食堂につくなり、目に入ったのは、長いおさげの少女だった。
「あれっ!腐川さんがいる……!?」
「なっ、何よ……私がいるのがそんなに嫌なら、見なきゃいいじゃない……」
「えっ!?そんなこと言ってないよ!!」震える声で彼女が呟くものだから、慌てて駆け寄った。「びっくりしたから叫んじゃっただけなの!嫌な思いさせちゃったならごめんね!?」
「うるさいわね……耳元で叫ばなくたって聞こえるわよ、バカ犬……」
「あれっ!?腐川ちゃんだ――!!」
今度は朝日奈さんが飛び込んできた。腐川さんは再び萎縮して、じっとりとした目線を入口へ送る。
私に言ったような言葉を、再び投げつけるのを見て、彼女が全員と同じやり取りをしているのことを理解した。
厨房に入り、自分の朝食を用意して席に戻るころには、全員そろっていた。腐川さんが苗木くんに文句を言っていて、葉隠くんや大神さんがフォローを入れている最中だった。
急に食堂へ来るなんて、どういう心境の変化だと問われた腐川さんは、無理にでも、胃にご飯を流し込みに来たと答える。なんでも十神くんが、ぽっちゃり体型が好みだと言ったらしい。
彼女の歪みない愛に驚きを通り越して感心していると、周囲を見渡していた苗木くんが、おずおずと口を開いた。
「それはそうとさ……霧切さんがいないみたいだけど……」
「後でくるって言ってたべ」
「後で……?」
「苗木っちが帰った後だって……」
目に見えて苗木君が落ち込んだ。その姿が可哀相に見えて、霧切さんが少しやり過ぎなように思えた。早く仲直りさせてあげたいのだけれど、苗木くんが私たちに隠していることを、話せるようになるまで待つしかなさそうだ。
苗木くんと霧切さんが色恋沙汰でもめていると勘違いし、アドバイスする朝日奈さんと、恋愛に直結した思考を非難した腐川さんの間で、喧嘩が起きそうになる。腐川さんから過激な言葉が飛び出たところで、大神さんが朝日奈さんを庇い、喧嘩は強制的に終えられた。
葉隠くんが、「欲求不満でおかしくなった腐川っちのことは置いといてだな……」と妙な前置きをして、苗木くんを見る。
「とにかく、苗木っちと霧切っちはちゃんと仲直りしといた方がいいべ」
朝食の乗ったトレーを持って、葉隠くんの横を通り過ぎようとしたら、伸びてきた腕にいきなり肩を抱かれる。
「わっ!」
「夫婦喧嘩は犬もくわねーって言うしな!」
からかうように彼が続け、私の事を力強く引き寄せた。お椀の中のスープが大きく波打つので、私は文句を言うどころではなかった。なんとかバランスを保って、揺れる水面が落ち着くのを待っているうちに、解放される。葉隠くんは豪快に笑いながら、自分の席についた。
「ごめん、大丈夫だった?」
何故か苗木くんが謝罪しながら駆け寄ってくる。私はだんだんと落ち着いたスープを見下ろしたまま、こぼさない内にとトレーをテーブルに置く。
「大丈夫だよ。苗木くんが謝ることじゃないよ」
「ボクのせいで絡まれたから……」
言いながら苗木くんが隣の椅子をひいた。朝食会ではあまり隣に座ることのなかったので、珍しい。腐川さんがいること、霧切さんがいないことで席順がシャッフルされているらしかった。
腰をおろした途端、苗木くんは何かを決意するような表情になった。正面に座る大神さんを見つめると、名前を呼ぶ。声をかけられた大神さんは、改まった様子の彼に「……どうした?」と慎重に答えた。
「……後で、ちょっと時間ないかな?話がしたいんだけど……」
「あ!苗木がさくらちゃん口説こうとしてるッ!霧切ちゃんにフラれたからって!しかも、昨日、告白してくれたみょうじちゃんの隣の席はきっちり確保してるよ!」
「メスなら誰でもいいのね、苗木は発情期なのね?し、仕方がないわね……高校生ですものね」
「どうして……そうなるんだって……」
げんなりした様子の苗木くんに気を取られて、私は自分の名前があがったのを、聞き逃しそうになった。とんでもない言葉が飛び出したような気がして、朝日奈さんと腐川さんを交互に見つめる。
「えっ、な、どういうこと?」
「あんたはメス扱いしかされてないってことよ!」
「ちがっ……腐川さん!なんてこと言うんだよ!」
「え!?だって、みょうじちゃん、昨日、脱衣所で苗木に告白してたよね?『私は苗木くんのこと』……って言いかけたじゃん!続くのは『好き』だよね?」
「あぁ!なんだそのことね。苗木くんにも言ったけど、あの後には、『仲間だと思ってるから苗木くんのためなら頑張れる!』って言いたかったんだよ!」
昨夜にも聞かれたことだったので、するりと言葉が出た。苗木くんが、「そうだよ、全然変な意味はないんだから」と先ほどよりも暗い表情で主張した。
「それより、話を戻させてもらうよ」彼は大神さんに向き直る。「大神さん、後で少し時間もらえないかな」
「……苗木よ、話は明日にしてもらえぬか?今日は部屋で休ませて欲しいのだ。ここ数日……どうも体の具合が優れぬのでな……」
「え、どっか悪いの?」
先ほどまでの様子と一変して、朝日奈さんが不安げな顔になった。
「大したことではない……。少々、体の節々を痛めただけだ」
「大神さん大丈夫?そういう時はしょうが湯が効くって、石丸くんが言ってたよ!私、いれようか?」
「それは風邪の時かな……」
記憶をたどって提案すると、苦笑いの苗木くんに訂正された。「そうだったね!ごめん……」と、照れ隠しに笑うことしかできない。
大神さんは大丈夫だと言ったけれど、朝日奈さんは、なおも心配した。プロテインを飲んでしっかり休むという大神さんの言葉に、納得はしたようだったけれど、真面目な顔で苗木くんに向き直った。
「苗木!なんの話か知らないけど明日にしてあげて!さくらちゃんは体が痛いんだからね!」
「う、うん……わかったよ」
そこからまた雑談を挟んで、食事を始めようということになった。苗木くんは、自分が食べないと霧切さんが来れないからと、かきこむように朝食をたいらげた。最後にお茶を一気飲みすると、食器を洗いに行こうとするので、片付けは私がやっておくことを提案した。苗木くんは少しほっとしたような表情になって、お礼を言う。慌てて食堂を出て行く姿を見て、葉隠くんが「せつないべ……」と同情を含んだ声色で呟いていた。
苗木くんがいなくなって、みんながご飯を食べ終わっても、霧切さんは来なかった。苗木くんがのんびりしていることを警戒しているのかとも考えたけれど、なんだか心配になった。
迎えに行こうと考え、二人分の食器を洗い終えてから食堂を出る。霧切さんの部屋の手前まで来たところで、奥の方の扉が音もなく開いた。
出てきたのは十神くんだ。分厚い本を小脇に抱えている。私の姿をすぐに認め、何故か鼻で笑うと、無表情のまま歩み寄ってきた。通りやすいように廊下の端によって道をあけるが、十神くんは私の目の前で足を止めた。
「相変わらず暇そうにしているな」
「え……?ううん、今、私――」
「来い」
言うと彼は、歩き出す。咄嗟の事に判断が遅れ、彼の背中を見送りそうになった。しかし数歩進んだところで、十神くんが振り返る。露骨に歪められた表情は、私に苛立ちのこもった視線を向けた。
「来いと言ったのが聞こえなかったのか?愚図め。貴様の耳は飾りか?」
「え、でも」
舌打ちして、彼が完全に振り返る。戻ってきたかと思うと、サイドで結んでいる私の髪を掴んで引っ張った。反射的に痛みから逃げようとして、引きずられるままに歩く形になった。彼は歩調を緩めもしないので、足がもつれて転びそうになる。
「と、十神くん!ごめんなさい、ちゃんとついていくので、離してください!」
思ったより簡単に、解放された。ほっと胸をなでおろし、引っ張られた髪を労わるように撫ぜた。どんどん進む彼に後れを取らないよう、慌てて小走りに追いかけた。
どこへ行くのかと思ったら、十神くんが足を止めたのは図書室だった。室内へ踏み入ると、慣れた様子で電気をつける。
彼は自分が持っていた本をテーブルに置くと、「そこに正座でもして待ってろ。今、猿でも読める、低レベルな本を見繕ってやる」と言った。意味が分からず戸惑ったけれど、やがて思い出したのは、いつだったか、厨房でした会話だった。彼が渡してくれた本を読まずにいたら、「今度はお前のレベルに釣り合う本を選んでやる」と言われたのだ。まさか、本気だったなんて。
「いいよ、私……推理小説なんて、読みたくないよ」
「読みたいとか読みたくないとか、お前の意思は聞いていない。『読め』と言っているんだ。この俺がな」
どこまでも横暴な物言いに、反論することを諦めた。せめてもの反抗で、正座はしなかった。
彼が集中しているようなので、私は邪魔をしないように息を潜めていた。本をめくる紙の音だけが、時おり響く。
ゲームを楽しくするために、私を捜査側の人間として育てようなんて、理解不能だ。苗木くんならどうするだろうか。やっぱり、読むのだろうか。何か十神くんにも考えがあるのだと信じて、受け取る気がする。
私が信じるべきは苗木くんだから、私は彼の目線を通して、十神くんの気持ちを想像しようとする。
しかし、答えが出るよりも前に、本棚から一冊抜き取った十神くんが、中身を確認して、私の方へ放った。反射でキャッチしたら、考えはどこかに吹き飛んだ。彼はまだ選ぶつもりらしく、その間、本棚から視線を外さなかった。
「いくらバカなお前でも、協力や仲間という言葉がいかに無意味か、分かっただろう」
世間話みたいに呟くので、反応が遅れた。しばらく考えてから、首を横に振る。彼が、信じられないものを見るような目で、振り向いた。
「まだ、わかんないよ」
「なんだと……?」
十神くんの瞳が、眼鏡の奥で歪むようにギラついた。しかし、彼が口を開こうとしたタイミングで、大きな音がした。振り返ると、先ほど閉めたはずの扉が開いていた。壁に手をついて、項垂れた状態で、荒い呼吸を繰り返す、腐川さんが立っている。声をかけようと一歩踏み出したら、気配を察知したように顔を上げる。その瞳が、鋭く光るのを見て、すぐに腐川さんではないことに気づいた。
「ジェノサイダー?」
問いかけると、彼女が一瞬にして距離を詰めてきた。私の胸倉に掴み掛る。
「なぁ〜に二人で喋ってんのよ!!?白夜様の犬ポジションは、ア・タ・シだっつーの!!アンタみたいな本物のくさい犬はお呼びじゃないっての!」
呆然としている間に解放され、十神くんとの間に割り入られた。彼女は私から興味を失ったようで、彼の背後を陣取っていた。十神くんは不快そうに眉を寄せると、眼鏡を押し上げる。本棚から二冊選ぶと、私の持っている本の上に次々と重ねた。
「この程度ならお前の知能でも読めるだろう」
「あらあらあら〜ん?白夜様!無視なの?放置プレイなの?やだ、感じちゃうわっ!」
「えっと、十神くん、ありがとう」
無理矢理連れてこられたことも忘れ、お礼を言って図書室を出た。二人から逃げるように急ぎ足になっていたら、何かを蹴ってしまう。カンッと高い音が響いて、それが壁に当たったのだと理解する。
駆け寄ってしゃがみ込み、本を抱きかかえたまま片方の手を伸ばした。拾ってみたそれは、妙な形をしたキーホルダーだった。私はそれを、何度もひっくり返して観察する。
「なんだろ、これ」
理科の教科書に載っていたアメーバの形によく似たそれは、リボンがついていた。変わったキーホルダーが落ちているなと考えかけて、これがいつからここにあったのかが気になった。二階が解放されたのは随分前になるけれど、全く気がつかなかった。鼻を近づけてマスクの上から匂いを嗅いでも、薬品の匂いしかしない。横着したことを反省しながらマスクを顎にかけ、匂いを嗅ぎ直す。懐かしい香りが漂ったのは一瞬で、また、無機質な薬の匂いだけが漂った。
「落し物かな?山田くんのカメラのこともあるし……」
誰かが失くしたと思っていたものが、後になって出てきたパターンかもしれない。後でみんなに聞いてみようと、私はキーホルダーをポケットにしまった。
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