目が覚めてすぐに食堂へ向かった。大神さんのことが気がかりだったので、早くみんなの顔を見て安心したかったのだ。食堂へ駆け込んだ私の目に飛び込んできたのは、十神くんだった。
「えっ、と、十神くん!?なんでいるの?」
「俺が居たら悪いのか?」
「そうじゃなくて……いつもは朝食会に来ないから」
「ふん、当然だろう。普段とは状況が違う。俺たちの中に黒幕の手先がいる以上、単独行動は避けるべきだろう?」
「そ、そ、そうよ。あんた、そんなことも分からないなんて、大神さくらに殺されて死ぬわよっ!」
十神くんの言葉に同調するように、腐川さんが私を指差した。食堂の隅で一人、座っていた朝日奈さんが椅子を倒しそうな勢いで立ち上がった。
「どうしてそういう酷いこと平気で言えるの?サイテーだよ!」
睨み合う十神くんと朝日奈さんを見て、ようやく状況を理解した。慌てて二人の視線を遮るように割入って、それぞれを交互に見る。
「朝日奈さん、落ち着いて」なんて無難な言葉しか出てこない自分を呪いながら、とりあえず食堂の隅へ駆けて、今にも十神くんに殴りかかりそうな朝日奈さんを宥めた。
いつもならこんな時、朝日奈さんを真っ先に庇う役目は大神さんだった。けれどその姿は食堂にはなく、私の中で一層不安が膨らんだ。
やがて葉隠くんと霧切さんも食堂へ来た。しかし、なかなか苗木くんが来ない。そわそわし始めた私を脅かすように、十神くんが「今頃、内通者に殺されているのは苗木かも知れんな。『信用できる』なんて言っているから、付け込まれるんだ」と嘲笑った。私はそれを聞かないふりをした。今、誰よりも怒りたいのは朝日奈さんのはずだから、私が気にしたら駄目だと、自分に言い聞かせた。
それでも苗木くんが遅いので、心配な気持ちは消えなかった。十神くんの嫌味な表情に気づかないふりをして、彼を迎えに行こうと腰を浮かせた瞬間、扉が開いて張本人が入ってきた。「あっ」と私が声を漏らすのと、葉隠くんが「おぉ、苗木っち!無事だったか……?」と問いかけるのは同時だった。
「え?無事って、どういう意味?」
「あ、あんたが遅いから……心配してやってたのよ……」
「鈍いヤツだ……」
苗木くんもやはり、腐川さんと十神くんがいることに驚いていた。「二人とも来てたの?」という彼の問いかけに答えたのは、朝日奈さんの恨みがましい声だった。
「避難……だってさ」
「黒幕の手先から身を守るために決まってるだろう」
苗木くんがそこで、何かに気づいたような表情をする。
「あれ……大神さんは?」
「あいつが来てたら、俺の方がここにいない……。わざわざ、ここに来たのは、大神の脅威から身を守るためなんだからな」
「きょ、脅威って……!」
「なんで、そんなに……さくらちゃんの事を目の敵にするの?」
静かな足取りで、朝日奈さんが歩み寄ってきた。十神くんはそちらを見もしないで、足を組み直し、腕を組んでふんぞり返った。
「決まってるだろう。フェアじゃないからだ」
「フェアじゃない……?」
「ゲームは、参加者にとって平等でなければならない。黒幕の内通者の存在は、ゲームに支障をきたす……」
実に不愉快そうに話す十神くんから飛び出した「ゲーム」という言葉に、まだ彼が、そんな心構えでいることを知った。朝日奈さんは叫ぶように反論したけれど、静かな態度で制したのは霧切さんだった。
「ねぇ、そうやって争う前に、もう一度よく考えてみたらどうかしら?どうして、黒幕は大神さんの件をバラしたのか……」
「『目には目を、歯には歯』をって言ってたし、復讐だよね?」
モノクマの言葉を思い出して応えると、朝日奈さんも頷いた。
「黒幕がさくらちゃんに仕返しをしたかったんでしょ……?」
「でも、それだけじゃないわ。きっと大神さんの件をバラす事こそが、黒幕の用意した“動機”だったはずよ。疑心暗鬼がもたらす不協和音……。そこから生まれる憎しみ合い……。つまり、私たちがいがみ合ってるこの状況こそ、黒幕が仕組んだ罠なのよ。それでも……まだ争うつもり?」
「そういう訳じゃないけど……でも……」朝日奈さんが顔を歪めて俯いた。その頬を一筋の滴が伝う。「じゃあ、どうすれば……みんなは、さくらちゃんの事を信じてくれるの……?」
「本当に黒幕をやっつけてくれたら、問題なく信じられんだけどな……」
葉隠くんが返事をすると、朝日奈さんが「そんな無茶はさせられない」と怒りだす。彼女は本当に、大神さんを心から思っているのだというのが、よく分かった。
私も何かいい案はないかと頭を悩ませ始めた時、十神くんが小馬鹿にしたような笑い声をあげた。
「……構わないじゃないか」
「え……?」
「大神が死んだところで黒幕側の人間が一人減るだけだ。別に構わないじゃないか……」
「ちょ、ちょっと!十神くん……!」
苗木くんが慌てた様子で声を挟んだ。けれど、彼は優雅な所作で立ち上がり、朝日奈さんを見下ろすと、わざわざ挑発するように続けた。
「それに、あいつが死んでくれれば、この問題も解決するんだ。一件落着じゃないか……!」
瞬間、渇いた衝撃音が響いて、私は目を閉じていた。恐々と瞼を開けた時には、十神くんが忌々しげな表情を浮かべ、口元を手の甲で拭っていた。その頬は赤く腫れている。
朝日奈さんは彼を叩いたまま、手を宙に留め、肩で息をしていた。興奮冷めやらぬ状態で、涙をぼろぼろと流しながら、声を荒げる。
「そんなの最低だよ……!正真正銘の人でなしだよ……!そんな事言う……あんたこそ……あんたの、方こそ……死ねばいいんだよッ!!」
十神くんの眉間のしわが深くなった。彼は拳を握りしめると、奥歯を噛みしめるようにして、「死ね……だと?」と繰り返した。
「ふ、二人とも」
慌てて止めに入ろうと、朝日奈さんの肩を掴むも、身をよじって逃げられた。二人は睨み合ったまま、動かない。
「面白い……では、殺してみるか?」十神くんは、威圧するように問いかけた。朝日奈さんの肩が、視界の端で僅かに揺れる。「やってみろ。やればいい。それが、ここのルールなんだ」
「やれないと……思ってんの……?」
朝日奈さんは泣きながらも、負けじと十神くんを睨み返していた。二人から飛び出す言葉がおおよそ信じられなくて、私は心臓が、いつもより早い鼓動を鳴らすのを感じた。
「あ、朝日奈さん!落ち着いてよっ!」
「そんな風に争っていたら黒幕の思う壺……。それは大神さんだって望んでいないはずよ」
焦る苗木くんと対照的に、霧切さんの声は落ち着き払っていた。親友の名前を引き合いに出された朝日奈さんは、戦意を喪失したかのように項垂れた。
十神くんはそんな彼女を「どうした、殺さないのか?」と挑発した。朝日奈さんはまた、彼を睨み上げるけれど、思いとどまったように唇をかみしめて、「……部屋に帰る」とだけ呟いた。そして、食堂を走り去った。
腐川さんはその背中を見送ってから、十神くんが殴られたことに対して憤慨した。十神くんも呆れたように、朝日奈さんの怒りを「ただの女のヒステリー」と片づけた。
彼の無神経なひと言に、私はとうとう我慢の限界を迎える。十神くんを振り返ると、冷ややかな視線と目が合った。
「……朝日奈さんがなんで怒ってたか、どうして今、何も言わずに帰っていったか、わからないの?」
「……今度はお前か。いい加減にしろ、仲良しごっこはもうウンザリだ」
「十神くん」反論しようと口を開きかけた私を遮るように、霧切さんが一歩前へ出た。「あなたは人の感情というものをずいぶん軽んじているようね」
「それがどうした?」
「忠告よ。……そんな事だと、いずれ足をすくわれるわ……」
「ありがたく受け流させてもらおう……」
「え、えーっと……その、なんつーか……とりあえずメシにすっか……?……って雰囲気邪ねーか。ハハ……ハハハ…………」
最悪な空気の中、葉隠くんの無理に笑う声だけが響いた。結局私たちはその日、朝食を食べないまま解散し、各個室へと戻ることになった。
自分の部屋に戻った私は、ベッドに飛び込むように転がった。やり場のない怒りをぶつけるように、じたばたしていると、思い浮かぶのは十神くんの顔だった。あんな風に酷い言葉が、ぽんぽん出てくることが信じられない。あんな人、仲間になんてできないよ――。
考えかけて、我に返る。無意識のうちに十神くんを排除しようとしている自分に気づいて、泣きたくなった。私だって結局、十神くんと一緒だ。「信じよう」と口では言ってる分、たちが悪いのは私かもしれない。
信じたいのに、苗木くんみたいにみんなを大切に想いたいのに、うまくいかない。
十神くんにだって優しい所があるんだ。高い所にある本を取ってくれたことだってある。今、こんな状況だから、不安で荒んでるだけなんだ。だから、だから……。
私はベッドのシーツに顔をうずめて少しだけ涙を流した。だけど、こんな風にしていたって何も解決しないと思い立って、起き上がった。カーディガンの袖を伸ばして、思い切り目をこする。ベッドから飛び降りて部屋を飛び出すと、朝日奈さんの部屋を目指して駆け出した。
「あっ、苗木くん!?」
朝日奈さんの部屋の前には、先客がいた。名前を呼ばれて振り返った彼は、私の姿を見て、表情に安堵の色を浮かべた。
「みょうじさんも、朝日奈さんに会いに?」
「うん、心配で……」
「ボクもなんだ。でも、インターホンを鳴らしても出なくて」
彼は呼び鈴を押して見せた。確かにチャイムは鳴るのだけど、室内に人の気配はない。
「もしかしたら他の場所に行ったのかも。私、探してみる」
「ありがとう」
匂いをたどって進む私に、彼はついてきてくれた。朝日奈さんの香りは学校エリアへ続き、廊下、階段を抜け、気づけば四階の音楽室前に到着していた。
扉の前で振り返って苗木くんを見る。彼は一度頷くと前に出て、そっと扉を開けた。
「朝日奈さん」
彼女は奥の方で、机に突っ伏していた。苗木くんの声に反応して体を起こすと、私達を見て、唇を噛みしめた。今まで泣いていたようで、目の周りが少し赤かった。
「大丈夫?お腹すいてると思ったから、パンを持ってきたよ」
「ちょっとの間、一緒に過ごしてもいいかな?」
苗木くんが問いかけると、彼女はコクリと頷いた。
「二人とも、心配してくれてるの?そっか、優しいんだね……。ありがと……」
私たちは無言のまま、ただ一緒にすごした。
パンの袋を開けて、朝日奈さんに差し出したけど、食欲がないのか首を振るばかりだった。
お昼の時間を過ぎた頃、苗木くんが、「そろそろ行こうか」と私に声をかけた。朝日奈さんは無理に作ったような笑顔になって「ありがと、苗木、みょうじちゃん……。お陰で少し元気が出たよ、うん……」と確かめるように言った。
「朝日奈さん、このパンは置いていくから、お腹減ったら食べてね」
「うん、ホントありがとね」
朝日奈さんを残して音楽室を出ると、苗木くんが小さく息を吐いた。「何も喋らなかったね」私が言うと、彼は困ったように頷いた。お喋りが弾むとは思っていなかったけれど、沈黙が続いて、居たたまれない気持ちになった。
「苗木くんは、この後どうする?」
「じっとしている気分じゃないし、探索してみようかな……。みょうじさんは?」
「私もまだやりたいことがあるから、そこへ行ってみるよ」
「そっか。じゃあ、またね」
「苗木くん、一緒に来てくれてありがとうね」
そのまま四階に残るという彼をおいて、階段を下った。私は二階まで下ると、図書室を目指した。案の定、十神くんの香りが漂っていた。中からは人の気配もする。
すぐに扉を開けようとして、思いとどまった。その手でノックをし、少しの間を置いてから、中に入った。
「俺が返事をするまで入るな」
ノックできるようになったことを褒められるかと思っていた私は、肩透かしを食らったような気持ちになった。小さく「ごめんなさい」と謝る私を、彼は振り向きもしなかった。
鼻をひくつかせるが、周辺に腐川さんの匂いはなかった。話をするなら今の内だと、覚悟を決めるように拳を握りしめた。
「十神くん、本ありがとう、一冊もうすぐ終わりそうだよ」
「読むのに時間をかけすぎだ。俺ならあの程度、数時間で読み終わる」
彼は言いながら、今読んでいる本のページを一枚めくった。私はそれにどう返事をしていいか分からず、曖昧な笑みを浮かべるだけに留めておいた。
「あのさ、十神くん。……仲良くしようよ。今の状況って、絶対良くないと思うんだ」
どう前置きをしていいか分からず、直球で口にしてしまった。彼の手が止まる。振り返ったその表情は、嫌悪感を露わにしていた。勢いよく立ち上がったかと思うと、カツカツと靴の底を鳴らして歩み寄ってくる。威圧されるように見下ろされ、後退りしていくと、あっという間に壁際まで追い込まれた。
「まだお前は、そんなことを言っているのか?」
背中に冷えたコンクリートの壁の感触を感じながら、彼を見上げて目を逸らさない。眼鏡の奥にある鋭い眼光が、私を軽蔑していた。
「昨日はジェノサイダーが来たせいで邪魔をされたが――」
左の肩を掴まれ、壁に押さえつけられた。逃げるつもりなどないのに、彼はそれを防ごうとしているようだった。爪を突き立てるように握られて、痛みに顔が歪む。十神くんの表情が、妙な愉悦感を含んで歪んだ。
「お前は、セレスに裏切られたくせに、それでも懲りずに、『信じる』と言うのか?」
心臓が一際高く跳ねたのは、セレスさんの名前を出されたからだ。咄嗟の事に言葉を返せずにいると、追い打ちをかけるように彼が続ける。
「セレスはやたらお前を庇っていたな。だがそれも、お前を利用し、自分の犯行をスムーズにするためだったろう?つまり、お前は最初から、あいつにとってどうでもいい存在だったということだ。そんなヤツを信じようとしていたんだ。虚しくないか?」
「虚しく、なんて、ない」
「口でならなんとでも言えるな。お前のそのたどたどしい口調が、自分自身を疑っている証拠じゃないか?」
「私は本当に、信じるの!!」
叫ぶように言うと、図書室にこだました。十神くんは意地の悪い笑みを消して、私を無表情に見下ろしていた。
「もうやめたの、死んじゃった人たちの事を疑うことなんて、しないから。私は本当に、信じるんだよ。信じてたのに、ってのはただの言い訳だから。本当に信じてたなら、裏切られた後も信じてるはずだから。……私は信じるもん。みんなを、大神さんを……」
自分でも何を言っているか分からなくなってきた。言葉はうまく形にできないし、理論もめちゃくちゃかもしれないけれど、どこもかしこも、本心だった。そうなりたいと思う、自分そのものだった。
「もちろん、十神くんのことだって信じるよ。十神くんは、こんな状況だから、冷静でいようとしてくれてるんだよね?私は、みんなを全部、信じるから。だから――」
「お前が言ってるのは、性善説か何かか?」
呆れたように吐き捨てられ、言葉を切ったところで肩を強く握られる。壁に押し付けられる力が強くなって、距離も縮まった気がした。冷えた瞳に見下され、呼吸がしづらくなった。
「“鵜呑み”というんだ。お前のしていることは。信じるなんて高尚なものじゃない」
「じゃ、じゃあ、十神くんの信じるって、どういうことなの……?」
見開かれた瞳の中に、私が映った。何か思案しているらしく、視線を逸らした後、私の肩を投げ捨てるように解放した。労わるように自分の体をさすっていると、十神くんは身を翻す。
「……バカの極みだな。お前のような奴が、黒幕の内通者に殺されるんだ」
彼はそう吐き捨てると、机の上に置いていた読みかけの本を手にとり、電気スタンドの明かりを消した。そして、こちらに目もくれず、図書室を出て行ってしまう。
私はうつむいて、自分の靴を見下ろした。朝日奈さんを励ますことも、十神くんを説得することもできなかった。己の無力さが情けなくて、泣き出したい気持ちになった。
弱気になった気持ちを奮い立たせるように、苗木くんの表情を思い浮かべると、心臓の奥がじくりと嫌な痛みを訴えた。
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