叫んでいるはずなのに、声が聞こえない。連れ去られた苗木くんを追いかけようとしたら、十神くんに押さえ込まれた。必死で暴れて、抵抗して、苗木くんを呼ぶ。死なせたくない、死なせちゃいけない。「後悔したくない」と言った苗木くんの言葉がよぎる。
「苗木くん!やだ!いかないで!!」
「みょうじ、落ち着け……!」
「みょうじさん……!」
霧切さんも私を抑える。苗木くんの乗せられたベルトコンベアが動き出し、一定の間隔でプレスの音も響く。いやだ、いやだ、いやだ。それだけが脳内を埋めていて、何を口走っているかも分からない。
「やだよ!離して!なんで、嘘ついたの?なんで、なんで……十神くんも、霧切さんも、嘘つきだよ!私は、なんで、苗木くん、なんで……!!やだ!!」
地を叩くプレス機の音が、彼に迫る。いやだ、いやだ、いやだ。
「あれ……あれれ……?」頭の中が真っ白になっていた。訳も分からず意味を持たない音を吐き出し続けていると、モノクマが妙な声をあげた。「な、なんだよこれ……なんなんだよ……!」
十神くんと霧切さんの、私を抑える力が緩んだ。二人から抜け出して、鉄格子に向かって走る。衝突する勢いですがりつくと、苗木くんを圧し潰すために動いていた機械が止まっていた。モノクマを写していたモニターも、暗い画面になっている。苗木くんの姿はどこにもない。
「ねぇ、今のって……!」
「あ、あぁ……間違いねーべ!」
「アルターエゴ……!」
口々にみんなが叫ぶのを聞いて、不二咲さんの……アルターエゴの顔が、思い浮かぶ。モニターに彼の顔が浮かび、それから機械が止まったようだった。ベルトコンベアだけは間に合わず、苗木くんは流され落下したらしい。
「……アルターエゴ!?まさか……あいつの仕掛けたウイルス……?さては、ネットワークに侵入した時だな」モノクマが牙をむく。鋭い爪もかざして、怒りに震えた。「チクショウ……やりやがったな……」
「どうやら計算が狂ったみたいね……。いえ、狂いっぱなしね……」
「……なんだって?」
「私たちのことを甘く見過ぎていたってことよ……」
霧切さんとモノクマのやりとりを、意識の外に聞いていた。格子づたいにその場にへたり込む。
「フン……何を勝ち誇った気になってんのさ……別に……痛くもかゆくもないよ……妙なウイルスだって今ので終わりだろ?それに、苗木クンだってそうだよ。ペッタンコにならずに済んだけど、彼は二度と戻って来られないはずだよ……。ゴミだらけの地下でじわじわと殺されるなんて……ある意味、一番しんどい、おしおきかもね」
モノクマが笑う。地面に崩れ落ちた私に近寄り、耳に直接吹きこむように、絶望を紡ぐ。
「だけど足りない……まだ足りないよ……。まだまだ、オマエラに絶望を与えてやるよ……まだまだ、世界に絶望を与えてやるよ……うぷぷ……うぷぷ……うぷぷ……うぷぷ……うぷぷ……うぷぷ……うぷぷぷぷ……うぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ……」
気味の悪い言葉を残して、彼は消えた。私は地面についた手の甲へ、涙が絶えずこぼれ落ちるのを見つめているしかできなかった。
「みょうじちゃん……」
朝日奈さんが私を呼ぶ。葉隠くんも、隣にしゃがんで覗き込んできた。言葉を返す気になれなくて、私はただ、泣き続ける。感情を制御する方法が分からなかった。
「いつまでそうしているつもりだ?」
十神くんの声も聞こえた。私は、答えなかった。彼はしばらく待ったけれど、やがて舌打ちをし、遠ざかる。他のメンバーにも「放っておけ」と言っていた。私もその方がありがたかった。
エレベーターの開く音がする。みんなが乗り込んでいるのが、振り返らずとも気配でわかった。薄暗い裁判場に、ただ一人になると思った時、十神くんが、珍しく声を張って私の名前を呼んだ。
「一度しか言わんから、よく聞け。苗木の最後の願いを教えてやる」
私は顔を上げ、振り返る。ぐずぐずになった視界に、歪んだみんなが映った。
「苗木は、疑いが自分とお前に向くことを分かっていた。そしてお前のアリバイを証明する方法はないかと、俺に相談してきた」
十神くんの声が、閉鎖的な空間にこだまする。耳から脳天へ突き抜けるように、言葉が暴力的に響いた。
「あいつの願いは、お前を守ることだった。馬鹿な気を起こすなよ。苗木の死を無駄にしたいというなら、別だがな」
その言葉を最後にエレベーターが閉まる。とうとう一人ぼっちになった私はうずくまるように地面に額をつけた。それからずっと、自分の無力さを噛みしめるように、泣き続けた。
涙を流しすぎた瞼が熱い。裁判場は音がなく、自分の存在を、ありありと感じた。
私は面をあげて、立ち上がる。ずっとうずくまっていたせいで、脚が軋んだ。
『あいつの願いは、お前を守ることだった』
『私は……あなたたちを助けただけよ……』
『みょうじさんが、ボクを信じてくれて、良かったよ』
色んな瞬間がフラッシュバックする中に、モノクマの声が交じっていた。
『ゴミだらけの地下でじわじわと殺されるなんて……ある意味、一番しんどい、おしおきかもね』
エレベーターが降りてくる音を聞きながら、苗木くんを想う。たくさん与えてくれた彼に、私はまだ、何も返せていない。可能性がひとかけらでもあるならば、諦められない。泣いてたって何もかえられない。私が、動かなきゃ。もう後悔するのは嫌だから、自分にできることを、全部するんだ。
地下から出て、赤い扉を抜けると、寄宿舎へ向かう。静まり返った廊下に、人の気配はなかった。学校エリアの照明が消えているので、夜時間になっているようだ。
みんなはどこへ行ったのだろうかと、頭の片隅で考える。それでも、歩みを止めずに進むのは、泣きじゃくって浪費した時間を取り戻したかったからだ。
寄宿舎の廊下の突き当たりにある、トラッシュルームの前に立つ。モノクマは、苗木くんの落下先を、『ゴミだらけの地下』と言っていた。ゴミと聞いて真っ先に思い浮かんだのは、ここだった。鼻が曲がりそうになるほど臭気が立ち込めるこの場所は、とても苦手だった。だけど、そんなことを言っている場合じゃない。覚悟を決めて扉を開く。
立ち込めた生臭い匂いに、息がつまった。マスクの上から口元を抑えて、呼吸を最低限に減らす。顔が歪むのを感じながらも、部屋の奥へと進んだ。
鉄格子を掴んで、ガシャガシャやるけれど、動きそうになかった。中には入れそうにない。
仕方なく鉄格子より手前を調べていて、地面に四角い扉があるのに気づいた。地下へ行けるかもしれないという期待が胸に膨らむ。しかし、いくら押しても引いても、びくともしなかった。鍵がかかっていることに気づいて、絶望する。散々泣きはらしたというのに、まだ涙があふれ出てくる。
「なんで……なんで、私はなんにもできないの……」
裁判で役立てるぐらい、頭が良ければ。黒幕と戦えるくらい、強ければ。苗木くんを守れるぐらい、力があれば。
情けなくなる。何もできなかった自分が憎くて、死んでしまえばいいのにとまで思った。でも、この憎らしい命を守ったのは、私が忠誠を誓った苗木くんだ。十神くんが言うように、彼の死の覚悟を、無駄にすることはしたくなかった。
きぃ、と扉の開く音がして、私は振り返った。暗いトラッシュルームに光が差し込んで、逆光を背負った霧切さんが立っていた。内またに座っていた私は、立ち上がるのも忘れて、彼女を見上げた。驚いた表情を見せたのは一瞬で、霧切さんは、ブーツを鳴らして歩み寄ってくる。
「……どいて」
冷たい言葉とは裏腹に、扉をガシャガシャ鳴らしているだけだった私の腕をどかす手は、優しかった。霧切さんはポケットから、モノクマの装飾がほどこされた鍵を出すと、錠に差し込んだ。それをひねると、カチリとハマる音がする。私は霧切さんに、「それ、トラッシュルームの鍵だったんだね」と言った。泣きすぎたせいで、鼻声になっていた。
「違うわ。これは、希望ヶ峰学園の、全ての扉を開けられる鍵……」
それを聞いて、私はパズルのピースがハマったように、全てを理解した。彼女が自分の部屋に入れたのは、この鍵を使ったからだったんだ。霧切さんは、私の視線に気づき、すぐに目を逸らした。
「言いたいことはあるでしょうけど……後にしてもらうわ」重たいつくりの扉を、なんとか持ち上げながら、呟くように言った。「私は苗木くんを、助けに行かなくちゃ」
地面に対して直角なところで止まったフタから、そっと彼女が手を放す。そして、その中を覗き込んで、顔をしかめた。私も同じようにして、胃の奥がひゅっと冷えるのを感じる。扉のむこうには、下っていくためのハシゴがあったのだけれど、奥が見えないほど暗く、どこまで続いているのか見当もつかなかった。
彼女は鍵を使ってシャッターを開けると、奥に進んでゴミ箱を漁った。空き缶を一つ手に取ると、戻ってくる。
「霧切さん?」
彼女は私の問いかけに答える代わりに、口元で人差し指を立てた。それから跪いて、地面に耳を寄せると、扉のむこうに空き缶を放った。つられて私も耳を澄ますけれど、いつまでたっても、地面に落ちる音がしなかった。二人で顔を見合わせる。
「だめね……。このハシゴを下っていたら、時間がかかりすぎるわ」
霧切さんは扉にフタをすると、また奥へ向かった。何やら探しているらしく、焼却炉の裏側を覗き込んだ。
「ここから行けそうね」
私は立ち上がって、彼女の元へ走る。覗き込んで絶句したのは、先ほどのハシゴよりも、危険そうだったからだ。何も、掴まるとこなどない、地下へと続く空洞。斜面になっていて、廃棄物をそのまま投げ入れるだけの場所に、霧切さんは飛び込もうと言うらしい。斜面になっていると言っても、これがどこかで垂直になっているかもしれないし、それは奥に進むまで分からない。こんなところに身一つで飛び込むなんて、自殺行為だ。
「あ、危ないよ……。ハシゴを下りていった方がまだ……」
「それだと、どれだけの時間がかかるか分からない。このままでは、苗木くんが衰弱死してしまうわ」
モノクマの、「じわじわと殺される」という言葉が蘇り、唾を飲んだ。
「だったら、私が行くよ。私、丈夫だから……」
見るからに華奢な霧切さんに任せるのは不安だった。ブレザーを脱ごうとしたら、彼女に抑え込まれる。
「お願い。私に行かせてほしい。これは、罪滅ぼしなの」
真っ直ぐ見つめられて、動きを止めた。先ほどの裁判の事を言っているのだと、すぐに察する。
「そしたら……一緒に行こうよ」
「いいえ……。あなたは、ここにいて。黒幕が来て、出口を封鎖されたら、私たちは戻って来れなくなってしまう」
霧切さんが私を危険から遠ざけようとしているのが分かった。私は仕方なく、項垂れるように頷いて見せた。
「……わかった。霧切さんと苗木くんのこと、信じて待ってるから」
何気なく出た「信じる」という言葉に、霧切さんが動きを止めた。
「まだ、私を信じられるの?……あなたは気づいていたはずよ。私が、私自身の部屋に入った事実に」
鍵をつまんで見せた霧切さんから、視線を逸らすように俯く。スカートのすそをいじりながら、慎重に言葉を探した。
「あ、あんな風に布団をかけて鼻血の手当てしてくれた人が、人を殺すなんて思えないよ……。何か、理由があるんだよ、ね?」
「あなたはそういう人たちを散々見てきたはずよ。それでも何故、今でも『信じる』と言えるの?」
その言葉には、棘があったわけではない。胸に刺すような痛みが走ったのは、私の意識の問題だ。
カーディガンにしまっていた自分の手を、少し出した。それから、踏ん張って、背筋を伸ばす。霧切さんの視線を、正面から受け入れる。
「ううん、霧切さんの言うとおりだ……。わ、私、ごめんなさい。霧切さんを、疑ってた」
彼女は何も言わなかった。じっと私を観察している。
「本当は、霧切さんのこと犯人だと思った。だって、苗木くんが犯人じゃないことは、私が一番知ってるから……」
またあふれ出した涙に、自分自身、呆れていた。泣いても泣いても枯れ果てないのだ。
「だけど、信じたいんだよ……。私は、苗木くんみたいになりたいから……。苗木くんみたいに、みんなに好かれたいの。みんなに嫌われたくないの。信じてほしいから信じるし、疑われたくないから、疑わないって言った。でも、本心では疑って、信じられなくて、不安になって……結局苗木くんみたいにはなれなかった。……ホント、駄目だよね……。こんな私、ずるいし、汚い。霧切さんも嫌いになったよね……」
しゃくりあげながら吐き出した私を、霧切さんは、静かに見つめていた。けれど、やがてふと、口元を緩めるように、笑う。全てを受け入れるような微笑みに、思わず見とれた。
「むしろ、人間らしい理由で安心したわ」
「……え?」
「裏切られても信じて、傷ついても繰り返して……どこまで忠犬みたいな性格なのかしらって思ってたのよ」
霧切さんは、それ以上何も言わなかった。私も返せなかった。
彼女は軽く体を動かして解すと、いよいよ廃棄口に身を乗り出した。ゴミをかき集めて体の下に敷くと、「一日経っても戻らなければ、他のみんなに相談しなさい」と言った。そして、そのまま飛び込んでいった。最後に香った桃の香りが、息苦しいトラッシュルームで、唯一の救いだった。
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