喉のかわきを感じ、お昼すぎぐらいに食堂へ向かった。普段、よく見かける朝日奈さんや大神さんの姿はなかった。どうやら今日はトレーニングの日らしい。
無人の食堂を抜けて厨房へ入ると、意外な人物がいた。
「十神くん……」
思わずこぼした声に反応し、彼がコーヒーを入れていた手を止める。小脇に抱えている本を見る限り、これから図書室か自室にこもって読書に勤しむのだろう。
不二咲さんの死体をハリツケにしたり、殺し合いをゲームと称したりする彼に対して、すっかり苦手意識が拭えなくなっていた。一度は、色んな人がいるのだと割り切ろうとしたとはいえ、やはり相容れない。
私は声をかけたくせに、身を翻して厨房を出て行こうとした。
「何故逃げる?」
手首を掴まれ、無理やり振り向かされた。不機嫌そうな表情に見下され、私までつられて無愛想な顔つきになる。
苗木くんが癒しなら、彼はその逆だ。一緒にいるだけで、心がささくれ立って、自分の中にある嫌な感情を意識する羽目になる。
「別に、逃げてるわけじゃ……」
「そういえば、以前渡した本が図書室に戻されていないようだが、あんな簡単な本、読むのにどれだけ時間をかけている?」
言い訳をしようとした私に構わず彼が言った。記憶をたどって、ずいぶん前に図書室で本を渡されたことを思い出す。
「あ……!最近、立て込んでて、忘れてた……。でもちょっとは読んだよ!」
実際、十分の一も読んでいなかったけれど、鋭い目つきが怖くなり、そう付け足した。
十神くんは、逃げようとしないことを分かってくれたのか、腕を解放した。私は自分の手首を労わるようにさする。
「ではその内容を言ってみろ」
「えっ、えーと、ひ、人が死んで、……探偵が」
「……もういい。今度はお前のレベルにつり合う本を選んでやる」
「……ご、ごめんなさい」
お見通し、といった様子でため息を吐き出され、申し訳なさに項垂れた。しかしそこで、正気に戻った。私は十神くんに、自分は怒っているんだ、ということが伝わるような顔を作って、睨みあげた。
「そんなこと、しなくていいよ」
十神くんが驚いたような顔をしたのは一瞬で、すぐにまた、いつもの人を小馬鹿にした笑みを浮かべた。フン、と鼻を鳴らしたかと思うと、「仲間ごっこは終わりというわけか?」と嘲った。
「ど、どういう意味?」
「やはり今までのは偽善だったわけだ、と言っているんだ。みんなで協力しようとわめき散らして、そのくせ少数派である俺を排除しようとしている。それのどこが仲間だ?」
難しい言葉で捲し立てられれば、咄嗟に言い返すことなどできない。息をつまらせて、不機嫌な表情を作るのも忘れて眉を寄せると、彼は追い打ちをかけるように続ける。
「お前は、“仲間”の死体に触れもせず、匂いも嗅いでいないだろう」
心臓が脈打った。逃げ腰になった私が退くと、その分だけ逃げ道をふさぐように、十神くんが進む。真っ直ぐ下がれば食堂へと逃げ出せたのに、斜めに押しやられて背中が壁についた。
つい昨日、石丸くんにもこんな風に覗き込まれたことを思い出す。ただ、全く違うのは、私をどうしようもない恐怖感が襲っていることだ。
「泣きじゃくって、他者を批判して、仲間想いにでもなったつもりか?大した低能だな。大切な仲間とやらの亡骸に触れもしないで。内心、汚いとでも思っているんだろう」
「そんな、つもりは……!」
「じゃあ何故、死体に触らない。お前は恐れているのか?あいつらのような“弱者”になることを――」
「違う!!」
「あら、珍しい組み合わせですこと」
第三者の声がして、私と十神くんは同時に振り返った。気づけばすぐ隣、入り口のところで、セレスさんが口元に手を添え、クスクスと笑っていた。十神くんは舌打ちをし、私の頭のすぐ横に置いていた手をどかし、背筋を伸ばす。
「俺は今こいつと話している。出て行け」
「まぁ?一体なんの権限があってそんなことを言うんですか?ここはみんなの共同スペースですのよ。ましてやあなたのような、ここから出たがっている人間にはただの仮住まい。ここで生活することを決めた私にとっては、一生の家のようなものですわ。――それに」
十神くんの横をすり抜け、セレスさんの近くへ走り寄った私を見て、彼女は微笑みを表情から消す。
「彼女の方は、あなたとの会話を望んでいないように見えます」
セレスさんの斜め後ろに隠れる私から視線を逸らし、十神くんが盛大な舌打ちをした。
彼は台の上に置きっぱなしにしていたコーヒーカップと本を取ると、厨房を出て行った。
彼の足音が聞こえなくなったところで、ようやく肩の力を抜く。セレスさんは私の手を振りほどくと、厨房の奥へと進み、紅茶を入れる準備を始めた。
「せ、セレスさん、ありがとう」
緊張のせいか、弱々しい声がでた。セレスさんが呆れたような伏し目をこちらへ向ける。その目線の先を見て、自分の手がカーディガンにすっぽり収まっているのに気づいた。悪いことをしているわけではないはずなのに、妙な罪悪感を抱いて、隠すように背中へ手を回す。
「あなたでも人と衝突したりするんですね」
「え?……それは、うん。あんまりないけど、十神くんとは相性が悪いのかもしれない……」
不二咲さんを庇って図書室でも喧嘩になったことを思い出していた。
人と言い合いをするのは疲れるもので、体中に倦怠感がまとわりついていた。
「何をぼさっとしているんですか?」
セレスさんの声でハッとする。顔をあげると彼女が腕を組んで立っていた。
「道具だけは用意してあげました。私は食堂で待っていますから、ロイヤルミルクティー、よろしくお願いしますね」
「へ?私?」
「この場に、他に誰かいるように思いますか?」
「なんで私……」
「助けてあげたんです。お礼の一つや二つするのは当然でしょう?」
にっこりと微笑むと、彼女はそれだけ言い残して出て行ってしまう。以前、セレスさんに普通のミルクティーを入れた山田くんが、目の前でカップを叩き割られ、豚扱いされていた記憶がよみがえり、身震いをする。
「ど、どうしよう……私、ロイヤルミルクティーの作り方なんてわかんないよ……」
一難去ってまた一難だ。私は頭を抱え込んだ。
山田くんがやってきて、ロイヤルミルクティーの作り方を教えてくれるものの、セレスさんに遅すぎる!と二人してこっぴどく叱られるのは、その数分後の話である。
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140225