説明するより見た方が早いと思い、不審がるセレスさんと、少しすっきりした様子の朝日奈さんを連れて、保健室へ向かう。案の定、山田くんの姿が跡形もなく消えていることに、二人とも唖然とした。
「どーなってるの!?や、山田くんのこと、誰が……!」
「落ち着いてください、みょうじさん。……とにかく、誰か呼んでこなければ。まだ、犯人が近くにいるかもしれません」
セレスさんが声を潜めて言うので、私と朝日奈さんは息を呑んだ。すぐさま鼻をひくつかせるが、誰かの気配は全くなかった。
「とりあえず、緊急事態ですから、私が苗木くんを呼び戻してきますわ」
「えっ、だったら私が行くよ……!」
セレスさんだって怪我を負っているのだ。早々に身を翻したところを引き留めると、肩越しに振り返った彼女が、私の脚元を見た。その姿が、先ほどの苗木くんと重なる。
「――みょうじさん。なんのために彼が、あなたをここへ残したのか、考えてみてください」
そう言うと手を振りほどき、彼女にしては急ぎ足で階段をのぼっていく。
彼というのが、苗木くんのことを指しているのは分かったのだけれど、思惑が全く分からなかった。苗木くんにも、セレスさんにも、こんなに気遣われている理由はなんだろう。
残された私と朝日奈さんは、血にまみれた保健室に入ることができなくて、二人して廊下に座り、みんなが戻るのを待っていた。マスクをして、しっかりと上から手で抑える。死んでしまった仲間たちのことが、匂いと一緒に思い返されるのが、辛かった。
苗木くんと大神さん、十神くんを引きつれてセレスさんが戻ってきた。全員で保健室へ入ると、先ほどの光景を知っている苗木くんが息を呑んだ。
「……私たち、ちょっとトイレに行ってて……。でも、目を離したのってほんの1分くらいだけだよ……」
朝日奈さんは、まだ気分が悪いらしく、蒼白な面持ちで絞り出すように言った。
「それで、戻ってきたら……」
「おそらく、犯人の仕業でしょう……。犯人が、死体を持ち去ったのです」
セレスさんは、汗を浮かせていた。階段を急いで駆け下りてきたせいか、犯人に対する恐怖心なのか、それとも、どちらもなのか。
「まるで……楽しんでいるようですわね。わたくし達が怯え、混乱するのを見て、楽しんでいるようですわ……。このままだと、全員殺されてしまいます。彼らのように……殺されてしまいます……」
震える体を抑えるように、セレスさんが胸の前で手を組んだ。私は彼女の傍に寄り添って、慰めることすらできなかった。
「信じられん……死体が消えたなど。立て続けに二件の殺人があった上に、さらには死体の消失まで……いくらなんでも不自然だ」
さすがの十神君も困惑を隠しきれずにいるようだった。私はその言葉に引っ掛かりを覚え、反射的に顔をあげる。
「ちょ……ちょっと待って!」
声を挟んだのは朝日奈さんだ。白かった顔色を、今度は真っ青にさせて、十神くんを見つめている。
「立て続けに二件もの殺人って……どういう意味?」
「石丸も殺されていたのだ。三階の物理準備室でな……」
大神さんの言葉に、ガツンと頭を打ち付けたような衝撃が走った。
「石丸くんが……な、んで?」
震える声は掠れていた。
朝日奈さんが、悲鳴をあげて崩れ落ちる。彼女の元に走り寄った大神さんが、必死に、宥めるように、体を抱きしめていた。
泣きじゃくる朝日奈さんの声を聞きながら、私はぼんやりと、石丸くんのことを思い出していた。
また、だ。どうしてなんだ。
なんでみんな、死んでしまうんだろう。
「このままじゃ……本当に殺されちゃうよ……!みんな……あいつに……!」
「……だとしたら、次の標的は腐川あたりか?」
「えっ……?」
唐突に口を挟んだ十神くんに、苗木くんが目を丸くする。
「忘れていた……!あいつは物理準備室で気絶したままだ!」
「……現場に置いてきたのですか!?」
大神さんの叫びに、セレスさんも焦りの表情を浮かべた。対する十神くんは、何が面白いのか、腕を組んで薄ら笑いさえ浮かべている。
「仕方ないじゃないか。気を失ったまま起きやしないんだからな」
「気を失ったまま……?」
「十神、お主は気付いていたのか……?ならば、なぜ……ッ!」
十神くんの言葉を聞いて、うずくまる朝日奈さんに寄り添っていた大神さんが立ちあがる。
「俺に付きまとう厄介者……殺されてくれた方がありがたい……」
「き、貴様……ッ!!」
怒りに燃える大神さんに怯むことなく、十神くんは「お前らだって忘れてたんだ。俺を責める権利なんてないはずだぞ」と言い放った。みんなの怒りの感情が十神くんに向けられた時、苗木くんだけが、保健室を飛び出そうとしていた。
「ケンカしてる場合じゃないよ!それより早く戻ろうッ!」
彼の声には人を動かす力がある。我に返った大神さんが、誰よりも早く階段に向かった。私もようやく、呆けていた意識が戻ってきた。朝日奈さんも、涙をぬぐいながら立ち上がって、「もう……これ以上、人が死ぬのはイヤだよ……」と呟いた。私も同じ気持ちだったので、ひっくり返りそうな胃を押さえつけて、彼らの後を追うように走った。
全速力で物理準備室に向かった私たちは、とんでもないものを見つけた。
腐川さんは、幸い、気を失ったまま倒れていたのだけれど――。
「まさか……これは……?」
腐川さんのことなど気にした様子もなく、十神くんが血だまりの近くへ歩み寄った。
初めて現場に立ち入った私でも分かる。
きっと石丸くんは、あそこにいたはずだった。
「我らは……夢でも見ているのか?」
「夢……なんかじゃないよ」
大神さんの疑いの言葉に、苗木くんが返す。私も、よく見ようと前に出ようとしたら、それより先に一歩踏み出したセレスさんの背中で、道をふさがれてしまった。
「ど、どういうこと?石丸の死体も……消えちゃったの……?」
「“消えた”なんて言い草はやめろ……」
朝日奈さんの疑問に、苛立ち交じりに返したのは十神くんだった。
「これは間違いなく犯人の仕業だ。犯人が死体を隠したんだよ」
どうして、なんのために。私の疑問を言葉にしてくれたのは、苗木くんだった。しかし、十神くんは「そんなことは知らん」と返しただけで、彼自身がこの不可解な現象に混乱していることが感じられた。
「ともかく、誰かが例の不審者となり、犯行を重ねているのは間違いないようです……」
セレスさんが怯えたように、一歩下がるので、その後ろにいた私も、自然と後退した。みんなのいる物理準備室の様子がよく見えなくなった。でも、準備室にこもった血液の匂いに、今にも吐きそうになっていたので、ちょうどよかった。
「早くあいつを捕まえないと……このままじゃ本当にみんな殺されちゃうよぉ……」
「いや、その心配はない」
朝日奈さんが涙ながらに叫ぶので、私までもらい泣きしそうになった。ところが、そんな空気を両断したのは、十神くんだった。
「最初に、山田の断末魔の叫び声が上がった時、ここにいる全員は、三階に揃っていたはずだ」
「その後、二手に分かれることになったのでしたね……」
セレスさんが補足すると、十神くんが静かに頷く。
「今の石丸の死体がなくなった時もそうだ。ここにいる連中は、保健室にそろっていただろう。つまり、一連の犯行が可能な人物は、ここにはいない葉隠と霧切のみということになる」
霧切さんと葉隠君が……?
具体的な名前が上がったことで、私の背筋を恐怖心が這い上がった。悪い想像をし、怯える私とは対照的に、苗木くんが「ちょ、ちょっと待ってよ!」と反論する。
「霧切さんには、セレスさんや山田くんが襲われた時のアリバイがあるんだよ?ボクらと一緒に食堂にいたって、確かなアリバイがさ!……ね、みょうじさん!」
苗木くんが背伸びをして、セレスさんの肩越しに私と目を合わせてきた。私はコクコクと頷き、必死に同意を示した。十神くんはそんな姿を見て、どこか楽しそうに、口の端を歪めていた。
「フン……ずいぶんとあいつの肩を持つんだな。お前も……恋ってやつか?」
ぎょっとしたように目を見開いた苗木くんが、慌てて首を横に振っていた。
「そ、そんなんじゃ……!」
「まぁ、いいだろう……霧切のアリバイは認めてやろう」
十神くんは自分からふったくせに、興味なさげに話を切り替えた。
「そうなると、あの不審者の正体は、葉隠くん以外には考えられなくなりますが……」
「でも、葉隠君だって、とても人を殺すような人には――」
セレスさんの言葉に反論しようとすると、彼女が振り返って首を傾げた。
「それでは、みょうじさんは、舞園さんや桑田くん、大和田くんが、人殺しをしそうに見えたということですか?」
「そんな……こと……」
どこか責めるような口調で言われ、咄嗟に言い返すことができなかった。
「――話が逸れたな。つまり、もう殺人は起きない。校則にも明記されてあったはずだぞ」
「そっか、『同一犯が殺せるのは二人まで』って校則……!」
苗木くんがひらめいた、とばかりに声を張る。十神くんは深く頷くと、得意気に続けた。
「その校則がある限り、三件目の殺人は起きない。もし、犯人が校則を破ろうものなら……」
「ミンチだよミンチ!」
ここで、言葉を引き継ぐように飛び出してきたのは、モノクマだった。
私とセレスさんの傍らをすり抜けるように走り、物理準備室に駆け込んだ。
「即ミンチ。肉を細かく切り、すり潰しちゃうんだからねッ!ちなみに、魚介類を原料とした場合は、ミンチじゃなくて“すり身”って言うんですって……!」
「……だそうだ」
それだけ言うとまた、走り去っていったモノクマ。十神くんは動じることなく、眼鏡をくいっと押し上げた。
「犯人が、すでに二人を殺している以上、さらなる犠牲者が出る可能性はない……ということですね」
「十神……お主は最初から気付いていたわけか。腐川が殺される心配がないということも」
「あいつが殺された方が助かる、と言ったのは本心だがな……」
鼻で笑う十神くんがとんでもないことを言っていると分かったのに、彼がそこまで冷徹じゃなかったことを知って、少しだけ胸を撫で下ろした。
「ともかく、これで安心して死体を探せるな。隠された二つの死体を……」
「では、手分けして探しましょう」
セレスさんが、言う。不安そうな朝日奈さんが、「でも……」と口を挟むと、セレスさんが、これ以上殺人は起きないと宥める。それでも、まだ怯えている様子の朝日奈さんに、大神さんが、一緒にいてやろうと申し出ていた。
「では、探索開始だ。死体を見つけたら、すぐ俺を呼べよ」
十神くんが部屋を出て行こうとするので、私は慌てて道を開ける。
セレスさんもそれに続いて、出て行った。私も後を追おうとすると、苗木くんに呼び止められる。
「みょうじさん、大丈夫?顔色悪いけど」
「だ、大丈夫」
「そう?無理しないで。良かったらボクも一緒に回るから。理論上はもう平気だって分かるけど、心配だよね」
「……ありがと」
こんな環境だから、彼の優しさが身に沁みる。誰が犯人かも分からない状態で、純粋に周りを心配できる人たちがいることは、とても嬉しかった。
「私、頑張って探すから……!」
涙目になったせいで、少し鼻がぐずついている。ティッシュを出して、思い切りかんでから、いざゆかんと準備室を出た。
苗木くんと二人で廊下に出てからは、正座するみたいに丸くなって、床の匂いを嗅いだ。血液の匂いがする方をたどって、地面を這うように進もうとすると、苗木くんから、「移動は立ってしよう!」と言われてしまった。また、夢中になりかけていたことに気づいて、恥ずかしさが押し寄せる。素早く立ち上がると、苗木くんは目を逸らしていた。ああ、幻滅されてしまった……。
「その、みょうじさんスカートだから、目のやり場に困っちゃうよ」
ところがかけられた言葉は予想外のものだった。苗木くんは自分の発言が場違いだったと感じたのか、「ごめん、こんな時に言う言葉じゃないよね」と付け足してから、「でも、やっぱり女の子なんだから気をつけて」と呟いた。
「すみません、ありがとう。気をつけます……」
妙な気恥しさから、私まで場違いな感情を抱いてしまった。
しゃがんで嗅いで、立ち上がって移動してを繰り返しながら進んでいくと、物理室から最も近い美術室にたどりついた。苗木くんが入ろうとするので、私は引き留める。
「そこは、朝日奈さんと大神さんが入って行ったみたい。制汗剤の匂いがするから」
「あぁ……」
「私たちは他を調べに行こう」
次に近い娯楽室には、誰も入っていないようだった。中が覗ける丸窓がついているからかもしれない。
私がその部屋に立ち入ると、苗木くんもついてきてくれた。そういえば、と、私はここに来たかった理由がもう一つあったことを思い出す。
「みょうじさん?」
「ジャスティスハンマー1号の匂い、確かめてなかったと思って――」
落ちたままにされていたそれを拾い上げ、鼻を寄せる。しかし被害者のセレスさんの香りばかりで、犯人と思われる匂いはしなかった。犯人がジャスティスロボの中に入っているとしても、体臭一つこぼれないものだろうか?
「どうだった?」
苗木くんの問いかけに、私は首を横に振るだけだった。今度は教室の方へ行こうとしていたら、私たちが歩いてきた方の廊下から、叫ばれる。
「苗木くん!みょうじさん!」
「……何をボサッとしてるんだ。さっさと美術室に行くぞ」
振り返ると、セレスさんと十神くんがいた。
「え?それじゃあ……!!」
「見つけましたわ。山田くんと石丸くんの死体は、美術室に隠してありました」
「朝日奈と大神もすでに呼んである。俺たちは先に行っているぞ……」
言うや否や踵を返した二人の背中。苗木を見ると、彼もこちらを見て瞬いた。
美術室に、石丸くんと、山田くんが――。
想像して、嫌な汗がにじんだ。目を伏せた私に気づいたのか、苗木くんが、背中をさすってくれる。
「大丈夫?もし、きつかったら、ここで……」
「大丈夫」
こみあげる吐き気を必死でこらえ、繰り返すようにつぶやいた。それはほとんど、自分に言い聞かせるような言葉だった。
石丸くんと、山田くんが、喧嘩をしていたころを思い出して、涙がにじんだ。
どうしてみんな、こんなにもあっけなく、いなくなってしまうんだろう――。
覚悟を決めるように深呼吸をすると、苗木くんの優しい香りが鼻をかすめる。
私はそこで、震える脚を、ようやく一歩前に出した。
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