もう二週間も経ったんだ。
14本目の線を引き、この部屋での目覚めが当たり前のことのようになりかけている自分に気がついた。
いつだったか、朝日奈さんが言っていた、「もうすぐ助けがくるよ」という言葉を思い出す。恐らく、もう彼女自身が期待していないだろう。私たちはきっと、ずっとこのまま――。
滅入りそうになった気分を振り払うように、部屋を出た。長い廊下を駆け抜けて食堂に飛び込む。
「おはよう!」
暗い感情を打ち消すために、大きな声であいさつをすると、苗木くんや朝日奈さん、大神さんが笑顔を返してくれた。もう、いつものメンバーはほとんど揃っていた。
「みょうじちゃん、寝坊?今日はちょっと遅かったね!みんな揃ってるよ〜!」
「ううん、起きれたんだけど、のんびりしすぎちゃった。霧切さんと、石丸くんはまだ来てないよね?」
「霧切っちは見張りだべ」
厨房からご飯のトレーを持ってきた葉隠くんが、頭をぼりぼり掻きながら言った。気だるげに椅子をひくと、思い切り腰をおろす。
「石丸に関しては……わからんな……」
「ふん、放っておきゃいーんですよ……あんなのッ!」
大神さんのつぶやきに憤るのは山田くんだ。昨日の喧嘩がまだ続いていることに驚き、気持ちが焦る。元から人が争うのを見るのは苦手だけれど、この状況では特に、火種を消しておきたい。
「まあまあ。山田君、おちつこう!」
「しょうがねーべ、恋敵だべ」
必死で宥めようとする私とは反対に、葉隠くんは落ち着き払っていた。
山田くんは相当腹を立てているようで、そこからしばらく石丸くんの悪口を捲し立てていた。過激な言葉が出始めた頃、セレスさんが露骨に眉をひそめる。
「下品な話題はやめにして、朝食を頂きましょう」
耐えかねた彼女が仕切り直そうとした途端、食堂の扉が乱暴に開いた。全員の視線を受けて、ゲラゲラと特徴のある笑い声を響かせているのは、ジェノサイダー翔だった。
「やはりお前か、ジェノサイダー翔……それに」
大神さんの視線が彼女の後ろへと向く。そこには、何故か十神くんが腕を組んで佇んでいた。
腐川さんやジェノサイダーが十神くんの後ろに立っていることはあっても、その逆は滅多にない。みんなの好奇の目が向いているのに気づいたのか、彼は不機嫌そうにため息を吐き出す。
「なぜ一緒にいるかなど聞かなくていいぞ。応えるのすら、くだらない……」
「ヒントは……今朝のアタシは赤いランジェリーなのッ!!」
またお腹を抱えてゲラゲラと笑うジェノサイダーに、みんなは困惑を隠せなかった。私は、昨日の十神くんとのやり取りを思い出して、視線を伏せてしまう。
『お前は、“仲間”の死体に触れもせず、匂いも嗅いでいないだろう』
指摘されたことを思い出し、自分のずるさをありありと感じた。
誰も傷つけたくない。みんなでここから出る。そう決意したくせに、十神くんを許せない心の狭さが恥ずかしい。不二咲さんの意思を継ぐなら、十神くんを含めた「みんな」で協力しなければならない。
「……で、用件はなんですか?わたくし達と食事を共にする為に来た訳ではないのでしょう?」
セレスさんがナイフとフォークを置く。その問いかけに、どこか刺々しさを感じた。
「当然だ。話を聞きに来ただけだ」
「話……?」
「俺に説明していない話があるはずだぞ」
苗木くんが、納得したような表情をした。その目線が十神くんやジェノサイダーを透かして、脱衣所の方へ向けられているのに気づき、十神くんの意図を知る。
「悪いが、今は話せんな」
大神さんが静かに答えた。みんなの意識が、監視カメラへ向く。
「なぜだ……?」
「色々と事情があるのだ」
「今まで、ずっと知らん顔しといて、いきなり教えろってのも都合がよすぎんべ?」
「決めたぞ。ここから出たらお前は鳥葬だ」
「どんな独裁者だべ!?」
衝撃を受ける葉隠くんから視線を逸らした十神くんが、一瞬だけ私を見たような気がした。反射的に目線を逃がしてしまい、ますます自己嫌悪に陥る。
「……だが、大した民主主義だな。自分達の意にそぐわない者には情報すら与えんのか……」
「べ、別にそんなつもりじゃ……」
苗木くんが慌ててフォローしようと口を開くも、十神くんは最後まで言わせない。
「まぁ、いいさ。だったら、石丸のことを教えてもらおうか。昨日たまたま、あいつを見かけたんだが、何か様子がおかしかったんで気になっているんだ」
「石丸くんは駄目になってしまったのです」
「ちょっと、セレスさん!そんな言い方って!」
「この環境に耐え切れず、精神でも崩壊させたか?安い正義感を振りかざすヤツというのは、大抵弱いものだからな……」
気づけば立ち上がっていた。椅子が大きな音を立てたので、みんなの視線が集中する。今度は確かに、十神くんと視線が絡んだ。石丸くんに向けられた毒が、私の心まで犯していく。
「……そんな、言い方ないじゃん」
十神くんとだって仲良くならなきゃ。分かっているのに、彼の思想を受け入れることを、本能が拒絶する。
十神くんを睨みつけるものの、脚が震えた。淀みなく飛び出てくる言葉に攻められたら、とても言い返せない。けれど、傷ついて、自分を責め続けていた石丸くんを思うと、黙って嵐が過ぎ去るのを待てなかった。
「石丸くんの正義感は、安くないよ。身代わりになってまで、大和田くんを守ろうとしたんだよ?」
石丸くんは二回目の学級裁判で、自分自身に投票していた。不二咲さんの、桑田くんを殺したのは自分達だ、という言葉が蘇る。私たちは間違いなく大和田くんを殺した。唯一、刃向ったのは、石丸くんだけだ。
「石丸くんは、ここにいる誰よりも強いよ」
「フン、またお前か……」
馬鹿にした表情。十神くんは顎をあげ、私を見下す。
「そうだな、次に精神崩壊を起こしそうなのはお前だ。誰よりもキャンキャン喚いている。弱い犬ほどよく吠えるとは、よく言ったものだ」
「十神くん、言いすぎだよ」
苗木くんも立ち上がって、私を隠すように前に出た。だけど彼の身長はそこまで高くないので、肩越しに視線が交わってしまう。十神くんの瞳は冷め切っていて、本当に私を軽蔑しきっているのが感じられた。
「忠告しておいてやろう。偽りの仲間意識なんかを頼りにしない事だ……手痛いしっぺ返しを食らうぞ」
「わざわざ……そんな嫌味言いに来たの?」
朝日奈さんも私を庇うように前に出てくれる。今度こそ温度のない視線が遮られた。
「どうやら嫌われているようだな。では要望に応えて失礼するとしようか……」
十神くんが深い溜息を吐き出すと、その隣にジェノサイダーが寄り添った。
「えぇ、そうしましょう」
「……お前は来なくていい」
「ねぇ、白夜様……。ツンの時間がもったいないわ。デレだけにしましょう」
「話にならんな……」
途端にものすごい速度で足音が遠のくのが聞こえた。体をずらして苗木くんの肩越しに食堂の入り口を見ると、既に十神くんの姿は消えていた。残されたジェノサイダーはしばらく呆けた後、我に返ったように自分の両頬を抑えた。
「逃げた……?ニゲデレなのね……なるほどね……。待て待て待て待てッ!ギャーハッハッハッハッ!!」
同じように騒々しい足音が、十神くんを追いかける。
嵐のように過ぎ去った二人をぼんやりと見送った後、苗木くんが私を振り返った。
「みょうじさん、大丈夫?」
「え、うん……、大丈夫」
普段より鼓動の早い胸を、両手で抑えた。苗木くんを心配させるわけにはいかないので、無理矢理笑って見せたけれど、彼には通じなかったらしく、表情を曇らせてしまった。
「十神くんの言う事なんて、気にしない方がいいよ」
「ありがと……」
「みょうじさんだって、誰よりも強いから。ボクはいつも、みょうじさんの元気に励まされて、救われてるんだよ。だから――」
「苗木くん」
遮ったのはセレスさんだった。二人してそちらを同時に見ると、いつも通りのおしとやかな笑みを浮かべた彼女がいた。
「良い雰囲気のところ、申し訳ないのですが、そろそろ、朝食をとりませんか?」
「……あっ、う、うん!そうだよね、お腹減ったもんね……!」
苗木くんが周りに人がいることを思い出したように、顔をじわじわと赤くさせた。
セレスさんの問いかけに何度も頭を振るのを見ていると、私までつられて恥ずかしくなる。
そのまま苗木くんと顔を合わせることなく、それぞれの席へ座った。そして大した会話もなく朝食を終え、各々が部屋へと戻ったのであった。
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140615