四階の探索を終えて食堂に戻ると、既に何人かは集まっていた。次第に一つのテーブルを囲む人数が増え、全員そろった時、大神さんが提案した。
「これで……みんな揃ったか。では、さっそく調査の報告をするとしよう」
そう言って、自らの探索結果を話し始める。
大神さんはいつものように、各教室からの脱出口を探した。けれど相変わらず全ての窓が封鎖されていた。想像はしていたが、四階からの脱出も難しそうだと締めくくる。
続いて挙手したのは、朝日奈さんだった、勢いよく起立すると、嬉しそうに報告する。
「四階の化学室には大きな棚があってさ、その棚にズラーッと薬が並んでるんだけど……サプリやら栄養剤がオールキャストで勢揃いだったよ!一度、見に行った方がいいって!オススメだから!」
「実際、そこに食い付くのって、オーガと朝日奈っちだけだべ……」
葉隠くんが、呆れたように言う。私は、四階の薬品の匂いが強かったのは、化学室のせいだったのかと納得した。
「だけどね……いい事ばかりじゃないんだ……。その棚にあったのは、サプリとか栄養剤だけじゃなくて……」朝日奈さんが不安そうに続ける。「あのね……毒薬なんかもあったの……」
「ど、毒薬!?」
苗木くんが衝撃に目を見開く。大神さんが低く重たい声で、「あぁ」と肯定した。
「毒薬のビンには、一目でそれとわかるラベルがあった。よもや、間違えて手に取ることはないと思うが……」
「……気をつけた方がいいことは確かでしょうね」
霧切さんも渋い表情になる。
「それとさ」朝日奈さんが言い辛そうに口を挟む。「その毒薬の件……腐川と十神には黙っておいた方がいいよね?」
「どういう意味だべ……?」
「念のためだよ……わかるでしょ?」
「念のためか……そ、そうだな……」
疑問の声をあげた葉隠くんも、察したように青ざめた。私は、朝食会の時に並んだ、みんなの暗い表情を思い出す。やはり、誰もが不安を抱えたままだ。
「きっと十神くんのことだから、すぐに見つけてしまうでしょうけど……」
霧切さんの言葉に、ますます空気が重くなった。私は、打ち消すように挙手をして、朝日奈さんと入れ替わりに起立する。
「はい!四階には音楽室がありました!でも、私はピアノが弾けないので使えそうにないよ!みんなは楽器とかできるの?」
「私、小学生の時、音楽祭で木琴やったよ!」
「えっ!朝日奈さんすごいっ」
「ボクは、リコーダーぐらいかな……」
「苗木くん、ホント!?だよね!私も!!」
「話がズレッズレだべ!ちなみに俺はタンバリンがめちゃくちゃ上手いと評判だべ!」
立ち上がって主張したのは葉隠くんだ。私はとりあえず、険悪なムードを払拭できたことにだけ安心しながら、着席した。
「このまま報告すんぞ。四階に鍵の掛った部屋があったべ?情報処理室と学園長室だべ!」
「学園長室って……!絶対に手掛かりありそうじゃん!!」
「鍵さえ開けば……中を調べられるんだけどね……」
「鍵なんか知ったこっちゃねーって!学園長室のドアをぶち破るくらい、霊長類ヒト科最強であるオーガなら余裕だべ!」
「……聞いちゃったよ」
「うおッ!!」
モノクマが、音もなく葉隠君の背後に立っていた。椅子から転げ落ち、地べたに座り込んで、彼はモノクマから後退りする。
「聞いちゃったよ。言ってたね?モノクマのむき出しのケツは安産型でヒップラインが超いやらしいべ……って!」
「言う訳ねーべ!!」
「じゃあ、なんて言ってたの?まさか学園長室のドアをぶち破るなんて言ってないよね?」
うっ、と言葉につまる葉隠君。途端にモノクマは目をぎらつかせた。先ほどまで軽口を叩いていたのが嘘のように、鋭い爪を見せつけて、クマを怒らせると後悔する、といった脅しをかける。
さらに、「ルールで縛るのは不本意だけど」と、校則を追加した。「鍵のかかっているドアを壊すのは禁止」とモノクマが宣言した途端、ポケットの中で生徒手帳が電子音を鳴らした。そちらに気を取られている隙に、モノクマは消えていた。
「い、行ったか……?」顔色を悪くして、葉隠くんが辺りを見渡した。彼は椅子にしがみつくようにして立ち上がると、深く息を吐いた。「あー、びびった。殺されるかと思った……」
「だが、わざわざ校則を追加するということは……やはり学園長室には重要な手掛かりがあると考えて、間違いなさそうだな」
「だけど……校則で禁止されちゃったら、どうしようもないよね……霧切さん?」
苗木くんが窺うように霧切さんを見た。呼びかけられた彼女は腕を組んだまま、苗木くんを振り返ろうともしなかった。無言で、あらぬ方向を眺めつづけている。無視、だ。
「ねぇねぇ、苗木……霧切ちゃんって怒ってない?あれって怒ってるよね!?そうだよね!怒ってるんだよね!?」
「う、うん……そうみたいだね……」
無邪気に問いかける朝日奈さんに、苗木くんは困り果てた様子で答えた。霧切さんと苗木くんを交互に見やるけど、二人の視線は一切絡まなかった。
「とにかく……これで報告は終わりか?」
場を仕切り直すように問いかけた葉隠くんに、数名が首を縦に振った。出口どころか大した手掛かりもないことを嘆いて彼が項垂れた時、苗木くんがおずおずと切り出した。
「ちょっといいかな。ボクからも報告があるんだ。……あのさ、みんな覚えてるでしょ?この前、ボクが三階で見つけた“写真”のことだよ」
以前、苗木くんが美術室の隣の倉庫で拾ったという、大和田くんと不二咲さん、桑田くんの三人が一緒に写っていたという写真のことを思い出す。
「その写真がどうしたの?」
朝日奈さんが問いかけると、苗木くんはどこか自信なさげに口を開いた。
「……また見つけたんだよ。それと似たような写真を」
彼は四階の職員室で、セレスさんと山田くんと、舞園さんが一緒にいる写真を見つけたことを説明した。さらに前回同様、三人が笑顔だったこと、教室の窓に鉄板がなかったことを付け加える。彼自身、喋っている内容に、半信半疑といった印象だった。
「なんで、そんなものが……?」
「モノクマのねつ造に決まってんべ!」
葉隠くんの叫びに、苗木くんが食い下がる。
「だけどさ……もしその写真が本物だとしたら……その写真に写ってたみんなは、何か、隠された繋がりがあるってことになるよね?ボクらの知らない、隠された繋がりがさ……」
「ありえねーって!ねつ造だって!」
「でも、モノクマは本物だって言ってたよ?それをウソだって決めつけるのは簡単だけど……」
妙に熱くなった苗木くんが、耳をふさいで突っ伏した葉隠くんを説得しようと身を乗り出したとき、端の方から、刺すような声が飛ぶ。
「じゃあ、あなたは死んだ彼らのことより、モノクマのことを信じるの?」
「……えっ?」
みんなの視線が霧切さんに注がれた。勢いを削がれた苗木くんは、呆気に取られた表情をしていた。ピリッとした空気が流れ始め、背筋が冷える。霧切さんはいつも通りのポーカーフェイスだ。けれどその裏側に、不穏な感情が隠されているような気がした。
「あなたが言ってるのって、そういうことでしょ?」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
苗木くんも、話の伝わらなさに、少し苛立っているように見えて、ハラハラしながら二人の顔を見比べる。音楽室でのやり取りを思い出して、不安を抱いた。
「驚きね。あれだけ仲間とか信頼とか言ってた割に、当の本人は、仲間のことなんて信じてないんだもの……」
「そ、そんなこと……ッ!!」
口元に笑みさえ浮かべた霧切さんに対し、苗木くんは慌てた様子で否定する。また間に割って入ろうと腰を浮かせかけた時、意外にも口を挟んだのは葉隠くんだった。
「まぁまぁ、ケンカしてっと運気が逃げんぞ」
彼はドレッドヘアをかきながら、冷や汗を浮かべる。
「そもそも、苗木っちも心配しすぎだって!そんな写真、モノクマのねつ造に決まってんべ?」
「我らを混乱させようとしているんだろう。モノクマの言う事になど、耳を貸さない方がいい」
大神さんにも念を押されて、「そ、それは……そうなんだけど……」と尻すぼみになる。
「でも、苗木くんは、何かあるって思ったんでしょう?」
私が問いかけると、彼がぱっと顔を上げた。縮こまりかけていた彼が、意外そうに私を見つめる。
「苗木くんは、今までの裁判だって、他の人が見落とすようなところに気づいてくれたでしょ。もし苗木くんが何かあると思ったなら、あるのかもしれないよ」
「みょうじっちまでそんな……」
「どうした、内輪もめか?」
入り口の方でした声に、全員が一斉に視線を向ける。開いた扉に背を預け、腕を組んだ十神くんが、嘲るように口元を歪めていた。
「お前らの仲良しごっこも、そろそろ限界のようだな……」
「と、十神くん……!」
彼は姿を現すや否や、いつものように人の神経を逆なでするような言葉を並べたてる。それに朝日奈さんが憤慨して、「ほっといてよ!あんたには関係ないんだし!」と叫んだ時、妙に誇らしげな表情になって、ようやくこちらへ向き直った。
「そりゃそうだ。そりゃ関係ないさ。俺とお前たちは永遠に無関係なんだ。だから、お前らがここで醜い顔を沈ませていようと俺にはまったく関係ないし……逆に、俺が“例の物”から重要な手掛かりを得ても、お前らには少しも関係ない……」
「え?」
「今さらっと、すごい重要なこと言わなかった?」
「……十神くん、あなたは今までどこにいたの?」
霧切さんが立ちあがった。椅子が床をする音がやけに響いた。十神くんはクツクツと喉を鳴らして笑うと、俯いたまま、視線だけをこちらへ寄越す。
「いいだろう。教えてやろう。お前らの怠惰な脳に強制労働させるとしようか。俺は今まで風呂に入ってたんだよ。後は何を知りたい?今日の運勢か?」
風呂という単語に、さすがの私もピンときた。食堂の向かい側にある、大浴場。その脱衣所のロッカーにしまわれた、アルターエゴの存在を。
霧切さんが、椅子をしまいながら、重々しい口調でつぶやく。「どうやら、私たちもお風呂に行った方がよさそうね……」
混浴だと意気込む葉隠くんと朝日奈さんの後について、食堂を出る。
脱衣所に入ると、ベンチの上に置かれたノートパソコンの前で、腐川さんがぽつんと正座をしていた。
「腐川さんもアルターエゴの情報を聞きに来たの?」
「も、もう聞いたわよ……白夜様と一緒にね……。白夜様と一緒にね!」
苗木くんの質問に、わざわざ強調するように二度言った腐川さん。、朝日奈さんが、呆れた様子で問いかける。
「じゃあ、あんたはそこで何してんの?」
「う、うるさいわね……ジャマしないでよ……」
「ジャマなのはオメーだべ。俺らはアルターエゴに用があるんだ」
「だ、ダメよ……白夜様との約束だもの……」
「約束?」
私は首をかしげる。腐川さんがみんなの視線から逃げるように俯いた。
「こ、ここで“待て”をしてるの……白夜様にそう言われたから」
「犬扱いじゃん!みょうじちゃんとキャラ被ってるよ!」
呆れを通り越して驚愕した朝日奈さん。突如、名前を出されたことにうろたえていると、「確かにみょうじっちは犬要素のアピールが足りないな。このままじゃキャラとして食われちまうべ」と、葉隠くんから、さらによく分からないことを言われてしまう。
「白夜様の願いならどんな願いでも叶えてあげたいの……」
「ただのドMだべ……」
「で、でも……どうしても……どいて欲しいならどいてあげても……クシャン!」言葉の途中で腐川さんが盛大にクシャミをした。瞬間、瞳に狂気の色が宿り、彼女という存在を体現していた怯えが一瞬で消え去る。「で、今どういう流れッ!?」
降臨したジェノサイダーに怯みつつ、「えっと……そこをどいて欲しいと……」と葉隠くんが呟く。
「いいわよッ!!アタシの足元にひざまずいてお願いしたらねッ!!」
「ドMと思いきやドSだべ!」
葉隠くんと腐川さんのやり取りを聞きながら、私はちらりとみんなを盗み見る。霧切さんは我関せずといった様子で、あらぬ方向を見つめている。大神さんも、こちらを眺めてはいるものの、会話に入るつもりはないようだった。
周りの顔色を伺っていたら、朝日奈さんと目が合った。
「よくわかんないけど……あんなヤツに絶対お願いしたくないよね!」と同意を求められた。うーん、と曖昧な返事をするものの、朝日奈さんは肯定とみなしたらしい。苗木くんの背中を平手でうつと、「だから苗木がお願いして!」と声を張った。
「な、なんでボクが……」
「いいじゃん、減るもんじゃないし!」
「それは……朝日奈さんだって……」
「私の場合は減るのッ!!」
強引に押し切られ、苗木くんは唇を結んだ。恐る恐るといった様子でジェノサイダーの前へと進み出る。
「あのさ、腐川さん……お願いだから、パソコンを使わせてくれないかな?」
「あら……?あららららららら?」彼女はとぼけたように首を傾げ、諸手を掲げた。しかし次の瞬間にはハサミを取り出して、苗木くんの鼻先に突きつける。「アタシの言ったこと聞いてなかったのん!?ひざまずきなさいって言ったのよん!?」
「苗木っち!今だべっ!!正座と敬語のコンボ殺法だべっ!!」
「なんだよ……他人事だと思って……」
無責任なことを言う葉隠くんに対し、苗木くんは、泣きそうな声で言った。
私は見ていられなくなって、前に飛び出す。苗木くんの肩を押しのけて横にずらし、ジェノサイダーの前に出た。
「わ、わたしがやるよ!!」
飛び出した私に、苗木くんが目を丸くする。
「え!?いいよ!」
「だって、私は、苗木くんのこと――」
信じてるから、苗木くんのために頑張りたい。そう続けそうになって、霧切さんへの当て付けのようになってしまうことに気づいた。言葉を切ったせいで、妙な沈黙が訪れる。
「まさかみょうじちゃんは、苗木のこと……!」
朝日奈さんが顔を真っ赤にする。葉隠くんが「腐川っちが十神っちの犬なように、みょうじっちは苗木っちの犬ってことなんだべ!?」と驚きのけぞった。
「えっ!?そ、そうじゃない!私は……!」
「だぁってろ!女の土下座なんて興味ねーんだよすっこんでろ!」
「ひっ」
ジェノサイダーが私の首筋にハサミを向けた。苗木くんにそうした時より、距離が近い気がする。
恐怖に固まってしまった私の両肩を、苗木君が掴んだ。優しくジェノサイダーの前からどかしてくれたかと思うと、自分がその場に立つ。「大丈夫だから」そう耳打ちされて、何故か私は胸の奥の方がくすぐったいような感覚に襲われた。ぼうっと立ち尽くしていると、苗木くんがジェノサイダーに向き直って、まずは片膝をつく。
その場に正座した彼は、ジェノサイダーを見上げるようにして言った。
「お願いします……パソコンを使わせてください……」
本当に土下座した苗木くんを、ジェノサイダーは高笑いして見下ろした。
「ウルトラミラクル快感だす!白夜様に虐げられてるうっぷんが晴れていくだす!」
「虐げられてる自覚あったんだ……」
彼女の叫びに、朝日奈さんが呆れた様子で呟いた。
何はともあれ、苗木くんの活躍により、ようやく本題に入ることができた。
パソコンの電源を入れると、アルターエゴが笑顔で迎えてくれる。
アルターエゴは、ノートパソコンに元からあった学園のファイルがやっと開けるようになったと告げた。
苗木くんが続きを聞こうと、緊張に震える手でタイピングしようとした時、その背後に霧切さんが立った。
「あなたは、どいて」
切り捨てるように言われ、苗木くんは素直に後退した。そんな彼を見ることもせず、彼女はパソコンの前に静かに跪く。
「じゃあ……始めましょうか」
滑るように動く指が、言葉を打ち込んでいく。
<判明した事実を話してくれる?>
『じゃあ、解析したファイルから抽出した情報を、僕なりにまとめて話していくね』
アルターエゴが明かしたのは、この学園で「希望ヶ峰学園に高校生を隔離し、共同生活を送らせる」計画が進行していたことだった。しかもその共同生活は普通のものではなく、「隔離される高校生は、場合によっては学園内で一生を過ごさなければならない」と明記されていたらしい。
今、私たちが置かれている状況にそっくりだと、誰かが言った。
『とんでもない計画だよね……。しかもね、そんな計画を立てたのは……他でもない、“希望ヶ峰学園の事務局”だったらしいんだよ』
「え……?ちょっと待って!じゃあ、私たちが閉じ込められてるのって、犯罪組織とか、異常者の仕業じゃなくって……希望ヶ峰学園自体が……仕組んだこと……?」
「……んなバカな!何のために!?」
朝日奈さんの問いかけに、葉隠くんが叫んだ。
「……まだアルターエゴの話は終わってないわ。続きを……聞きましょう」
一人冷静に、パソコンから目をそらさないのは、霧切さんだ。
私たちは最初から騙されて、隔離されるために、この学園へ呼ばれたのだろうか。風邪をひいた時のような寒気が襲い、ひっそりと自分の肩を抱いた。
アルターエゴは続ける。
そんな突拍子の無い計画が立てられたのは、一年前に起きた、“人類史上最大最悪の絶望的事件”が原因だった。“人類史上最大最悪の絶望的事件”は、かなり悲惨なもので、希望ヶ峰学園はその影響を受け、教育機関としての機能を失って、閉鎖に追い込まれたらしい。
「ど、どういうこと?」
頭がこんがらがってきて、泣きたい気持ちでつぶやいた。霧切さんが私たちを振り返る。
「つまり、今から一年前に、人類史上最大最悪の絶望的事件と呼ばれる事件が起き、その事件のせいで希望ヶ峰学園は閉鎖に追い込まれた。そして、そんな学園を舞台として持ち上がった計画が……そこに高校生たちを隔離し、一生の共同生活を送らせるという計画だったのよ」
「だって、なんで、希望ヶ峰学園の事務局は、私たちを閉じ込めるような計画を立てたの?」
「それに、人類史上最大最悪の絶望的事件とは、一体どんな事件なのだ……?」
私の疑問に重ねて大神さんも問う。霧切さんはすぐ、それらの質問をキーボードに打ち込んでくれたけれど、アルターエゴはそれ以上のことは分からないと答えた。申し訳なさそうな表情で涙をにじませる姿は、不二咲さんを彷彿とさせた。
『役立たずで……ごめんね……』
「じゃあ……これで終わりか……?こんな中途半端なところで……?」
葉隠くんが頭を抱える。霧切さんは立ちあがってスカートを整えながら、「そうみたいね。残念だけど」とあっさり答えた。
『あ、待って……!』
アルターエゴが珍しく声を張るので、みんなの視線を一斉に集める。
『それと、もう一つ大事なことがわかったんだ……とても大事なこと……。多分……黒幕のことだよ』
「黒幕の……!?」
苗木くんが叫んだ。霧切さんは素早くしゃがみ直し、今まで以上の速さでキーボードを叩く。
『黒幕の正体が分かったの?』
<……ううん。黒幕の正体まではわからなかった。でもね、手掛かりなら見つけたよ。僕たちを隔離する計画を立てた希望ヶ峰学園事務局……その事務局の責任者が、希望ヶ峰学園長だったんだ。つまり、全てを仕組んだ黒幕は、その学園長って可能性が高いんだ。ちなみに、その学園長は三十代後半の男性で……今もこの学園内にいる可能性が高いみたいだよ……>
「学園長が……この学園の中に……!?」
先程までの冷静さが嘘のように、霧切さんが取り乱した。目を見開き、口元に手を添え、画面を食い入るように見つめる。
「じゃあ、間違いないよ!そいつが黒幕なんだよ!!モノクマも“学園長”って名乗ってたし!」
「となると……ますます、あの学園長室が怪しいな……」
「でも、ドアをぶち破ったら殺されちまうんだろ?だったら、どうしようもねーべ……」
朝日奈さん、大神さん、葉隠くんが、次々につぶやく。
霧切さんはうつろな目で画面を見つめ続けていた。その横顔が見たことないぐらい青ざめていて、私はギョッとした。
「私が……捜す……。学園長は……私が必ず捜してみせる……必ずよ……」
唇を強く噛みしめる彼女は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
「ど、どうしたの……霧切ちゃん……?」
「…………。……私が見つけないといけない……そんな気がするの」
彼女はそう言うと、またキーボードに手を置いた。「……他にも何か情報はないか、アルターエゴに聞いてみましょうか」言葉通り、気を取り直した様子で、文字を打ち込んでいく。アルターエゴは、これ以上の情報がないことをまず謝罪し、この古いノートパソコンの情報だけではどうしようもないと、申し訳なさそうに答えた。
『あ、あのさぁ……ちょっと話がそれちゃうんだけど……僕からも聞きたいことがあるんだ。えっと……セレスさんと山田くんと石丸くんの姿が昨日から全然見えないんだけど……その、やっぱり……』
アルターエゴの視線が、私を捉えたような気がした。私は耐え切れずに、目を伏せる。
流れる沈黙の中、霧切さんの叩くキーボードだけが、感情の無い音を響かせていく。
<三人とも死んだわ>
『……えっ!?そっか……その可能性は予測していたけど……。やっぱり……そうだったんだね……』アルターエゴがまつ毛を震わせる。『あ、ごめんね……。僕なんかが落ち込んだり、余計なことを考えてもしょうがないよね……』
「とにかく、これですべて終わりね」
霧切さんのその言葉の意味は、彼女がキーボードに打ち込んだ言葉が物語っていた。
<あなたの役目はすべて終わったわ。ご苦労様>
『役目は終わり……』
アルターエゴが瞬間、傷ついたように見えたのは、錯覚ではないはずだ。いつも見せてくれるような花のような笑みはなく、目を伏せて、わずかに涙をにじませていた。
『うん、そうだよね……。じゃあちょっと休もうかな……。僕も、ちょっと疲れちゃったから。じゃあね、みんな、またね……』
その言葉を最後に、パソコンは自動的にスリープモードに入った。霧切さんは、すぐにパソコンを閉じ、立ち上がって振り返る。
「もう頻繁にやり取りをする必要もないでしょう」
「でも……なんだか可哀相……」
朝日奈さんが誰に言うでもなく呟いた。私もそれに同調しようとしたら、葉隠くんが「可哀相って……ただのプログラムだべ?」というので、言葉に詰まってしまった。
「そうだけどさ……でも、今まで私たちのために頑張ってくれたんだよ?」
「俺らの為に頑張るのは当たり前だべ。だって、それがプログラムってもんだべ?朝日奈っちはパソコンをシャットダウンする度に、毎回『お疲れさまでした』って言うんか?」
「そりゃ、言わないけどさ……。でも、アルターエゴと接してると、なんだかそこまで割り切れないっていうか……」
これに苗木くんが、同意した。葉隠くんが、プログラムと仲間を混同してどうするんだと呆れると、彼は思いつめた表情のまま、「ボクらとプログラムの違いって、どこにあるのかな?」と問いかけた。質問の真意をとらえきれなかったのか、葉隠くんが、目を見開いた。
「なんていうか……人間とプログラムを分ける基準って、なんだろうと思ってさ……。確かに、アルターエゴは人間じゃなくて、パソコン上のプログラムに過ぎないんだろうけど……。でもさ、仲間ってところは一緒なんじゃないかなって……」
「一緒だよ!だって仲間だもん!」
朝日奈さんが答える。
その堂々とした主張に勇気が出て、つられるように、私も口を開いた。
「私も、そう思う。あの、私、アルターエゴのこと、最初は不二咲さんみたいだと思ってた。だから仲間と混同してるのかなって考えたんだけど、やっぱりちょっと違うとこもあって……。私たちのこと、信じて、応援してくれて、こんなに頑張ってるんだもん。仲間だよ……!」
「なるほど、お前らの気持ちはよくわかったべ……。じゃあ、仲間でいいんじゃね?仲間ってのは多いほどいいしな!」
あっけらかんと答えた葉隠くん。場の空気が和みそうになった時、霧切さんが口を開いた。
「どちらにしても、これ以上アルターエゴにできることはないわ。だから、彼の役目はこれで終わり。それは間違ってないはずよ?」
「そうかもしれないけど、だけど……」
なおも食い下がろうとした苗木くんを、霧切さんが一蹴する。
「それに、あなたが仲間なんて言葉を気軽に使うのは、どうかと思うわよ……」
冷えた視線が彼を捉えるのを見て、緊張が走る。二人の仲が未だ険悪なことを、改めて思い知らされた。
「……話がそれているようだが、もう一度、アルターエゴの報告内容に戻さないか?」
静まり返った空気の中、大神さんが仕切ってくれた。気を取り直したように、葉隠くんが頷いた。
話題は当然、全ての元凶と言われた一年前の事件――人類史上最大最悪の絶望的事件の話になる。
名前からしてかなり大きな事件であることが推測されるのに、全く記憶になかった。あまりニュースを見たり、新聞を読んだりしない私はともかく、誰一人として覚えていないのは妙だった。
どんな事件だったのか、推測が飛び交うけれど、どれもピンとこなかった。
「なんにしても……現時点で私たちにできることは一つだけよ。希望ヶ峰学園長を見つけ出すこと……。学園長を見つけて、すべてを聞き出せばいいのよ……」
霧切さんが一度言葉を止めて、手袋をはめた拳を胸に抱く。俯きがちになったせいで、前髪に隠れた表情は見えなかったけれど、後に続いたのは震える声だった。
「きっと……学園長さえ見つければ……そんな気が……」
先ほどから霧切さんは、学園長という言葉にやけに反応している。苗木くんとの喧嘩とは別に、普段からは想像できないほど感情的になっている。彼女の変化の理由を知りたくて、探るように観察するけれど、いくら見つめても、分かりそうになかった。
どちらにしても、すぐに結論の出る問題ではなさそうだという大神さんの意見から、ひとまずお開きになった。
妙な倦怠感を感じながら、みんなで脱衣所を出る。すると、外で待ち受けるように立っていたのは――。
「胸がドキドキ……ドキドキ……。怒りで、胸が“怒気怒気”してんのッ!!」
モノクマが諸手を振り上げて、威嚇するように爪をかざした。葉隠くんが大げさなぐらいに飛びのいて、苗木くんを盾にするようにして隠れた。
「ま、まだ学園長室の件を引きずってんのか……?」
「あの件は関係ありません……。それに、オマエラだけで淫らな混浴を楽しんだことにも、嫉妬はすれど、怒ってはいません……」
そうか、モノクマは混浴を信じてるのか。てっきり脱衣所でしていることを疑われていたのではと考えていた私は、ほっと息をついた。
「ワクワク……ワクワク……怒りで頭が“沸く沸く”してんのッ!!」
「そ、そんなに怒んなって……お洒落なパワースポット紹介すっから……」
必死に拝み倒す葉隠くんを無視して、モノクマは牙をむいた。
「脳内メモにインプットしとけよ。ボクはやられたらやり返す子なんだよ。メニワ・メオ……ハニワ・ハオ……」
目には目を、歯には歯を。不吉な言葉を残して消えたモノクマに、誰もが反応できずにいた。いったいモノクマがどういうつもりで、何に対する怒りをぶつけにきたのか、さっぱりわからなかった。
しかしそれに対する議論が始まる前に、夜時間を告げるチャイムが鳴った。
「夜時間になったわね……」霧切さんが髪をかきあげて問う。「どうする?ルールを提案したセレスさんはいなくなってしまったけど……」
胸の奥に膿が広がった気がした。咄嗟に俯いて、自分の靴を見下ろした。朝日奈さんが、夜間の出歩きを控えるのは続けようと提案し、葉隠くんが賛成するのを耳だけで聞いていた。霧切さんは二人の意見に同意すると、解散を告げた。
「みょうじさん、ちょっといい?」
部屋へ戻るみんなの流れに乗って帰ろうとすると、苗木くんに小声で呼び止められた。振り返ると、彼が手招いている。引き返して、彼の前に立つけれど、なかなか用件を言わない。他の人たちがきちんと自室へ戻っていくのを確認しているようだった。
「ごめん、ここだと……場所変えていい?」
彼がちらりと脱衣所の方を見た。中には腐川さんが残っている。最後の最後にクシャミで人格が入れ替わった彼女は、十神くんの「待て」の言いつけを守るため、脱衣所に待機すると主張したのだ。
私は頷いて、歩き出した彼の後に続いた。苗木くんは個室が並ぶ廊下まで来て、一瞬、トラッシュルームの方角へ進もうとした。ところがハッと気づいたような顔になり、今度は倉庫へ進もうとする。そしてまた同じような表情をして、私を振り返った。
「ごめん、トラッシュルームは確か、匂いが駄目だったんだよね。倉庫も、埃っぽいし、崩壊した段ボールに巻き込まれたことあるから怖いよね?……それで、こんな時間に悪いんだけどえっと、ちょっとだけボクの部屋きてもらっていい?」
「いいよ〜」
私の事を一生懸命考えてくれているのが伝わって、嬉しかった。倉庫は別に、怖くなかったけれど、彼の配慮に感謝する。
苗木くんの後に続いて、部屋に入る。ベッドに座るよう促されたので腰をおろすと、苗木くんは少し離れた場所に立ったまま、話を始めた。
「あの、さっきのことなんだけど……」
「さっき?」
「うん。ボクが土下座しようとしたら、止めに入ってくれた時……」
あぁ、と思い出して頷く。あれから色々な濃い出来事があったせいで、忘れかけていた。
「続き、聞いてもいいかな?」
「続き?」
「ボクを庇うために出てきてくれて、『私は、苗木くんのこと……』って、言ってたよね?ごめん、どうしても、聞いておきたくて……」
言われて思い出す。私は頷いて、先ほど続けられなかった言葉を口にした。
「信じてるから」
「……え?」
「私は、苗木くんのこと信じてるから、苗木くんのために一生懸命になりたい!って。苗木くんだけにイヤな事させるの、嫌だったから」
面と向かっている相手に、恥ずかしいことを言っている自覚はあった。照れ隠しに俯いて、首の裏をかく。
苗木くんは、しばらく目をぱちくりさせていたけれど、やがて何か理解したような顔になり、「そっか……」と呟いた。何故か脱力したように、肩を落としている。
「あのさ、えっと、ありがとう……。だけどさ、『信じて』って言ったのは、そういうつもりで言ったんじゃないんだ。だから無理はしないで」
「無理なんかしてないよ!」
「本当に?……ボクのせいで、みょうじさんまで霧切さんと気まずくなってない?」
「うんっ!大丈夫!心配してくれてありがとうね」
「……それならいいんだけど。ううん、ボクの方こそ、ホントくだらないことで呼び止めてごめん……」
「え?謝ることじゃないでしょ!」
やけにぐったりしている苗木くんが気になったけど、夜時間にごめんねと見送られてしまえば居座ることもできない。
苗木くん、霧切さんと仲直りできると良いね。最後にそう声をかけたら、彼はまた憂鬱を一つ思い出したような顔つきになって、眉を下げて困ったように笑った。
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