食堂を出て寄宿舎に向かって歩くと、二階へ続く階段を封鎖していたシャッターがなくなっていることに気づく。すべてのロックを解除したというモノクマの放送を思い出し、私はそちらへ向かった。
二階へ上がった私は息を呑み立ち止まる。廊下はまるで、爆撃を受けたかのように荒れ果てていた。コンクリートの壁は崩れ、廊下に積み上がった瓦礫が道を塞ぐような、ひどい惨状だった。
「な……なにこれ……」
何かを確かめるためにつぶやいた言葉は、ますます現実感を失っただけだった。這い上がるように迫ってくる恐怖に、元来た道を引き返したい衝動に駆られた。しかし、そんなことも言ってられないと思い直し、意を決して奥へと進む。ほとんどの扉が瓦礫で塞がれていて、中に入れないようになっていた。たまに開く扉があっても、中は同じようにボロボロで、なんの手がかりも見つからなかった。
奥へ進むと廊下に血痕があり、私の動きはだんだん鈍くなる。一人でいることがどうしようもなく怖くて、足がすくみそうになるのを、壁づたいに進むことでなんとか持ちこたえる。
壁に寄りかかり、呼吸を整え震える体を抱きしめた時、目の前に、ロッカーに入ったキリンの絵が描かれている扉を見つけた。他とは一風変わった様子に、私は注意深く意識を向ける。そして、人の匂いがすることに気づいた。葉隠くんや霧切さんの匂いが残っている。誰かいるのかもしれない。そう考えたら体が先に動いて、私は部屋に飛び込んでいた。
部屋に入ると、みんなの匂いが香った気がした。しかし人の姿はどこにもなくて、物悲しさに襲われる。脱力しそうになってから、一つの疑問が浮かび、動きが止まった。
霧切さんは姿をくらましていた際、モノクマのカギで様々な場所を調査したと言っていた。彼女の香りが残っていることには納得できるけれど、葉隠くんはいつの間にここへ来たのだろう。彼は先ほど食堂を出て、学校エリアに行ったはずだ。
葉隠くんの匂いの元を探そうと、地面に膝をついたら、外からパタパタと走ってくる足音が響いた。耳を澄まして廊下に意識を向けていると、すぐ目の前で止まった気配が、扉を開いた。
「みょうじさん!」
安堵の表情を浮かべたのはつかの間で、地面に座り込む私を見た彼は、慌てた様子でかけよってきた。
「大丈夫!?どうかした?」
「違うよ〜。気になる匂いがあったから、たどろうとして……」
苗木くんは納得したようで、またほっとした顔になった。私は意識を戻して匂いを嗅ぎ、一つのロッカー前までやってきた。
「これだ。葉隠くんの匂いがする」
「え?葉隠くんここに来たのかな?」
「それは分からないんだけど……」
振り返ると、思ったより近くでロッカーを覗き込んでいた彼と、顔がぶつかりそうになってしまう。真っ赤になってのけぞった苗木くんを見ていた私は、その場から一歩も動けなかった。
「……みょうじさん」
真剣な声音が、食堂で呼び止められた時のものと重なった。
我に返り、とっさに顔をそらす。立ち上がってタイツやスカートをはたきながら、弁解するように言う。
「あ、あの!苗木くんがここを調べるなら私は他のとこにいくよ。バラけた方が効率いいし、一人で調べるって流れだったみたいだし……」
「みょうじさん。ボクは君を追ってきたんだよ。捜査する前に話したくて……」
必要以上に埃を払っていた手を止めざるを得なかった。おもむろに顔を上げると、視線が絡まる。
「なんだかみょうじさん、元気がないように見えたから心配で」
こんな状況で元気なのもおかしいんだけど、と付け足して曖昧に笑う。彼が慎重に言葉を選んでくれているのが伝わって、いたたまれない気持ちになる。
「……ごめんね」
ぽつりとこぼした謝罪は、静かな部屋によく通った。彼の表情が緊張にこわばる。何を言い出すのかと、身構えているようだった。
「――私ね、苗木くんを信じたよ。苗木くんの言葉があったから、頑張れてる。だから、信じてる。今も、これからも」
「えっ、あ、ありがとう……」
私の言葉は想像していたものと違ったらしい。安心と照れくささの入り混じる表情を浮かべた彼から視線をそらし、「でも」と遮る。二人分のスニーカーを、瞬きもせず眺めた。
「苗木くんが信じる未来は、信じられないの。他の人は、信用できない。協力も、できない、かも」
驚きに息をのむ音を聞く。彼の返事を知りたくなくて、まくしたてるように続ける。
「苗木くんと違って、心が狭いんだよ、私。学級裁判で苗木くんに投票したみんなが許せない。だって、もしかしたら苗木くんは本当に死んでたかもしれないんだよ?それなのに、あんな風に謝りもしないで、普通に接して……。さっきも、なんで誰も謝らないんだろうって、ずっとモヤモヤしてた。あの中の誰かが黒幕かもしれないって言われて、納得出来ちゃう。……なのに、苗木くんはすごいよ。なんでまだ、みんなとの協力を選べるの……?」
息が苦しい。一気に話して涙ぐんで、呼吸が混乱している。一度言葉を切って、肺に思い切り空気を入れたら、続けて何を言いたかったのか分からなくなってしまった。
訪れた沈黙。苗木くんが、恐る恐る口を開く。
「そ、そんな。大したもんじゃないよ。もしボクが逆の立場だったら、やっぱり誰かに投票してたと思うし……。むしろ、あの状況でボクに投票しなかったみょうじさんの方が、すごいと思うんだけど……」
「それは……」奥歯をかみしめて、懺悔するような気持ちで続けた。「……あんなの、違うよ。苗木くんに投票したくない気持ちは本当だったけど、自分に投票したって、死なないって分かってたから……。もしかしたらそういう気持ちもあったんだと思う。私、汚いんだよ。ずるいんだよ。周りに良く思われたくて、ずるばっかしてる」
自分のスニーカーが涙にぬれた。カーディガンの裾で、あふれるしずくを抑え込む。
「苗木くんは、本当にすごく優しいから、一緒にいると恥ずかしくなる。自分の嫌なとこばっか見えちゃって――」
「ま、待って!みょうじさん!」
力強く両手をとられて、無理やり引っ張られる。反射的に顔をあげてから、自分の顔が涙で酷い状態になっていることを思い出す。至近距離で見られることに耐えられなくて俯こうとしたら、再び名前を呼ばれる。逃げることを許さない響きを持っていて、私は固まった。
「ボクのこと誤解してるよ。全然、そんな立派な人間なんかじゃないよ?むしろ、そうやって考えられるみょうじさんの方が、きれいだよ」
声が出なくて、私は首だけ横に振った。また涙があふれ出る。
「なんでそんな聖人君子みたいに思われてるか知らないけど……ボクだって平気でズルとかするし……」
「……苗木くんが?」
「う、うん。提出物で答え写したことあるし、朝寝坊して、でも頑張れば遅刻しないのに、ゆっくり歩いていったりとかもするし……」
「そんなの、普通だよ。誰だってあるよ」
慰めようとしているのだと、ハッキリわかった。それがますます自分をみじめにさせるので、声が暗くなる。
「……えっと……じゃあ。お風呂、のぞいたこと、ある……」
「え……、お風呂?」
予想外の発言に、声が上ずった。彼は顔を真っ赤にして、うなだれながら白状する。
「ごめん、前、他のみんなとつい……。女子が大浴場に、入ったことあったでしょ……?あの時……」
過去の話をしているのだと思ったら、ごく最近の、それも自分も対象に含まれているのだと理解し、仰天した。
「ご、ごめん!本当に……謝ってすむ問題じゃないんだけど……ごめんなさい!」
「う、嘘だよね?」
「ほ、ホントだよ……。ごめん。あの時はどうかしてたんだ!でも、なんでこんなこと白状したかっていうと、変な幻想持って欲しくなくて……!だって、前も言ったけど、ボクはみょうじさんが好きだから!」
苗木くんが、背筋を伸ばしてまっすぐこちらを見る。しかしその顔色は青いのか赤いのか分からないほど、悪かった。
「ボクだって普通の男子だから……!結構しょうもないこと考えてる、し――」だんだんと尻すぼみになる言葉。彼は力なく私を解放すると、顔を覆うようにしてその場にしゃがみこんだ。「……なんか、あーもう、なんで、いつもこんな告白の仕方になっちゃっうんだよ。最初は寝ぼけた状態だったし……、しまり悪すぎるよ…!」
自分の心臓がバクバクいうのを聞きながら、衝撃的な告白に混乱していた。まだ半信半疑の状態で、「ほ、本当に本当なの?」と尋ねると、勢いよく立ちあがった苗木くんが、「全部ホントだよ!」とヤケになって叫ぶ。
「ボクだって腹が立つこともあれば、みょうじさんをそういう目で見たりしたこともある、フツーの男子高生だよ!投票された時だって、みんなどうして信じてくれないんだとか、悲しくて虚しい気持ちになったよ。あたりまえじゃないか」
段々と落ち着いてきた苗木くんが、訴えるように語る。
「……じゃあ、なんでみんなに怒らなかったの?」
「みょうじさんがいてくれたからだよ。僕の代わりに、みょうじさんが言ってくれたからだ!」
彼がまた声を張る。二人しかいないのに、必要以上に叫ぶ彼は、裁判の時と同じぐらい必死に見えた。
どうしてこんなに一生懸命になってくれるんだろうと、ぼんやりした頭で考えた。私が勝手にいじけて拗ねているだけなのに、面倒に思わず、手を離さないでくれるのは、何故なのだろう。
「だから……、だから、みょうじさんが自分を責める必要はないんだ。誰かのために怒れる人を、心が狭いなんて言わないよ。それから、もしボクが優しいって思うなら、それはみょうじさんのおかげだよ。みょうじさんがいると、ボクは優しくなれるから……」
彼はそこで思い直したように、咳払いをする。また背筋を伸ばして居住まいを正すと、「ごめん。言い直させて」と前置きした。
「ボクは、みょうじさんが好きだ。みょうじさんが思ってるような、すごいヤツじゃないんだけど、みょうじさんのこと大切にしたいって気持ちは、誰にも負けないと思う」
苗木くんは、耳まで真っ赤にしていた。多分、私も同じぐらい赤いのだと思う。すごく顔が火照っているので、鏡を見なくても分かった。視線がぶつかるだけで、死ぬほど恥ずかしい。しかし同時に、それ以上に喜ばしい。カーディガンの袖を握りしめながら考える。考えて、答えがとっくに胸の内にあったことを知る。
「私も、苗木くんが好きだよ」
緊張のせいか、頭がズキッと痛んだ。苗木くんがぱっと表情を輝かせる。
「本当に?ボクの好きは、その、恋愛的な意味なんだけど……」
「私もそうだよ。苗木くんを助けられなかったこと、本当に後悔したから。トラッシュルームでも言ったけど、もう、二度と離れないで欲しい……」
彼は思い切り飛び込むように距離を縮めて来たかと思うと、私の背中に腕を回して、力いっぱい抱きしめた。
「勝手なことしてごめん。本当は自分が犠牲になってでも、みょうじさんを救えたらいいって思ってたんだ。もしも自分がいなくなったら十神くんにみょうじさんを守ってもらおうなんてバカなことまで考えて、実際にお願いして……」
学級裁判後の十神くんの言葉を思い出す。苗木くんは自分のことを後回しにして、私のアリバイをどう証明すればいいか相談したと言っていた。
「……だけど、さっきハシゴを登ってきたとき、泣き腫らしたみょうじさんの目を見て、自分の考えが間違ってたことが分かったよ」
彼が肩に手を置いて離れる。至近距離で目があった。
「みょうじさんだけ助けるんじゃダメだ。ボクも助からなきゃ。もちろん、他のみんなも……」
「苗木くん……」
「だからボクは、みんなと協力したいんだ。みんなで助かるために」
苗木くんの柔らかい笑顔は、私の心をたやすく包み込む。気づけば素直に頷いていて、彼はますます嬉しそうに笑うのだ。
喜びを分かち合うように抱擁してくれた苗木くんの腕の中、心がすっきりしているのは、泣きじゃくって自分の感情をぶちまけたことだけが理由ではないはずだ。
「……分かった。私、がんばるよ。みんなとも、協力できる気がしてきた」
「みょうじさん、ありがとう」
「ううん。私こそ、たくさんありがとう。……そしたら、ここは苗木くんに任せて別の場所を調べてくるね。少しでもみんなの役に立ちたいから、色んなところの匂い嗅いでくるよ!」
「うん。……あ、みょうじさん」
彼の腕から抜け出て、離れようとしたら呼びとめられた。「何?」と首をかしげて見上げると、またじわじわと赤らんでいく顔がそらされた。苗木くんは自分のポケットに手を入れたまま、沈黙している。その姿をどこかで見たような気がして、記憶をめぐらしているうちに、彼がポケットから手を出す。何か諦めたような表情をしていた。
「……ごめん、なんでもない。絶対に全ての謎をといて、みんなでここから抜けだそうね」
私はそれに強く頷いた。あんなにもやがかかっていた心は晴れ、自分の進むべき道がクリアになっていた。
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151209