ここほれわんわん | ナノ
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植物庭園に入ってすぐ、目に飛び込んできたのは、床に横たわる人の姿。

白衣がかけられた体の腹部には、深々とナイフが刺さっていて――間違いなく死んでいると、一目で分かった。

ただ、それよりも気になるのは、その人物の顔だった。

「苗木くん、あれ……」

愕然とした私は、すがるような目つきを苗木くんに向ける。こちらは見ずに、深々と頷いた彼の額には、汗が浮いていた。

「あの、覆面――」

床に横たわる人物は、苗木くんと私の寝こみを襲おうとした人物がつけていた覆面を被っていたのだ。

「こいつは何者だ……?」

十神くんが訝しげに眉を寄せる。それから、私を振り返って、顎をくいっとあげた。

「すぐに調べるぞ。ただし、慎重に慎重を重ねろ。何があるかわからんぞ」

嗅覚を使えと言われているのだと理解した。私恐る恐る踏み出すけれど、すぐに異変を察知して、歩みを止める。

「ごめん、十神くん……む、無理っぽいよ……」

「……何故だ?」

「薬品の匂いが強すぎる……。何か、辺りにぶちまけられているみたいで……」

マスクを外さなくても分かる。校舎に染みついていた、薬品の匂いが凝縮されたような、強烈さ。もしかしたら犯人の手掛かりを見つけられるかもしれない。そんな淡い期待を抱くことができないぐらい、離れた場所まで匂いが漂っている。

咄嗟にマスクの上から鼻を抑えると、まだ少し痛みがあって、じくりと疼いた。

「みょうじ対策ということか……」

「え?」

忌々しげにつぶやいた十神くんに、首を傾げる。

「どうやら犯人は、お前に死体を嗅がれては困るようだ」

ふと、思い出したのは、目の前で死んでいる覆面の人物に、殴りつけられたことだった。ためらいもなく私の顔面を攻撃してきたのは、私に自分の匂いを確認されたくなかったのではないだろうか。覆面をしていたし、苗木くんを殺そうとしてたわけだし、正体がバレたら困るのは当然だけど……。この人といい、この人を殺した犯人といい、やたら私を警戒しているようだ。

「呼吸はない……胸も動いていない……一切の生命的活動が停止しているようだ……。腹部に突き刺さったナイフのせいで、服が真っ赤な血で染まっている……。血は止まっているようだが、まだ濡れたまま、乾いていないようだな。触ると、汚れる危険性があるぞ」

私が役に立たないと判断し、十神君は早々に切り替えたようだった。

冷静に離れた位置から覆面の様子を確認する。葉隠君が、青ざめた顔で、吐き気を堪えるように言った。

「冷静に分析してる場合じゃねーって……。つーか、誰なんだって。顔も体も隠れてるし、さっぱりだべ……」

「多分……女の子だよ」

朝日奈さんが、口を挟む。どくんと脈を打ったのは、私の心臓だった。脳裏に浮かんだ霧切さんの姿を、打ち消すように振り払う。

「胸の膨らみとか、全体的な体のラインもそうだし……。間違いないよ。その人、女の子だよ……」

みんな、同じ想像をしているのだと分かった。

静まり返った植物園に、鳥や虫の鳴き声だけが響く。誰もが動きを止めた中、ローファーが床を打ち付ける音が、一定の間隔で横を通り過ぎた。面をあげると、ジェノサイダーが傍らを通り抜けたところだった。

「つーかさぁ!その覆面を剥がしちゃえばいいじゃーん?」

ジェノサイダーは何のためらいもなく、覆面に手を伸ばしていた。十神くんが「待て」と叫んだ時にはもう、彼女は覆面を掴んで無理に引きはがそうとしていた。その瞬間、眼の前が真っ白になって、轟音が耳を貫いた。皮膚を焼くような熱風が押し寄せ、後ろに倒れそうになった。それを遮ったのは、私の隣にいた、十神くんだった。二の腕を掴んで思い切り引き寄せると、自分の体の陰に、私を隠してくれた。突然のことに、意識と意識の間が分からなくなった。呆けたまま立ち尽くしていると、あっという間に体を解放され、温もりが離れる。

「急げ……!さっさと火を消すんだ!」

十神くんの叫びを聞いて、我に返った。覆面の人物から炎があがっていて、「まずい」という思いだけが脳内を埋めた。

私は慌てて水飲み場に駆け寄ると、近くにあったバケツに水を汲んだ。蛇口をいっぱいにひねったせいで、底を打ち付ける水が跳ねて、私を濡らした。気にする暇もなく、無我夢中で満杯にして、すぐさま十神くんに手渡した。他にもバケツが無いかを探しているうちに、水をぶちまける音が響いた。ふと横目にみたら、苗木くんがバケツの水を、覆面の上半身に、かけたところだった。私が心配したように、さらに水をかける必要はなかったようで、火はすぐに勢いを失い、完全に鎮火した。

肉を焼く不快な香りが漂い始め、私はマスクの上から鼻を覆った。薬品の匂いとまじりあって、気分が悪くなる。私の顔色が悪かったせいか、朝日奈さんが隣にやってきて、「だ、大丈夫!?」と背中をさすってくれた。それに無言で、うなずくしかできなかった。

「な、なんとか鎮火した……みたいだけど……」

苗木くんが手の甲で、額にういた汗をぬぐっていた。

「ど、どういう事だべ、いきなり……」

「ば、爆発したよね……?」

「何か……嫌な予感はしていたが……まさか爆発するとは……。おかげで、死体が……」

「真っ黒焦げだべ……!スーパーウェルダンだべ……!」

「ちょっと、ステーキに例えないでよ……!食べられなくなるじゃん……!」

葉隠くんの叫びに、朝日奈さんが金切声をあげた。私も同感だった。口元を抑えたまま、その場にしゃがみ込む。朝日奈さんも、一緒になって腰を落とした。私の背中を一生懸命さすりながら、「みょうじちゃん?!」とうろたえる。

「みょうじさん、これ」

苗木くんが近くにあった花を手折って、私の元まで持ってきてくれた。悪臭が漂う中、胸がすっとするような香りが、鼻をついた。私はそれを受け取ると、マスクのすぐ傍に寄せる。少しだけ気分がマシになって、なんとか二人にお礼をいう事ができた。

「だけど……これじゃあ……もう本当にわからないね……。この死体が、誰なのか……」

「ここにいない人間は誰だ……?」十神くんが、険しい表情で、焦げた現場を見下ろした。「ここにいない人間を考えれば、可能性は、自ずと絞られてくるはずだ……」

「ここにいない人間って……」

「霧切さん――」

私と朝日奈さんが、十神くんの言葉を引き継いだ。苗木くんが顔面蒼白になって、「き、霧切さんッ!?」と叫んだ。

「……落ち着け。俺は霧切だとは一言も言ってないぞ」

十神くんは腕を組み、淡々と否定した。葉隠くんが「けどよ、他に誰が……」と問いかけると、口元に笑みすら浮かべて、答える。

「まだいるじゃないか……黒幕だよ!」

「えッ!?」

「く、黒幕って……!そんなん、あり得ねーって!!黒幕が黒焦げなんて、悪い冗談だべ!」

「確かに、普通であれば考えられない可能性かもしれん。だが、俺達には思い当たる節があるはずだぞ」

彼は、モノクマが急に動かなくなったことを、根拠としてあげた。覆面が黒幕だと考えれば、確かに説明がつく。

食らいつくように否定したのは、葉隠くんだった。「この死体は女だから、おかしい」と。

アルターエゴは、すべてを仕組んだ黒幕は、学園長の可能性が高いと言っていた。学園長は三十代後半の男性で、明らかに死体の特徴とは一致しないというのが、彼の主張だった。

「だったら、黒幕は学園長じゃなくて……霧切さんが言っていた例の女子高校生……超高校級の絶望……」

苗木くんが、考え込むようにつぶやいた。葉隠くんが目を白黒させて、「はぁ?」と聞き返す。

「戦刃むくろ、十七人目の高校生……」

「……なんの話だ?」

ぽつり、ぽつりと情報を落とす苗木くんに、十神くんが困惑の表情を浮かべる。苗木くんは、ずっと抱えたままだったバケツを、そっと地面に置いた。

「この間、霧切さんから、こっそり教えてもらったんだよ」彼が私に視線を送るので、二、三度、首を縦に振って肯定して見せた。「この学園には……十七人目の高校生がいるって」

「詳しく話せ……」

十神くんに尋ねられ、苗木くんは、戦刃むくろに関して知っている、断片的な情報を改めて伝えた。さらに、霧切さんが、戦刃むくろを黒幕だと睨んでいるらしいことも、伝える。

「十七人目の高校生……女子高生か……確かに、死体の特徴とは一致するな」

「しかも、【超高校級の絶望】ってフレーズも、黒幕ちっくじゃない……?」

十神くんと朝日奈さんが、不安気な表情で同意する。

「だけどよ、ツチノコみてーにずっと隠れてたそいつが、どーしてあそこで黒コゲになってんだって!?いくらなんでも意味不明だべ!いきなり現れて、いきなり死んでるなんてよ!」

「どうやら、もう一度、あの死体を調べてみる必要がありそうだな……。何か身元を割り出す手掛かりが残っているかもしれん……」

十神くんが仕切り直して、覆面に迫ろうとした瞬間だった。

「あ!ちょっと待って!」

朝日奈さんが声をあげる。遮られた十神くんが、不機嫌そうに振り返った。

「……なんだ?」

「わ、忘れてない……?腐川のこと…………」

「あいつッ!確か、吹っ飛ばされてたべ!」

「た、大変!ふ、腐川さん!!」

至近距離で爆風を浴びた、彼女の事を思い出す。急に立ち上がったら、少しだけ目の前が白んだ。彼女が吹き飛んだほうへ、朝日奈さんと駆けて行く時、「忘れよう。きっと爆破されて木端微塵だ」という十神くんの嫌味な言葉が聞こえた気がした。

苗木くんにもらった花をポケットにしまい、茂みに駆け寄る。引っくり返った彼女を抱き起すと、虚ろな瞳が瞬いた。

「う……うぅ……ッ」

「あ、無事だった!」

後からやってきた朝日奈さんが、顔を輝かせた。すぐさま腐川さんを起こすのを手伝ってくれる。

二人で彼女を挟む形で、肩を組んだ。みんなのところへ戻っていくと、十神くんが露骨に顔を歪める。

「なんだ……生きてたのか……」

さすがというか、なんというか、彼の声を聞いた途端、腐川さんの意識が覚醒した。彼女は勢いよく頭を起こすと、十神くんを真っ直ぐに見つめる。

「あれ……?今……何が……?お、教えてください……白夜様……?」

「金輪際、酸素は吸わないと、お前が高らかに宣言したところだ……」

「じゃあ……白夜様が吐いた二酸化炭素だけでいいです……。そ、それだけで、生きていけますから……」

「不思議なキャッチボールだべ……」

会話の内容はともかく、大丈夫そうなので、私と朝日奈さんは腐川さんを解放した。

「あれ、この鍵って……」

改めて覆面の様子を確認しようとしていた苗木くんが、何かに気づいたようだった。十神くんが「どうした?何か見つけたか?」と彼に近づく。

「う、うん……。死体の傍に、こんなものが落ちてたんだけど……」

拾った鍵を、手のひらに乗せて、みんなに見せてくれる。

「みんなの自室の鍵とかとも違うよね。なんだか平べったくて、近代的な感じ……」

「見たことない鍵だな。一体、どこの鍵だ……?」

「みょうじさんや十神くんでも、わからない?」

苗木くんが鍵をつまんでひっくり返すと、十神くんが腕をくんで言い放つ。

「苗木よ、お前に重要な任務を与えてやろう」

「……え?」

「その鍵を使えば、今まで閉ざされていた場所にも入れるようになるのかもしれん……」

「それを確かめろって……?」

げんなりした様子の苗木くんは、これから何を言われるか察しているようだった。十神くんは構わず続ける。

「五階の生物室、四階の学園長室と情報処理室、それと寄宿舎の二階だったな……。任せたぞ……」

苗木くんは苦笑いを浮かべたものの、すぐにそれに従おうと、身を翻した。私は反射的に彼を追いそうになって、直前で十神くんを振り返る。

「あ、あの。一人じゃ危ないし、私も、ここは匂いが苦しいから……苗木くんと一緒に行くね」

十神くんも、他の誰も否定しなかったので、すぐに苗木くんの後を追った。植物庭園を出たところだった苗木くんを捕まえる。

「待って!苗木くん、一緒にいこう」

「みょうじさん……!いいの?体調は、大丈夫?」

「う、うん。むしろここを離れた方が、大丈夫になりそう」

「それならいいんだけど……」

私たちはまず、五階の植物庭園から最も近い、生物室へ向かった。

生物室へ向かう廊下は、薄暗く、やたら長い。通り道にある、例の殺人現場となった教室も、不気味さを醸し出していた。扉が閉まっていて、中が見えないはずなのに、想像してしまう。震える私に気づいたのか、苗木くんが、「大丈夫?」と心配そうに伺ってくれる。

「だ、大丈夫。それより、……苗木くんも風邪、平気なの?」

さりげなく、教室側を歩いてくれる苗木くんに感謝しながら、私は問いかけた。彼は明るい表情で頷いてみせる。

「うん、おかげさまで……。みょうじさんが看病してくれたから」

「そ、そんな、私何もしてないよ」

「ううん、本当に助かったよ」

廊下に響く二人分の足音が、沈黙を埋めた。突き当りの生物室にたどりつくまで、どちらも言葉が出てこなかった。

「鍵、入れてみるね」

苗木くんが先ほど拾った鍵を差し込もうとしたけれど、入らなかった。裏返しても同じだったようで、彼は額を人差し指でかく。

「どうやらここじゃないみたいだね」

「えっと、次に近いのは……」十神くんの言葉を思い出す。「四階の学園長室か、情報処理室だね」

私たちは踵を返し、また長い廊下を進んだ。

「……苗木くん、昨日の夜の事だけど」

昨夜、私たちを襲った覆面のことを、いつみんなに相談すべきか、彼に尋ねようとした。続けざまにイレギュラーなことが起きているせいで、タイミングを逸し、話題にすら出せていない。しかし、苗木くんは、私の言葉を聞くと、露骨なぐらいに肩をびくつかせ、不自然に視線を落とした。

「……苗木くん?」

彼の様子を不審に思って、私は慎重に声をかけた。途端にぱっと顔をあげる。ぶつかった視線には、動揺が浮かんでいた。

「ごめん、どうかした?」

「苗木くん、昨日の事、どこから、どこまで覚えてるの……?」

何気ない質問だったはずなのに、彼の表情が凍りついた。気まずそうに項垂れるのを見て、私は言葉を続けることをためらう。

長い廊下を抜け、階段を降りる間、どちらも無言だった。四階の廊下を照らす毒々しい赤いランプの中、私たちの足音だけが反響する。

まずは手前の学園長室に立ち寄った。彼は無言で鍵を試すが、どうやら入らなかったらしい。すぐに身を翻し、「情報処理室に行こう」と提案した。

「……多分だけど、全部覚えてるよ」

ぽつりと苗木くんが呟いた声はあまりにも小さく、聞き逃してしまうところだった。振り返ると、俯いたままの苗木くんが、自分の足元を見ながら、所在なさげに言葉を続ける。

「みょうじさんが何も言わないから、夢だと思ってたんだけど……」苗木くんが歩みを止める。つられて立ち止まると、彼が面をあげた。その瞳は先ほどまでの弱々しさが嘘のように、私を強く射抜いた「ボク、みょうじさんに言ったんだね?」

何を、と彼は言わなかった。だけど、私は察した。ようやく、二人の話が食い違っていたことを理解する。私は覆面のことを、苗木くんは、うなされていた時に、私に伝えてくれたこと――つまり、告白のことを、話していたらしい。

急に私は、恥ずかしさで押しつぶされそうになった。さっきまで平然と一緒にいられたのに、それが難しくなった。言葉の発し方さえわからなくなって、うつむくように視線をさけると、彼が困ったように笑った。再び歩き出して、私の横を通り過ぎる時、「歩きながら話そうか」と提案する。私は慌てて彼の後を追った。

苗木くんは歩きながら話そうと提案したくせに、沈黙を貫いた。二人でただ、横に並んで廊下を進む。あっという間に情報処理室にたどりつき、彼は先ほどまでと同じように、鍵を差し込んだ。

カチャッと軽快な音がして、鍵が回ったことを知った。嬉しくなって、苗木くんを振り返ると、彼もそうしていたようで、至近距離で目が合った。想像以上に縮まった距離に、反射的に俯いてしまった。感じが悪かったかもしれないと、後悔し、謝る前に、苗木くんが一歩身を退いた。

「……ボク、みんなを呼んでくるね。ここで待ってて」

彼は私に鍵を預けると、返事も待たずに駆け出した。呼び止める前に、角を曲がって、いなくなってしまう。私は引き留めようと伸ばしかけた手を、力なく垂らすしかできなかった。

壁に寄り掛かり、そのままずるずると壁伝いに座り込んだ。膝に自分の額をつけると、深い深い溜息を吐く。

「どうしよう……!」

苗木くんを傷つけたいわけじゃないのに、私の行動は、彼を傷つけている気がする。拒絶したくないのに、恥ずかしくて、自分がどう動けばいいのか、分からなくなる。

自分が今、置かれている状態の事もあって、ますます混乱した。私は頭を抱え込んで、深い深いためいきをついた。




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