「最初から一つ一つ探して行こう」
私が提案すると、セレスさんは静かに頷いた。廊下を進み、娯楽室へ向かう。落ちているハンマーに目をくれず、部屋中の匂いをかいでいる時、畳のような、干したてのお布団のような、嗅いだことのある匂いがした。
葉隠くんの香りだ。彼の豪快な笑い声を思い出して、二人も仲間を殺した犯行の残虐さと重ならず、混乱した。
「葉隠くんの香りはしました?」
見計らったようにセレスさんに聞かれ、じわりと汗が滲んだ。カーディガンの袖口を握りしめながら、「ううん、しないよ」と咄嗟に答えた。セレスさんは少しの間を置いたあと、残念そうに「そうですか」と答えた。その間も彼の匂いは鼻に残っていて、自分の今の行動に意味があるのか分からず、ますます心拍数は上がるばかりだった。
決めつけは良くない。みんなを信じたいと強く思う反面、何を信じればいいのか思い悩むしかできない。葉隠くんがあんなことをするなんてとても思えないが、それは最後の力を振り絞ってメッセージを残してくれた山田くんを疑うことになる。
「凶器は確認しなくてよろしいのですか?」
いつの間にか一人用のソファに腰掛けていたセレスさんが問いかける。先ほど石丸くんと山田くんを探している際に確認したことを説明すると、彼女は深い息をついた。何の手がかりも得られずにいる私に、幻滅したのかもしれなかった。
納得がいくまで部屋中を調べる覚悟だったけれど、あまり一部屋に時間をかけるわけにもいかないし、セレスさんが疲れ切った表情をしているのも気になったので、場所を移動しようと提案した。考えてみれば、ここは彼女が襲われた場所だ。あまり長居をすることは気分のいいものではないだろう。
次の現場へ行くため、一つ階段を降りる。図書室には誰もおらず、薄暗い室内は不気味なほど静かだった。ほんの少し前、ここで、生きていた山田くんと会話したことを思い出し、後悔に似た感情を抱く。あの後、誰かが保健室に残ろうと言い出していれば、こんなことにはならなかっただろう。
ハンマーは山田くんの匂いしかしなかったので、他の部分を念入りに確認していく。図書室は埃っぽくて、何度かくしゃみが出た。
「何か手がかりは見つかりましたか?」
「んー、それが、全然。ここのハンマーも、被害者の……山田くんの匂いしかしないの」
「犯人はあんな格好をしているのだから、匂いが残らないのも無理ありませんね」
図書室を出て、階段の前に来た時、ふと思い悩んで立ち止まる。物理準備室と、保健室、どちらに行けばいいのか、分からなくなったのだ。けれどすぐに、ジャスティスハンマーの番号を思い出す。山田くんの側に落ちていたものは3、石丸くんは、4だった。
「どうかしました?」
「ううん、なんでもないの。物理準備室と保健室、どっちに行けばいいのか分かんなくなって……」
「……それは、何故です?」
「ハンマーの番号をど忘れしてたみたい。でも、なんだろうね、なんか、よく分かんないんだよね……」
保健室に飛び込んで、最初に山田くんを見つけた瞬間、苗木くんが気にしたことを、今になって思い出した。
私たちは、三階で不審者を目撃したタイミングで、保健室にいるはずの山田くんの悲鳴を聞いた。そこから二手に分かれ、不審者を追いつめる者と、山田くんの様子を見に向かう者とで、二手に分かれたのだ。
保健室と物理室をつなぐ道は一本。不審者はどうやって、私たちを追い抜き、三階から一階の保健室へ移動し、山田くんを殺害したのか?あの時、苗木くんが真っ先に抱いた疑問だった。
「やっぱり、瞬間移動だったのかな?」
「……なんの話ですか?」
「三階で追い詰められたはずの犯人が、一階の保健室で、山田くんを襲ったことだよ。苗木くんが言ってたでしょ?」
私は階段の手すりにしがみつき、うなだれた。カーディガンの袖が、引っ張りすぎて伸び切っているのが目に入る。
「ううん……なんか変だと思ったら……そうだ、犯人の動き方が、おかしいんだ」
「みょうじさん?」
「三階で追い詰められた犯人が、本当に瞬間移動で逃げたとして、じゃあなんで、わざわざ三階に戻ったのかなって思って……。だって、三階の行き着いた先、物理準備室で石丸くんを襲って、それから保健室で山田くんを襲って、って方が自然じゃない?今のハンマーの順番を考えると、保健室にワープして山田くんを襲って、物理準備室に戻って石丸くんを襲って、それからまた、十神くんたちから逃げるために……」
「みょうじさん」
遮るように呼ばれ、自分が考えに熱中し過ぎていたこと気づいた。振り返ると、セレスさんが、無表情にこちらを見ている。
「落ち着いてください。言葉がめちゃくちゃで。言っていることの半分も伝わりませんわ」
毒のある言葉を笑顔で紡がれ、どきっとする。ごめんなさい、と小さな声で謝罪すると、彼女は「いいんですよ、それより早く行きましょう。こんなところで考え込んでも仕方ありませんわ」と私を促した。
とりあえず、ハンマーの順に進もうと提案され、保健室へ向かうことにした。
階段を下りながら、うまく言葉をまとめられなかったことにがっかりする。昔から自分の言葉で相手に何かを伝えることが苦手なのだ。だからいつしか、自ら言葉を発したり、主張したりすることは控えるようになっていた。
だけど、それはただの逃げだった。今、自分の置かれた現実を思うと、嫌でも痛感する。気づいたことも、考えたことも、周りのみんなに伝えていかなきゃいけないこの状況で、私はきちんと正しい発言や行動を選んでいけるのだろうか?
自分の不甲斐なさや過去の思い出に気落ちしている私に気づくはずなく、セレスさんは一足先に保健室に踏み込んだ。遅れて私が入る頃に、彼女はすでに部屋の中央にいて、山田くんが転がっていた辺りの血だまりをじっと眺めていた。
「セレスさん、どうしたの?」
「なんでもありませんわ」
その声はいつもより少しトーンが低いように感じた。山田くんのことを思い出して感傷的になっているのかもしれない、そう考えた私は彼女を避けるように部屋の隅を歩いて回り、探索を行った。ふと、奥まで行った時、あらぬ方向から山田くんの香りが漂った。保健室の奥にあるゴミ箱に駆け寄る。鼻を近づけてふんふんやっていると、セレスさんがすぐに歩み寄ってきた。
「何かあったんですの?」
「ここから、血の匂いが……」
ゴミ箱を覗き込みガサゴソやっている私を見下ろして、セレスさんが眉を寄せた。浮浪者みたいな行動が嫌な気分にさせたのかもしれない。でも、気にしている場合ではないと判断し、目的のものを取り出した。腰を伸ばして、ゴミ箱にあった布切れを、光にすかすよう掲げる。山田くんの持ち物によくデザインされていた、アニメキャラの絵が描かれている。一つ変わった点といえば、血を拭ったような跡があることだ。
「これ、山田くんの……メガネ拭き?」
「犯人が捨てたのでしょうか?」
セレスさんが私の手から取り上げ、裏表を確認する。
「葉隠くんの匂いはしますか?」
「ううん、山田くんの匂いしかしないよ」
セレスさんは葉隠くんが犯人だと信じて疑っていないらしい。私が否定すると、「では、事件には関係ないのかもしれませんね」と言った。
「わざわざ証拠品として提出するまでもないと思いますが……どうします?」
「うーん、念のため、持って行こうかな。苗木くんとか霧切さんが見たら、すごいトリックが閃くかもしれないし」
「随分と信頼しているのですね」
「えっ!だってあの二人すごいから……」
「そうですわね。……それでは、このメガネ拭きはわたくしが預かっておきますわ」
血に汚れた箇所を内側に折り、しまいこむ姿を見て、セレスさんが持っていてくれた方が確かに安心だと胸をなでおろした。
「あとは物理準備室と、美術準備室かな」
保健室を出て階段を登り始める。二階に差し掛かった時、一階の廊下を走る音が聞こえた。立ち止まって、身構えていると、一段抜かしに駆け上がってきたのは、見張りをしているはずの朝日奈さんだった。
「あ!セレスちゃんとみょうじちゃん!大変だよ!!」
「!……どうしたの?」
「霧切ちゃんが見つかったんだよ!」
「えっ!!」
霧切さんはどこに、そう続ける前に、朝日奈さんが「ていうか大変なのはそれだけじゃなくって……!」と、荒い呼吸の合間に言った。
「ジャスティスロボの衣装を着た葉隠まで見つかったんだよ!!」
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