揺さぶられて、意識が戻ってきた。うっすらと目を開けると、蛍光灯の光が見える。体中に痛みが走り、思わずうめく。
「みょうじさん、起きて!」
苗木くんの声だ。頭がそう判断し、一気に気だるさが消え失せた。勢いよく体を起こすと、彼が驚きに身を退いた。
「は、鼻血」
咄嗟に自分の鼻を隠すが、血は流れていなかった。まだ少し痛みが残っているものの、触れた手も汚れない。苗木くんを見つめると、私の気にしていることを理解したのか「出てないし、汚れてないよ?」と言われる。
「大丈夫?床で寝てたみたいだけど……」
苗木くんに聞かれて初めて、自分が床に座っていることに気づく。布団がかかっているので、一瞬、彼がかけてくれたのかと考えたけれど、ベッドの上には掛布団がしっかり乗っていた。つまりこれは、別の部屋から持ってきたことになる。匂いを嗅ぐため鼻を思い切り布団に押し付けると、ズキっと痛みが走った。それでも、嗅覚はなんとか働く。霧切さんの香りがした。
途端に、昨日の出来事を思い出す。覆面の人物が来て、苗木くんを襲おうとしたのだ。庇おうとした私が殺されそうになっているところを、霧切さんが助けてくれた。これは、その時に彼女がかけてくれたのかもしれない。
床についた手が何かに触れて、振り返る。ぬるくなった氷枕が落ちていた。ふと思い至って、自分の鼻に触れる。そこまでひどく腫れていないのは、このおかげなのかもしれない。
「な、苗木くん、昨日の夜の事……覚えてる?」
私がおずおず口にすると、彼の体が強張った。
「それって……」
「覆面の人物のこと」
起き上がって、苗木くんのベッドに布団をあげる。彼は「そっちか」と深い息を吐く。
「覚えてるよ。……というより、夢だと思ってたんだけど、みょうじさんも記憶にあるなら、現実だったんだね」
「うん。私、顔面叩かれて、その痛いのが残ってるから、間違いないと思う」
「え、なぐられたの!?」
彼が急に取り乱す。勢いよく距離を詰められ、目の前に来た顔に、心臓がぐわっと掴まれた気がした。今になって思い出したのは、夜、うわごとのように打ち明けられた、彼の想いだった。私は不自然にならないよう、うつむき避けた。
「だっ、大丈夫だよ、冷やしてもらったから……」
「えっ、……もしかして、霧切さん?」
「多分……」
苗木くんは顎に手を添え、一度考え込んだ。しかし、すぐにハッとした顔になると、ベッドの周りを走り、向こう側の引き出しに飛びついた。上から下まで中身を確認すると、「ない!」と叫ぶ。
「何が?」
「サバイバルナイフ!」
その言葉にピンとこなかった。彼が我に返ったように、焦りだす。
「あっ……違うんだ!実はこないだ、みょうじさんが気を失った後のことなんだけど……」
苗木くんが説明したのは、私が気を失った後の、食堂での集まりのことだった。なんでも、腐川さんが教室で見つけたナイフを、押し付けられる形で預かることになったらしい。たしかに引き出しへしまったはずなのに、なくなっているというのだ。
「そのナイフってもしかして……」
「多分、昨日の覆面の人物が持っていた……」
私たちはそれきり沈黙する。死が、身近にあったのだということを、改めて認識し、恐怖に震えた。
それから、どちらともなく、食堂へ行くことを提案した。早く、みんなの顔を見て安心したかった。
食堂につくと、両手に二つのトレーを持った朝日奈さんがいた。上には湯気が昇るヤカンと、四つのカップ麺がのっている。彼女は私たちの姿に気づくと、「あー!」と叫んだ。
「苗木とみょうじちゃん!間違いなく苗木とみょうじちゃんだ!」
「朝日奈さん……」
彼女はトレーをぐらつかせながら、こちらに走ってきた。ハラハラしていたら、苗木くんが自然な動作でヤカンがのっている方のそれを引き取る。
「軽く心配してたんだよ?昨日の夜どうしちゃったの?」
「……心配?」
「夜時間になった直後、みんなで二人のこと呼びに行ったんだよ。でもインターホン押しても、全然出てこないし……。もしかしたら……殺されたんじゃないかって……なーんて心配はしてないけどね!もう殺すような人なんてどこにもいないんだし!で、実際は何してたの?」
朝日奈さんは早口にまくしたてると、私たちの顔を交互に見つめた。
「心配かけてごめんね。苗木くんは体調悪くて、私は寝ちゃってたんだよ」
「みんなが呼びに来たなんて全然気づかなかったよ。……でもボクを呼びに来たなんて……そっちの方こそどうしたの?」
「うーん、色々あってさぁ……一言で説明するのは難しいっす……だから、それはみんなの所へ行ってから、説明することにしました!」
彼女があっけらかんと笑った。そういえば朝のアナウンスが流れた後だというのに、誰も来ていない。
「みんなは、どこか別の場所にいるの?」
「そうなの、そうなの。昨日からずっと徹夜でね!」
「て、徹夜……!?」
「私は、じゃんけんで負けて、みんなの朝食を運ぶ係になっちゃったんだ」
朝日奈さんは両手でトレーを持ったまま、人差し指を立てて、苗木くんが預かってくれたトレーを示した。
「だから、ちょうどいい所に来てくれたよ。一緒に運ぶの手伝って」
「う、うん。いいけど……」
朝日奈さんはパタパタ走ると、私たちの横をすり抜け、扉を抜けた。
「体育館だよ。私は先に行ってるからね。すぐに来てよー!」
彼女の足音が遠のくまで、私たちはぽかんとしていた。
「なんで体育館?」
「しかも、徹夜って……」
そのまま立ち尽くしそうになるけれど、やがて、苗木くんがお湯を持っていることに気づき、これではみんなが朝食が取れないと、慌てて彼女を追った。
私は、自分と苗木くんの分のカップ麺を倉庫から引っ張り出し、後から追いかける。彼はお湯をこぼさないように慎重になっていたので、すぐに追いついた。
そこからは二人で、朝日奈さんの言葉について推測しながら、体育館へ向かった。
体育館についた私たちを待ち受けていたのは、とんでもない光景だった。
体育館に座り込んで、カップ麺をすする四人。朝日奈さん、先にお湯を注いでから持って行ったんだ……というのがどうでもよくなるぐらいに、衝撃的だった。
十神くんがインスタント食品を食べているのも驚きだったけれど、それよりなにより、みんなが囲んでいるものに問題があった。
「も、モノクマが……っ!?」
バタバタと駆け寄ると、腐川さんが迷惑そうな顔をした。埃が入るのを避けるように、カップ麺を守る。
後からきた苗木くんも、トレーを傍らに置いて覗き込んだ。彼らが囲むのは、解体されて、バラバラになったモノクマだった。
「何を……してるの……?」
苗木くんの問いかけに、葉隠君が、思い切りカップ麺をすすりあげる。
「見ての通りだべ!分解して、中の仕組みを確かめてんだ!」
「ぶ、分解って……それ、モノクマ、だよね?」
「そうだよ、モノクマだよ」
あっさり答えた朝日奈さんに、ますます混乱する。
「……安心しろ。危険はない」
誰より早くカップ麺を食べ終えたらしい十神くんが、上品にハンカチで口元を拭いながら、空になった容器をトレーの上に戻していた。
「あ、安心って……できないよ……!モノクマだよ……!?」
狼狽える私と苗木くんを腐川さんがじっとり睨む。
「う、うるさいわね……話に付いてこられないなら……黙っててよ……」
「しゃーねーな。みょうじっちと苗木っちの為に俺が説明してやんべ!」葉隠くんも続いてカップ麺を食べ終えたらしい。スープを一滴残らず飲み干すと、空の容器を雑に避けた。「十神っちが、モノクマのヌイグルミ化に気づき、そんで、俺らで分解したって訳だ!」
工具を手に取って、解体作業を再開した葉隠くんの説明は、全く分からなかった。自分が馬鹿すぎるせいかと思ったけど、苗木くんも「全然わかんないよ……」とげんなりした様子で呟いていて、ほっとした。
見かねたらしい十神くんが、モノクマの部品を手に取りながら、補足してくれた。その間に急いで朝食を済ませろと言われたので、カップ麺にお湯を注ぎ、まだ固い状態で食べ始める。
十神くんは昨日、霧切さんの行方について進展がないか、モノクマから探ろうとしたらしい。モノクマは彼の予想通り体育館にいたのだけれど、その時には既に、反応のないヌイグルミ状態だったという。夜時間まで待ってみても変わらないので、十神くんは全員を集め、慎重に確認を繰り返した。それでも、やはり何のリアクションもなかった。だから解体作業に取り掛かったと説明した。
「お、思い切りがいいね……」
一つ間違えば大惨事だったのでは。嫌な想像に、汗が浮かぶ。
「白夜様の天才的なアイデアよ……。モ、モノクマの構造を確かめるチャンスって……」
私の考えとは裏腹に腐川さんはうっとりした様子で言った。そんな彼女を気に留める様子もなく、十神君は続けた。
「分解して分かったが、こいつはかなり高度な機械みたいだぞ。確かに、ただのラジコンとはわけが違うようだな……。まったく……どこのヒマ人がこんなものを作ったんだろうな……」
「そんなことより、どうして急に動かなくなったんだろう……」
苗木くんの疑問にも、十神くんが答える。
「故障の可能性もあると思って分解してみたんだが、これといった原因は見つからなかった」
「故障じゃないとすると……」
「つまり、モノクマを操っていた黒幕に、予期せぬ何かが起きた……そう考えるほかあるまい」
「予期せぬ何か……」
その言葉に、十神くんに恐れをなして逃げたとか、急病ではとか、様々な憶測が飛び交った。
「あれ、でも……朝の放送は変わらず流れてなかった?」
疑問のままに口にすると、十神くんが呆れた様子で答える。
「自動再生だ。それが時間になって流れただけだろう」
「そっか……毎日同じセリフだったもんね」
今までの事を思い出しながら、私は一口スープをすすった。強めの塩分が、舌を刺激する。私はみんなと同じように、食べ終わったカップ麺を、トレーに戻した。
「なぁ、みんな……。のんきにご歓談を楽しんでる場合じゃなくってよ……」葉隠くんが、青ざめた顔で、振り返る。「こんなん出てきました。これってなんだべ?」
露骨で明らか過ぎる形をした物体に、私たちは声を失った。
「……爆弾だな。モノクマに内蔵されていた物のようだ」
騒然となるその場。主に葉隠くんと朝日奈さんが、動揺していたのだけれど、振動で爆発するセンサーがオフになっていると十神くんが言ったことで、落ち着きを取り戻す。葉隠くんは、その物体を、恐る恐る隅っこへ避けた。
「モノクマの解体も大体終わったな」
観察していた十神くんが、手を払うように合わせる。
「もう見れるとこはなさそうだべ」
「これからどうする?」
座り込んでいた面々が腰を上げる。私もつられるように立ち上がると、考え込んでいた十神くんが顔をあげて言い切った。
「……攻めるぞ」
「え?」
「さらなる攻勢をかけるんだ。黒幕が弱っている今、追い打ちをかけないでどうする?」
葉隠君がごくりと唾を飲みこむ音が、やけに響いた。私も彼と、同じ気持ちだったと思う。
「……で、でも……、黒幕っつったってよぉ、どこにいるんだかもわかんねーのに……」
「とりあえず、学園長室だろうな。攻めるとしたら」
「学園長室……」
霧切さんと忍び込んだ日のことを、思い出していた。連鎖するように、昨夜の事を思い出す。解体されたモノクマを横目に見て、黒幕の『予期せぬ何か』に、彼女が関わっているのではないかと考えた。
「ねぇ、苗木ってば?」
朝日奈さんの不機嫌そうな声で、我に返った。
「……え?」
「え、じゃねーべ!ちゃんと聞いてたんか?」
どうやら苗木くんも考えこんでいたらしい。学園長室へ攻め込むという話を聞いて、仰天していた。
「もし、途中で黒幕が戻ってきたりしたら……」
難色を示す苗木くんに、十神くんが口の端をあげてみせた。
「怖いならここに一人で残っていろ。これは戦いだ。俺達と黒幕の殺し合いなんだ。悠長なことは言ってられん……」
結局、十神くんの言葉に押され、全員で学園長室に乗り込むことが決まった。苗木くんはまだ、どこか不安そうだったけれど、それは私も同じだった。朝日奈さんは、手を組んで、大神さんの名前を口にし、祈っている。葉隠くんも、自分に暗示をかけるように、何かを呟いていた。私たちはそれぞれの方法で決意を固めつつ、体育館を後にして、学園長室のある学校エリアの四階へ向かった。
「やはり鍵はかかったままか」
ガチャガチャと学園長室のドアノブを掴んだ十神君が、舌打ちをした。
私は地面に這いつくばって、ドアの隙間から室内の香りを確認しようとした。前に来た時と別段変わりはない。特にみんなに報告するようなこともないと判断し、立ち上がってスカートを払った。
「どうするの?」
「決まってるだろう。ドアを破るんだよ」
十神くんの思い切った意見に、みんなは怯んでしまった。けれど、十神くんの強引な頼もしさに、各々が覚悟を決める。そうすると、議題は、ドアを破る方法がメインになった。
「何か手頃なものが必要だな……」
「だったらさ、あれはどうかな?ほら、植物庭園の物置にあった……」
「あのツルハシか!」
苗木くんの提案に、葉隠君が手を打った。
「なるほど。ドアを破るにはうってつけかもしれんな……」十神くんは自分のあごに手を添えると、すっと隣に視線を移す。「ところで腐川、今は何時だ?」
「えーと……さっき体育館を出る時……九時前だったので……い、今は九時ちょうどくらいかと」
「よし、九時一分までにツルハシをとってこい」
「短い制限時間だべ!」
葉隠くんの驚きも納得する程に、無茶な要求だった。
「あ、あ、あたし一人でですか……?」
腐川さんもさすがに心細かったのか、即答はせず、十神くんにすがるような視線を向けていた。
「一人になりたい時だってあるはずだ。そうだろう?」
「白夜様と二人きりになりたい時ならありますけど……」
「そうこう言っている間に十秒ほど過ぎたな。制限時間を過ぎたら、お前の存在自体を、俺の意識から抹消する」
「そ、それはイヤァァァァァ!!」
途端に青ざめた腐川さんが、バタバタと廊下を駆けて行った。
「ふ、腐川さん一人で平気かな?」
立ち去った腐川さんを数歩追うものの、踏ん切りがつかず、みんなを振り返る。どっちつかずな態度をとってしまったことで、また十神くんに「偽善者」などと責められると思った。けれど彼は、それに関しては何も言わなかった。葉隠くんが不安げな表情で顔色を悪くしていた。
「ほ、本気でドアを破るんか……?」
「逃げてばかりでは問題は解決しないぞ……。そろそろ腹をくくったらどうだ?」
十神くんの言葉に、不機嫌さはなかった。ただ、淡々と現実を突きつけるような声。彼の様子に不安は微塵も感じられなかった。
『先に進むためには、危険を避けては通れない。危険は承知の上よ。それでも謎が解けるなら進むべき……。そうでしょう?』
霧切さんの言葉が蘇った。私は覚悟を決めるように、自分の胸元のリボンを握りつぶした。
「だ、だけど……やっぱ緊張すんべ……。緊張しすぎて舌が回らんもん。しどどもどどに……違う。しどど……しもどろもどろ……」
「白いドロドロ?」
葉隠くんのすぐ背後で、狂気に満ちた瞳を輝かせた、おさげの少女がいた。
「うぉッ!」驚きに飛びのいた葉隠くんが、奇妙なポーズで固まる。「つーか早ッ!つーかジェノサイダー!?」
「どーも、笑顔の素敵な殺人鬼でーす!」
特徴的な高笑いで、彼女が答える。疑問に口を挟んだのは、十神くんだ。
「おい、ツルハシはどうした……?なんで持っていない?」
そこからは、十神くんとジェノサイダーと、噛みあわない会話がしばらく続いた。要領を得ないやり取りに、十神くんが苛立ちを露わにした頃、苗木くんがフォローに入る。
「腐川さんって、人格変わると記憶を引き継げないらしいから……」
「使えないにも程があるな……」
頭を抱えた十神くんに、ジェノサイダーが瞳を輝かせる。
「ピキーン!判明した!!アタシはツルハシを取りに行ってたのね!?だから、植物庭園なんかにいたんだ!これで謎が一つ解けた!後はもう一つの謎を解くだけね!」
「もう一つの謎?」
首を傾げると、ジェノサイダーが大げさな身振り手振りで続ける。
「植物庭園にあった物体X……あの正体やいかに!!」
見えない話に、誰もが困り果てていた。話を見失っていることを指摘されたら、ジェノサイダーが躍起になって反論する。
「見失ってない!むしろ見つけたのよ、植物庭園で!」
「見つけたって……何を?」
「シ・タ・イ!死体っつってんだろ、死体だよ!!」
「し、死体!?」
一瞬にして空気が凍りついた。苗木くんが身を乗り出す勢いで問いかけるが、ジェノサイダーは微動だにしなかったので、二人の距離が縮まる。
「そう、植物庭園に死体が落ちてたのよ!!」
「……どうやら、学園長室より先に、行かねばならない所があるようだな」十神くんが薄らと汗を浮かべ、眼鏡を押し上げた。「行くぞ、植物庭園だ」
一番に走り出した十神くんの後を、みんなが追う。私は、妙な予感に、胸がざわつくのを感じていた。
『先に進むためには、危険を避けては通れない。危険は承知の上よ。それでも謎が解けるなら進むべき……。そうでしょう?』
また同じ、霧切さんの声が、頭の中に響き渡る。
死体が見つかったって、ここには、霧切さんを除いてみんないるのに――。
祈るように拳を握って、さらに走る速度を上げた。
彼女の無事を必死に願う事しか、私にはできなかった。
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