反対のソファに腰を下ろす。先ほどまであんなに腹を立てていたのに、思いの外向き合ってみると、落ち着いた気持ちでいられた。きっと苗木くんのおかげだ。
「面白いものって?」
「見てみろ、このファイルだ……」
彼が見せてくれた分厚い黒いファイルの表紙には『第七十八期生在学生名簿』と書かれていた。預かり、それをめくると、私たち十六人と戦刃むくろのプロフィールがファイリングされていた。十神くんが「どうやら、第七十八期生とは俺たちの事を指すらしいな」と補足するのを聞いて、霧切さんの部屋での出来事を思い出した。はっとして顔を上げると十神くんが待っていたように頷いた。
「前に霧切の部屋で見つけた戦刃むくろのプロフィールがあったろう。あそこにも第七十八期生とあったな。おそらく霧切のヤツがこのファイルから破りとったんだろう……。そして戦刃むくろのプロフィールが俺たちと一緒にファイルされていたという事は……やはり間違いない。戦刃むくろは俺たちと同じ、希望ヶ峰学園の新入生だったようだ……」
一緒に学園長室へ忍び込んだ際、霧切さんが机の上の資料をあさっていたことを思い出した。おそらくあの時、彼女もこのファイルを見て、十七人目の高校生である戦刃むくろの存在を知ったのだろう。
「それにしても、よっぽど時間がなかったようだな……」
「え?」
「霧切が、あのプロフィールを盗み出した時の話だ。あの破り方や、紙のしわ具合からして、相当、慌てて持ち去った事がうかがえる……」
「ああ……うん!かなり慌ただしかったよ」
一緒に忍び込んだ時のことを思い出してそう言ったら、十神くんはわずかに驚いたような顔をした。
「……お前、霧切と共に行動したのか?」
「え?う、うん。モノクマが近づいた時の見張り役として……」
事情を説明しようとしたら、何か言いかけようとした十神くんが口を閉じるので、私もつられて黙り込む。「まぁ、いい」と仕切りなおすように話題を戻した彼は、ファイルをめくって、あるページを開いて見せた。
「急ぐあまり……だろうな。あいつが一ページしか持ちだせなかったのは……。戦刃むくろに関するプロフィールは全部二ページあったんだ」
「に、二ページ!?」
「あぁ。つまり、このファイルには……まだ知られていない戦刃むくろの情報が残されているということだ」身を乗り出した私に、彼はファイルを押しやった。「おそらく学園長自身が書いた調査報告書のような物だろうが……希望ヶ峰学園長……どんなヤツかは知らんが、なかなか面白い手がかりを残してくれたものだ……」
与えられた情報を飲み込んでからファイルに目を通す。たくさん文字があったので、軽くめまいがした。十神くんに見られている緊張もあって、やたらと時間がかかってしまうのに、彼は口を挟まずに待っていてくれた。
ファイルには、戦刃むくろが突然帰国した理由に、超高校級の絶望が関わっていることが示されていた。超高校級の絶望が、組織か個人かさえ判明していないけれど、それと戦刃むくろに繋がりがあることは確実であるらしい。
さらに、学園長が戦刃むくろを酷く警戒していることが、報告書から見てとれた。彼女はフェンリルの一員であり、幾多の戦場を渡り歩いた。にもかかわらず、入学時の検診の際、体に傷らしい傷が一つもなかったらしい。それだけ彼女の戦闘能力が高かったということだ。
生徒である戦刃むくろを信じたい気持ちと、他の生徒を危険な目に合わせたくない学園長の葛藤を感じさせる文書だった。読み終えて顔を上げると、待ち構えていた十神くんと目が合った。
「読み終わったか」
「うん……。気になることがあるんだけど……」
「なんだ。言ってみろ」
「なんで、どうやって黒幕は戦刃むくろを殺しちゃった、のかな」
戦刃むくろと黒幕が仲間同士だったことは確かなようだ。戦刃むくろはかなりの強さを持っているようなのに、どうやって黒幕は勝利したのだろう。黒幕はそれ以上に強かったということなのだろうか。
強いと聞いて大神さんを思い浮かべるけど、それはないとすぐに打ち消す。戦刃むくろが殺されたのは、彼女が亡くなった後だ。
「どうやって――お前が気にしているのは戦刃が戦闘力に長けているのに、何故黒幕に負けたのか、ということだろう?単に黒幕の方が優れていたということじゃないのか」
「やっぱり、黒幕が戦刃むくろ以上に強いってことなんだね」
絶望にも似た気持ちを抱きながらも引き継ぐと、十神くんは「推測に過ぎん。不意をついたとか、毒殺したとか、可能性はいくらでもある」と答えた。
「何故殺したか……という質問は、それこそどうでもいいな。ただ何かが食い違った、それだけのことだろう」
十神くんに一蹴されて黙り込む。そしてふと霧切さんの言葉を思い出した。
『手掛かりだけならまだしも、そこから導き出す答えまで共有するのは危険だわ……。学級裁判前に、余計な先入観を植え付けたくないの。それぞれが納得した答えを出すためにね……』
もしも彼の考えを理解できないなら、自分が納得できる推理をするしかないのかもしれない。黒幕の考えを想像しようと思考を巡らせた途端、十神くんが「色々と考え込んでいるようだが」と口をはさんだ。
「ついでにもう一つ教えてやろう。このファイルで注目すべき、もう一点の重要な情報をな……」
「な、何?」
「そのファイルの中に、写真があったのを見ただろう?見覚えがない女の写真だ」
手元に視線を落とす。十神くんが向かい側から手を伸ばして、私の膝の上のファイルをパラパラとめくってくれる。彼の手がようやく止まった時、前髪を無造作に真ん中で分けた、そばかすの特徴的な少女の写真があった。
「俺たち第七十八期生の中に混じっている見覚えのない女の写真……そう考えれば、この女が何者かは簡単にわかるはずだ」
「黒幕!?」
軽率に口をはさんだせいか、十神くんが不快そうな表情を見せる。委縮して、「……じゃないよね、ごめんなさい」と慌てて付け足すと、腕を組んだ彼が、露骨にため息をついた。
「百六十九センチ、四十四キロ。上から八十、五十五、八十二……」
「えっ」
「その女の身体プロフィールだ。ファイルの中に書いてある」
彼が口にした数字が手元の書類にあってギョッとした。身長も体重も、スリーサイズも記載されている。全員分のプロフィールがこのファイルに挟んであることを思い出し、それを先ほどまで眺めていたであろう十神くんを見つめて固まった。
「プロフィール、見た?わ、私の」
「お前の貧相な体に興味はない」
一刀両断され、言葉に詰まる。確かに、今はそれどころじゃない。空気の読めない発言をしてしまったことが恥ずかしくて項垂れた。
「お前はその女の体型をどう思う?」
「え?……ス、スタイル、いいなぁ……とか?」
私もこれだけ身長が高かったら……。いや、でもどうなんだろう。少し細すぎる気もする。数字を見つめてうんうん唸っていたら、さっきよりもわざとらしいため息を吐かれた。
「……勘違いするな、間抜け。後で確かめておけという意味だ。例の死体……万が一という可能性もあるはずだぞ。念のためにも調べて置いた方がよさそうだ……という訳だ。任せるぞ」
「ど、どういうこと?」
「植物庭園にある死体と、そのプロフィールの体型が一致しているか確認しろという意味だ」
要領を得ない私にいら立って、十神くんがとうとう語調を荒げた。理解したことを伝えるため、頭を激しく縦に振ってみせる。私は近くにあった紙とペンをとり、戦刃むくろの体型をメモした。そしてようやくそこで、先ほどの十神くんの言葉を理解した。
「植物園で死んでたのが、戦刃むくろじゃないかもしれないってことだね!?」
「……難儀な脳みそだな」
返す言葉もない。メモした紙を切り取って、カーディガンのポケットにしまう。この部屋は彼に任せようと、ファイルを置いて立ち上がる。
「それじゃ、私行くね。こういうのは、十神くんの方がうまく調べてくれそうだし……」
「待て、お前にはもう一つ言っておくことがある」
手首を掴まれて、腕がぴんと伸びた。振り返って、離れる意思がないことを示したのに、握られたままの腕は解放されない。
「忠告だ、ありがたく聞け。お前や苗木は随分、霧切と仲良くしているようだが、あいつを信じ過ぎない方がいい。そうでないと、手痛いしっぺ返しを食らう羽目になるかもな……」
先ほど霧切さんと学園長室へ忍び込んだ話をしたら、彼が酷く不機嫌そうな顔をしたのを思い出した。
「それってどういう意味?」
表情を暗くした私を見て、彼は眉間にしわを寄せた。単純に意図を尋ねたつもりだったのだけれど、楯突いたように思われたのかもしれない。
「お前はよほど俺が気にくわないらしいな」
鼻で笑う十神くんを意外に思った。視線をそらす彼はどこか自嘲的に見えたのに、掴んだ手首はそのままだ。まるで、彼も恐怖に押しつぶされそうになっている、普通の少年のようだった。
「べ、別に、そういうわけじゃないよ」
「ほう?協力だの信頼だの言っていたお前は、それに反対意見を唱える俺が邪魔だったんじゃないのか?」
「…………」
先ほどまで私を振り回していた感情を思い出す。今でこそ苗木くんに毒気を抜かれたけれど、もし彼より先に十神くんに会っていたら、私はどう返していただろう。
十神くんは嫌いだと、宣言した時もあった。わざわざ嫌な言葉を吐いて、場を引っ掻き回すし、みんなが信じあおうと手を繋ごうとする姿を、表立って笑うのには腹が立った。
しかし、今になって思う。十神くんがいなかったら、どうなっていたか。許されないこともたくさんした彼だけど、その根底にあった気持ちは私と何が違うのだろう。生きたいとか、助かりたいとか、周りに負けたくないとか、いたって普通の感情の上に成り立つ行動だったのではないだろうか。
私が周りに好かれたくて、信じてもらおうと自らを偽ったのと同じだ。十神くんは別の形で示しただけで、私に彼をとやかく言う資格なんてない。
「私は十神くんにムカついてたよ」
ほう、とつぶやく彼が手首を握る手に力をこめた。このまま捻り上げられたらどうしようという不安もあったけど、どこか冷静なまま言葉は続く。
「でも、なんていうか、今は仕方ないってわかる。こんな状態で、他人を思いやる余裕がある人なんて、いないよ。それこそ、苗木くんぐらいだよ。私だって自分のことに必死で、みんなのことがよく見えてなかったと思うんだ。だから、十神くんにも、ムカついてたんじゃないかな……」
十神くんは何も言わなかった。聞いてくれているのか、反論を考えているのか、見た目には判断しかねた。
「えっと、協力とか信頼とか、私は一度、そういうのは置いておくことにしたの。みんなでここから出るために、私は私のできることをやるよ。それが、協力になるならそうするし、信じ合うことが必要ならそうする。黒幕がこの中にいるんだとしたら、それはショックだけど、それを考えるのは後って感じかな……?いっぺんにたくさんのこと考えるのは苦手だから……って、私、何言ってるのか自分でわかんなくなってきちゃった。十神くん質問に対する答えになってる?」
「……フン。俺の理解力の高さに感謝することだな。普通ならば伝わるまい」
「そ、そうだよね。ありがとう」
手首を解放された。私は改めて別れの言葉をつむぐと、部屋を出るため身を翻した。
扉に手をかけたとき、ふと思い立って振り返る。ソファに座って長い脚を投げ出し、膝の上に肘を置いた十神くんは、何やら考え込んでいるようだった。しかしなかなか出ていかない私を不審に思ったのか、顔だけこちらに向ける。視線が交わった。
「あのね、さっきの訂正させてもらっていい?」
「……何だ」
「こんな状態で他人を思いやる余裕なんてないよ、って話」
今まで受けた、たくさんの優しさを思い出した。
舞園さんがくれたおにぎりの味や、風邪をひいた時に朝日奈さんたちが部屋の前に置いてくれた夜食。モノクマメダルを一緒に探してくれた大和田くんや、おいしいミルクティーの入れ方を教えてくれた山田くんのこと。柔らかいティッシュの存在をおしえてくれたセレスさんに、布団をかけてくれた霧切さん。
全部ぜんぶ、何気ない思いやりだった。それが本当か嘘かなんて分からないし、これからもハッキリすることはないだろう。でも、その瞬間、そのタイミングで、相手が望む行為をすることは、紛れもない気遣いだ。
「十神くんもそうだよ。私のこと、五階から一階まで運んでくれたでしょ?」
新たに五階が解放されて探索している際、気を失ってしまった私を運んでくれたと、後から苗木くんに聞いたのだった。十神くんは目を見開いて、すぐに不快そうに舌打ちをした。視線はそらされた。
「それって、間違いなく協力の一つだよ!十神くん、ありがとうね」
私は苗木くんのようにはなれない。だれもかれも妄信して、協力することなんてできない。でも、もらった恩には報いたい。感謝の気持ちはきちんと伝えたい。また傷つくことがあるかもしれないけれど、その時はその時だ。それに、どんなに悲しいことがあっても、苗木くんが傍にいてくれれば大丈夫だと心から思えた。
「それじゃあ、絶対に謎を解き明かそうね!」
「……みょうじ!」
十神くんが声を張る。足を止めて顔だけ振りかえると、彼は浮かせかけていた腰を、またソファへおろした。
「なんでもない。行け」
「?う、うん。……またね!」
彼が飲み込んだ言葉を気にしながらも、捜査時間に限りがあることを思い出し、私は学園長室を後にした。
自分の中に停滞していた気持ちが、言葉にしたことで整頓された心持ちだった。先ほどよりも強い意志をもって、私は廊下を突き進む。
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