翌朝の食堂は閑散としていた。毎朝、朝食を共にすることを提案した石丸くんもいなくなってしまって、とうとう顔を見せるのは六人だけとなってしまった。
食事の際に響く、食器のぶつかり合う音がやけに大きい。重苦しい朝食会を変えようと張り切ったのは、葉隠くんだった。新しいところへ行けるようになったはずだから、このあと探索しようとか、占いの結果、もう殺人は起きないとか、周りを励ました。
霧切さんも、アルターエゴのことをほのめかし、絶望ばかりじゃないと言った。みんな次第に表情を変え、助かった後のことなど、明るいことを考えよう!と意気込み始めた。
私もそれに同調しながら、腐川さんや十神くんもこの場にいたら良かったのに、とぼんやり考えた。すると大神さんが、ぽつりとそれを口にした。並んだ顔の表情が陰り、私は察した。みんな、同じことを考えている。だけど、それが無理な事も知っている。本当は、誰一人として、不安など拭えていないのだ。
私たちは何度だってお互いを信じようとしてきた。だけどその度、裏切られてきた。そう簡単に、恐怖や疑心を振り払えるわけがなかった。
食事が終わってすぐ、各々で探索するために解散した。苗木くんを誘おうと思って探すけれど、食器の片付けをしている間に見失ってしまった。
恐らく先に行ったのだろう。少しさみしく思いながら、一人で三階へ向かう。今まで通り、上への階段が解放されていると予想しての行動だったが、的中していた。案の定、鉄格子がなくなり、四階へ上がれるようになっていた。
私はほとんど無意識に、苗木くんの匂いを探した。初めて立ち入る階のせいか、薬品の匂いがかなり強かったけれど、すっかり嗅ぎ慣れた、彼の匂いをたどることは難しくなかった。
四階に上がってすぐ、左手の方角から、彼の気配を感じとる。向かった先には大きな両開きの扉があって、上のプレートには『音楽室』と書かれていた。
中に入ろうとして、手を掛けた時、ふと苗木くん以外の気配を感じ取る。別の誰かと探索しているのなら、邪魔をしてしまうかもしれない。そう思った私は、物音を立てないように、細心の注意を払って扉をほんの少し開く。香ったのは霧切りさんの匂いだった。
「――そ、それがさ……えーっと……隠し部屋は見つけたんだけど……その……いざ調べ物をしようとした途端、急に誰かに襲われて……」
「襲われた……?誰に襲われたの?」
「それが……背後からいきなりだったから、顔までは見えなくて……。しかも、気づいた時には、部屋にあった資料の山もキレイになくなってて……」
昨日彼が言っていた、隠し部屋について話しているらしい。
苗木くんの背中で隠れていて、私の位置からは霧切さんが見えなかった。だけど、なんとなく、今の彼女に疑いや怒りの表情は浮かんでいないような気がした。
「ごめん……重要な資料だったよね……」
「平気よ。私はもう見てるから。それに、あなたが黒幕に襲われることは、ある程度予想してたしね」
「え……?」
あっけに取られた様子の苗木くんに、霧切さんが淡々と補足する。
彼女は自分が隠し部屋に入り、なかなか出てこなかったのを、黒幕が監視カメラで見ていたことを予測していた。
それでも苗木くんを隠し部屋に向かわせたのは、隠し部屋が黒幕にとってどんな意味を持つのか、見極める必要があったから。
つまり、黒幕が隠し部屋の存在を知っているかどうかを確かめるために、苗木くんが襲われる危険性を顧みず、見送ったというのだ。
ひどい、と口を挟もうとして、自分が隠れて話を聞いていたことを思い出す。仕方なくもやもやした感情をのみこんで、息を潜めた。
お人好しの苗木くんもこれには納得がいかなかったらしく、「わかったよ……じゃあ、いいけどさ……」という返答は、どことなく不満げだった。
「だったら、ついでに聞いておきたいんだけど、あの隠し部屋にあったメモのことは知ってる?『ここから出てはいけない』ってメモ……あれを書いたのって……」
「その話は、今ここでしない方がいいわ……」
苗木くんが何か聞こうとしたのを霧切さんが遮る。私の位置から見えないけれど、苗木くんの視線の動きで、彼女が監視カメラを見たのだと推測できた。
「私も調べている最中よ。もう少し詳しいことが分かったら、その時に話すわ。……それでいいわね?決まりよ」
問いかけたわりに、有無を言わさぬ口調だった。霧切さんの威圧するようなオーラに、苗木くんはただ頷いていた。
会話が終わったので、話しかけるチャンスかもしれない。そう思って扉をもう少しだけ開いたところで、霧切さんが仕切り直すように言葉を続けた。
「……次は、あなたの番ね。あなたの秘密を聞きましょうか」
「……え?」
「私が気づかないとでも思った?あなたは何かを隠している……。そうなんでしょ?」
「そ、それは……!!」
どこか得意気に霧切さんが言い放つと、苗木君は分かりやすいほどに焦ってみせた。しかし、黙りこくってしまって、彼女の質問に答えようとしなかった。
「どうしたの?」霧切さんが追い打ちをかける。「監視カメラが気になるなら、こっそり紙に書いてくれてもいいのよ?」
「え、えっと……それは……」
不穏な空気が漂う中、苗木くんは言葉を濁し続けた。彼女の表情は見えないけれど、なんとなく眉間にしわを寄せているような気がした。
「…………仲間なんだから信じて話すべき。あなたが私に言った言葉だったわね?」
霧切さんが怒っているのは、見なくても分かる。それほどまでに空気が重かった。けれど、それを目の前にしている苗木くんは、どこか怯えたような様子でありながらも、真っ向から拒絶した。
「ご、ごめん……今はまだ言えないんだ……」
「……それが……あなたの答えなのね……」
ますます威圧感を増した霧切さんに、私は焦っていた。一触即発な雰囲気の中、昨夜のことを思い出す。
『何を信じていいか分からないなら、ボクを信じて。ボクは、仲間だから。みょうじさんの味方だから』
霧切さんの事情も、苗木くんの事情も分からない。だけど、真っ直ぐと、私の目を見てあんな風に言ってくれた苗木くんが、ウソを言ったり誤魔化したりして、霧切さんを騙そうとしているようには思えない。
盲目に彼を信じようとしている自分に気づき、ふと不安がよぎった。私はもしかしたら、また騙されるのかもしれない。舞園さんやセレスさんに、そうされたように。
だけど、振り払った。カーディガンの中、隠すようにつけているミサンガを意識する。思えば最初から、彼は私を励まそうとしてくれていた。自分の痛みより先に、他の人を労われる彼だからこそ、このミサンガを届けてくれたのだ。
自分は味方だと言ってくれた苗木くんを信じたい。それは私の予感や本能なんかより、ずっと正しい事のように思えた。
彼が真実を話せないのには、きっと何か理由があるのだ。その証拠に「『今は』まだ言えない」と言っていた。霧切さんだってそれに気づいているはずなのに、なんで苗木くんを困らせるんだろう。私がなんとか彼を助けてあげよう、考え終わるころには、扉を開ききっていた。
「あ、あー、音楽室かー、ここは!!」
二人の視線が一気に集まる。霧切さんは思っていたより、表情がなかった。てっきり怒り狂っていると思った私は、拍子抜けする。苗木くんと霧切さんを交互に見て、「苗木くんと霧切さんだ!」と今気づいたような風を装った。
「……みょうじさん、もしかして」
苗木くんが何か言いかける。私は咄嗟に彼から視線をそらして、舞台上にあるグランドピアノを指差した。
「あっ、苗木くん、ピアノあるね!ねえねえ、霧切さんってピアノひけそうだよね。なんだか、すごく似合うよ。もしかしてひけたりするの?あ、でもバイオリンとかも似合うかも――」
「みょうじさん」
水を打ったように静かになる。霧切さんに威圧され、私の中身のないおしゃべりが止まってしまったからだ。
恐る恐る振り返ると、霧切さんが静かにこちらを見つめている。腕を組んで、小さくため息を吐いた。
「あなた、ずっと隠れて聞いていたわね。真意が分からないから放っておいたのだけれど……どういうつもり?」
「えっ、気づいてたの……?」
ギョッとして彼女を食い入るように見つめる。霧切さんはその問いかけには答えず、私に歩み寄った。
「今の不自然なお芝居はともかく……あなたは苗木くんを庇おうとしているように見えたわ。もしかして、あなたは彼の隠していることを知っているの?」
「霧切さん!みょうじさんは関係ないよ。それは本当だから――」
「あなたには聞いていない」
霧切さんが目の前に来る。じっと見つめられ、心臓が脈打つスピードを徐々にあげていった。
刺すような鋭い目つきに観察されて、自分の内側まで見透かされるような気分になった。
私は咄嗟に俯いて、自分の手がすっかりカーディガンに隠れているのに気づく。セレスさんの言葉が脳裏をよぎって、心臓がチクリと傷んだ。
「私は、何もしらないよ。苗木くんが何を隠してるのかも……。でも、苗木くんのこと信じたいって思ってるし……それに、二人が喧嘩してると、ヤだから……」
ウソなんてつけない。咄嗟に判断して、正直に思いを吐き出した。霧切さんは、黙って私を見つめ続けていたけれど、やがて興味を失ったように視線を外し苗木くんを睨んだ。
「あなたは『仲間』だと言った私たちに隠し事をしようとしている。卑怯だとは思わないの?人の話は聞くクセに、自分の話は言わないなんて……」
「ご、ごめん……本当に……」
「…………もういいわ」
さようなら、そう言い残して霧切さんは踵を返した。長い髪がなびいて、桃の香りが漂った。
私が開けたままにしていた扉を抜けて、彼女は去った。廊下の奥、曲がって姿が見えなくなると、苗木くんが長い息をつく。
「あぁ……どうしよ、怒らせちゃったよな……」
「ご、ごめんなさい……。私が出てきて、かえってこじらせちゃったかも……」
項垂れると、苗木くんが弾けるように顔をあげる。
「そんなことないよ!助けに来てくれたんだよね?……信じたいって言ってもらえて、嬉しかったよ」
苗木くんが、少し弱り切った様子で、眉を下げながら笑った。
すぐに霧切さんの事を気にしているのだと気づき、「追いかけないの?」と聞く。
「……霧切さんのこと?無理だよ。追いかけたって、ボクは何も言えないから」
「隠してること?」
確認すると、頷く。それから、こう付け足した。
「今はまだ、余計な心配をかけてしまうかもしれないから、言えないんだ。でも、ハッキリしたら、霧切さんにもみょうじさんにも話せると思うから……」
「そっか……分かった。そしたら、その時に仲直りできると良いね。……あのさ、私は霧切さんが心配だから、追いかけるよ」
「霧切さんが心配?」
苗木くんがちょっとだけ意外そうに言う。私は頷いた。
「うん。霧切さんは怒ってるようにも見えたけど、なんだか、傷ついているようにも見えたから。多分、苗木くんに秘密にされたことが、寂しかったんじゃないかな……?」
言いながら、彼女を追うために音楽室を出ようとする。最後に苗木くんを振り返ると、複雑な表情をしていた。
「大丈夫だよ、ちょっと話を聞いてみるだけだから。苗木くんは探索続けててね」
両開きの扉の片方だけを開けて、すり抜けるように外へ出た。私は最後に嗅いだ桃の記憶をたどるように、彼女の後を追った。
「霧切さん!」
4のBの教室へ入ると、窓ガラスを封じる鉄板を調べていた彼女が振り返った。しかし私だと分かると、すぐに視線を逸らす。嫌われたのかもしれない、そんな予感にじわりと汗が浮いた。恐る恐る足を進め、彼女から少し離れた背後の位置に立つ。
「あなたは何故、苗木くんのことを信じようとするの?」
意外にも口を開いたのは、霧切さんの方だった。私は突然の質問に、言いよどみ、俯いた。昨日の彼の言葉がフラッシュバックする。いつだって本気でぶつかってきてくれる苗木くんのことが、私は好きだった。信じるなら、あの人がいい、そう思った。
だけどそれを言葉にして、霧切さんに伝える術が分からなかった。納得をしてもらえる自信もない。必死に答える言葉を探っていると、痺れを切らしたのか、霧切さんが振り返った。
「あなたは考えなしに、人を信じすぎよ」
驚くほどに、鋭い声だった。だけど、冷たいとは思わない。
いつだったか、香水の匂いを「似合わない」と一蹴された記憶がよみがえる。もしかしたら霧切さんは、あの時からセレスさんの思惑に気づいていたのかもしれない。それで、浮かれている私を心配して、あんな風に注意を促してくれていたのかもしれない。
先の先まで見えているような彼女なら、あり得そうだ。そう思うと、私は、刺すような視線も、言葉も、痛みを伴うものではないような気がした。
「あのね、私ね、信じるのやめたいって思ったんだよね」
真っ直ぐに霧切さんを見つめた。彼女も黙って視線を返す。人の言葉の嘘や本当を、見抜く力を備えているようなたたずまいだった。
「協力したいとか、犠牲者を出さないようにしたいとか、いってたけど、昨日のことは、さすがにこたえたっていうか……。でもさ、じゃあどうすればいいのかって言うと、分からないんだよ。私、霧切さんみたいに頭良くないから、筋道たてて物事考えたり、誰かの行動が怪しいなって疑うこともできないんだよね。だから、疑う役目は霧切さんや十神くんに任せるよ。私がその分、信じるから。苗木くんも、苗木くんが、信じるみんなも、私自身も、……もちろん、霧切さんのことも」
一気にまくしたてたせいで、息がつまった。マスクを少しつまんで、呼吸をしやすくする。
霧切さんはしばらく考え込むように視線を落としていたけれど、やがて脱力するように肩を落とした。そして、私への距離を、一歩、二歩と詰めてくる。
「それがあなたの生き方だというなら否定はしないわ」
目の前に来た彼女はそう言うと、そのまま横を過ぎて、教室を出て行こうとする。しかし間際に振り返って、私を見つめた。
「そういえば、ずっと聞きたかったのだけれど」
「な、何?」
「モノクマに匂いはあるの?」
想像しなかった質問に私はしばし固まった。「どうなの?」急かすように質問を重ねられ、私は慌てて記憶を辿った。
「えっと……あったと思うよ。場所によってそれぞれ違うけど……」
「それはどういう違いなのかしら」
「んっと、例えば……よく体育館に現れるモノクマは、ボールのゴムっぽい匂いがするよ。食堂に出た時はフルーツの香りがしたかも。図書室に出た時は埃っぽい匂いだったかなぁ……」
唸りながらも記憶を手繰り寄せ、何とか答えようとする私。その言葉を聞いて、霧切さんが手を口元に添えて考え込む。
「つまり……モノクマは各部屋に設置されていて、その部屋の匂いがうつっているということ?」
「あ、そうだね、そう言われてみれば確かに!思い返せば、大和田くんが最初にモノクマを爆発させたとき、すぐに新しいモノクマが出て来たもんね。モノクマはきっといろんな場所にたくさんいるんだね」
言ってから想像して、少し身震いする。霧切さんは全く気にした様子もなく、まだ何か考え込んでいるようだった。
声をかけるタイミングを見計らっていると、答えが出る前に、霧切さんが顔を上げた。
「モノクマたちに、共通する匂いはないの?」
またしても予想外の質問で、私は答えに窮した。
「えっと……なんだろう。あんま意識してなかったなあ。次にモノクマ見かけたら、嗅いでみるね!超かぐね!」
「……暴力行為とみなされないように、気をつけることね」
彼女の注意を素直に受け入れ、頷いた。やはり私には、彼女が冷たい人には思えない。厳しいし、怖くもあるのだけれど、言葉の端々に、思いやりが見える気がする。
「霧切さんも、あんまり、無理しないでね」
同じように返すと、少し意外そうな表情をした。しかしそれは一瞬で、彼女は無言で身を翻した。そして、何も言わないまま立ち去ってしまった。
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