先導する朝日奈さん、大神さん、霧切さんに続き、脱衣所へ向かった。涙と鼻水を垂れ流す葉隠くん、退屈そうな表情のセレスさん、気づかうように周りを見渡す苗木くんが後に続く。隣を歩いている山田くんが、何故かずっと「エコエコエコエコ……」と唱えているのが不気味だった。
「朝日奈よ……どのあたりで不二咲の霊を見たのだ?」
「なんか音が聞こえて……ロッカーの扉を開けてみたら……そしたら、ボウッと青白く光った不二咲ちゃんが……」
苗木くんがロッカーに歩み寄った。正直、彼が前に出るのが意外だった。大神さんや霧切さんの方が平気で確認しそうなのに……。やっぱり男の子は強いんだな。
恐々様子を窺っていたら、彼が「あれ」と驚きの声を漏らす。
「こんな所にパソコン……?」
ロッカーを開けきった彼の後ろから、霧切さんが覗き込んだ。
「見覚えがあるわね」
霊がいなかったと分かり、何人かがロッカーの前へ詰め寄った。山田くんが、「図書室にあったやつですな!」と声をあげて、私はぼやけていた記憶が輪郭を持つのを感じた。
「でも、図書室にあったノートパソコンが……どうしてこんな所に?」
「これ……スリープモードだけど……電源が入ってるみたいよ」
「え?壊れてたはずじゃなかった?」
「……不二咲千尋が直したのだろう。あいつも……超高校級のプログラマーと呼ばれる天才の一人なのだからな……」
そんなことより、と話を遮ったのはセレスさんだった。彼女はほらみたことかと言わんばかりの表情で、朝日奈さんを責めた。「まさか、このパソコンのディスプレイの光を幽霊と勘違いしたのでは?」とか「あなたの目は節穴ですか?」とか。朝日奈さんはとうとう黙りこくってしまった。
フォローしようにも矢継ぎ早に言葉が飛び出してくるので、口を挟む余裕もなかった。セレスさんの、たまに見せるこういう一面がどうしようもなく怖い。
結局、葉隠くんや山田くんの微妙なフォローに、朝日奈さんが怒りだし、いつも通りの空気になった。私はほっと胸を撫で下ろしたのだけれど、霧切さんや苗木くんは気にした様子もなく、会話を続けていた。
「だけどさ、なんか変だよね?どうして、脱衣所なんかにパソコンがあるのかな……」
「誰かが隠したのかも」
「……だけど、隠すんだったらもっと見つかりづらいところに」
思わず口を挟んだら、霧切さんが「私たちから隠したわけじゃないわ」と補足した。苗木くんがふと真剣な表情を見せる。
「どういう意味?」
「気づかない?この脱衣所と他の部屋との違いに……」
周囲を見渡す。ついマスクを外して鼻をひくつかせるものの、他の部屋の匂いと相違なかった。強いて言うなら、大きな浴槽が近くにあるから、部屋の温度が少し高いぐらいだ。
「監視カメラが……ない……」
ひらめいたのは苗木くんだった。ハッとして天井の四隅を確認すると、確かにカメラが一つもなかった。いつも圧をかけられている存在がないと分かった途端、心が一気に軽くなる。
「そう、その通りよ。この脱衣所にはカメラがない……。つまり、ここは黒幕の目が届かない場所」
「このパソコンは、誰かがここに隠したということですか?黒幕に見つからないようにと……」
山田くんが問いかけると、霧切さんは頷き、続ける。
「それに、朝日奈さんが見たのは、ただの青い光じゃなく……青く光る不二咲さん、だったわよね?あのノートパソコン……もう少し詳しく調べてみた方がいいかも……」
彼女の提案に同意を示すように、苗木くんがノートパソコンを取り出した。脱衣所の長椅子に置くと、その前にちょこんと正座する。みんなが彼の背後へ周り、身を屈めて同じように画面を覗き込んだ。
「まずはスリープモードを解除してみましょう」
「そうだね……」
苗木くんがキーボードに触れると、ディスプレイに光が灯った。
デスクトップは初期設定なのか色一色で、並んでいるアイコンは私のパソコンより多く、どれも見覚えのないものばかりだった。
「その左端にあるアイコン……」
「どうかした?」
霧切さんが手袋をした指で画面を指す。苗木くんがカーソルを動かし、そのあたりに彷徨わせた。
「アルターエゴ……ってあるわよね?」
「アルターエゴ……」
背後で呟いたのはセレスさんだった。振り返ると、彼女も同じようにパソコン画面に釘付けになっている。
「“別人格”という意味ですわね。創作の分野などで意図的に異なる人格を演出するために作られたものを指す場合が多い……ペンネームみたいなものですわね」
「苗木くん、ちょっと場所を代わってもらえる?」
霧切さんは問いかけたものの、返事は待っていないようだった。苗木くんの肩を押してパソコンの前に座り込むと、カーソルを動かしてアルターエゴのアイコンに重ねた。彼女がクリックしたと同時に、画面は暗転する。
「来てくれたんだね、ご主人タマ!」
可愛らしい声が響き、ディスプレイいっぱいに映し出されたのは、不二咲さんの顔だった。
「で、で、出たぁ――ッ!!ナムアミダムツナムアミダブツ――ッ!!」
叫んだのは案の定、葉隠くんだった。私は心臓がばくばくと音を立てるのを聞きながら、画面をじっと見据える。彼と違って幽霊に怯んだわけではなかった。映った笑顔が生前の彼、そのものだったからだ。
「落ち着いて、幽霊なんかじゃないわ」
「じゃあ、これって……?」
朝日奈さんが首を傾げる。霧切さんはパソコンから目を逸らさずに、「対話してみればわかるはずよ」と答え、素早い手つきでキーボードに文字を打ち込んでいった。
<あなたは何者?>
画面に並んだ文字をみんなが見たのを確認してから、彼女はエンターキーを押した。
浮かぶように揺れていた不二咲さんの顔が、居住まいを正したようにこちらを向く。
『どうも、はじめまして。不二咲千尋ですぅ。えへへっ、自己紹介ってなんだか照れるねぇ……』
「こ、これ……口調も音声もまるっきり……」
「不二咲千尋……だな」
背後でみんなが動揺するのをお構いなしに、霧切さんがキーボードから手を離し、口元に添えた。
「人工知能プログラム“アルターエゴ”……噂には聞いていたけど、見るのは初めてだわ……」
「人工知能プログラム……?」
一人感心した様子の霧切さんについていけずにいると、苗木くんが皆の総意を口にするように、問いかけてくれた。
「不二咲千尋が【超高校級のプログラマー】と呼ばれるようになったゆえん……パソコン上に常駐し、対話や作業を繰り返す度に、そこから情報を得て成長していく人工知能。サポートベクターマシンや強化学習を取り入れ、それを不二咲千尋の手でさらに発展させることで、作り上げられた画期的な人工知能……」
「サポ……?」
解説してもらっておいて、私は全く理解ができなかった。不安になってみんなを見渡すと、ほとんどが同じような面持ちで安心した。
霧切さんはふっと小さく息を吐くと、「簡単に言えば……機械の学習方法といったところかしら」とまとめてくれた。
「この人工知能が成長を続ければ、単なるサポート役どころか、いずれは本人に代わってあらゆる作業をこなすことも可能になると言われているわ」
「だからアルターエゴですか……言い得て妙ですわね」
セレスさんが同意した。
「とにかく……もう少し彼と対話してみましょうか」
霧切さんが次に入力したのは、こんな文字だった。
<あなたは、どこまで知っているの?>
『ご主人タマが一通り教えてくれたけど……なんだか、大変なことになっちゃったよねぇ。いきなり……こんなことに巻き込まれちゃってさぁ……』
不二咲さんの表情が会話に合わせて曇り、本人と会話をしているような気分になった。霧切さんは表情一つ変えないまま、<あなたはどうしてここにいるの?>と続けた。
『ご主人タマが僕を使って何をしようとしているのか……ということだよね?それはね……このパソコンのハードディスクにあった膨大なファイルの解析……。この学園に関する資料だと思うんだけど、これがビックリするくらい厳重なロックで、ちょっと時間が掛っちゃってるんだよねぇ……』
困り顔のまま続けた不二咲さんが、まるでこちらが見えているように私たち一人一人の顔を確認した。
『だけど、ご主人タマはきっとこう思ったはずだよ。それだけ厳重にロックしているということは、ここには何か秘密があるはずだって……例えば、この学園の秘密とかね』
「……学園の、秘密!」
声をあげた私とは対照的に、霧切さんは淡々と質問を入力した。
<どれくらいでロックを解除できる?>
これにはアルターエゴは、もう少しの時間が掛ると答えた。でも、絶対になんとかするから、任せて欲しいとも付け足した。
「なるほどね」
納得した様子の霧切さんが立ちあがる。すぐ近くにしゃがんでいた苗木くんが、つられて目で追いそうになって、スカートが揺れるのに気づき俯くのを見た。妙な場面を目撃してしまい、私まで居心地悪くなる。しかしそんなことには誰も気づかず話は進んでいく。
「膨大な時間を要する作業だったからこそ、それにアルターエゴを使った……」
「なるほど、名案でしたわね」
背後でもセレスさんが立ち上がった。
「お陰で、彼が死んだ後でも作業が滞りませんわ」
引っかかる物言いだったけれど、霧切さんが立ちあがった状態で身をかがめ、再び文字を入力しだしたので、指摘するタイミングを逃した。
<引き続き頼むわ。黒幕に知られないように気をつけてね>
『大丈夫。いざって時の秘策も用意してるし……。実はウェブカメラでそっちの様子が見えてるんだ。だから、怪しい人が部屋に入ってきたら、大声で助けてーって叫ぶから!』
「ずいぶん原始的な秘策だね……」
「ですが、それだと昼の時間帯はともかく、夜時間が心配ですわね……」
「え、なんで?」
セレスさんの憂いを帯びた言葉に首を傾げると、呆れたような視線を向けられた。
「お忘れですか?個室は完全防音なのですわよ?それぞれが個室に入った後では、いくら叫び声が上がっても、気づくことができません」
「じゃあ、夜時間はみんなで交代しながら、この脱衣所の見張りにくる?」
スカートの女子の前に座っているのが気が気じゃないらしく、苗木くんが立ち上がって提案した。つられて私も立ち上がると、一人、また一人と起立していった。
「交代しながら脱衣所に人が入っていったら、黒幕に勘付かれる危険性があるわ」
「だったら……どうしよう……?」
「夜時間の間、私の部屋のドアを開けたままにしておくわ。そうすればアルターエゴの叫び声も聞き逃さないはずよ?」
霧切さんの提案に、誰もが驚きの色を見せた。
「だ、だけどよ……夜時間にドアを開けっ放しって」
恐る恐る口を挟んだのは葉隠くんだった。しかし、その言葉の続きを遮るように、本人が継ぐ。
「そうね、私を殺すチャンスかもね。だけど……私を殺せるかしら?私は、そう簡単には死なないと思うわよ」
それは、これ以上ないほどに堂々とした口調だった。殺す気なんてこれっぽっちもない私まで、威圧されそうになる。
『あのさぁ』
私たちの会話が途切れたタイミングを見計らったのかそうじゃないのか、足元から控えめに上がった声は、不二咲さんのものだった。
『僕からもちょっと質問させてくれる?さっきからご主人タマの姿が見えないけど……やっぱり……ご主人タマは……』
体が強張る。どうしよう、と誰かと目くばせをするつもりで視線を動かしたのに、霧切さんが素早くしゃがんでパソコンに文章を打ち込んでいくので、釘付けになった。
<不二咲君は、大和田君に殺されたわ>
明確で率直で、簡潔な答えだった。
パソコン相手に気を使うのもおかしいとは思うけれど、画面の中の不二咲さんの表情が一瞬にして辛いものもに変わったのを見て、胸が締め付けられる痛みを感じた。
『そっか……やっぱりねぇ……でも僕は最初からわかってたよ……。ご主人タマが、この状況下で生き残れる可能性が極めて低いってことくらい……。だから……覚悟はしてたよ……』
今にも泣きだしそうなほどまつ毛を震わせる姿は、不二咲さんそのものだった。私は思わず、霧切さんの隣に勢いよく膝をついた。
正直パソコンには慣れていなかった。それでも夢中でキーボードを叩く。ようやく打ち終えた文章を確認しないままエンターキーを押す。
<げんきおをdsてほしいい>
「あっ」
「げんきおをでぃーえすてほしいい……?」
「元気を出してほしい、って言いたかったんだべ?」
じわじわと沸き上がってくる恥ずかしさを感じながら、葉隠くんの言葉に必死でうなずいた。不二咲さんはさっきまで霧切さんの言葉にすぐさま返事をしていたのに、急に眉をひそめて黙り込んでしまった。
「ご、ごめん、霧切さん、よかったら打ち直して――」
『あ、分かった!『元気を出してほしい』って、いってくれたんだね?』
表情を輝かせて、アルターエゴが言った。私は霧切さんの肩にしがみ付こうとしていた手を力なく落として、口をぽかんと開けたまま画面を見つめていた。途中で我に返って何度も頭を縦に振ったが、よく考えればそれも伝わらないのだ。
『ありがとうねぇ。もしかして、今の、みょうじさんが言ってくれたのかな?ご主人タマのこともよく気にかけてくれてたって聞いてるよ!』
肯定の言葉をキーボードで入力しようとしていた手が止まった。アルターエゴはふと、大人びた笑みをうかべて、私の目を正面から見た。
『ご主人タマは口下手だから、きっとろくに思ってたことも言えないまま逝っちゃったんじゃないかなぁ。でもね、みょうじさんにも、他のみんなにも、すごく感謝してたんだよ。だから僕が代わりに伝えておくね。……ありがとう』
パソコンの仕組みはよく分からない。私には説明できないようなたくさんの技術が用いられていることが分かる。技術っていうのはつまり、私たちが使うシャープペンシルとか、携帯電話のことだ。
だけど、同じとは思えない。柔らかい声も、温かい笑みも、間違いなく生命だ。喉の奥が苦しくなって目頭が熱を持った。みんなが息を呑んで見守る中、私はまた、キーボードに手を伸ばす。
――誰かを殺してまで生きたくない。
そう言った、誰よりも思いやりのあった不二咲さんは、現状を受け入れられず、協力を夢見て、死んでしまった。
十神くんのようにビジョンを持つことが正しいのか?彼みたいにゲームだと割り切って、冷静に周囲を見た方が生きられるのか?
そんな疑問はもう抱かない。そうやって生き残ったって、むなしいだけだ。不二咲さんが教えてくれたから、誰かを殺してまで生きたくないと心から思える。不二咲さんが残してくれたアルターエゴの言葉が、私に生きる意味を与えてくれた。
もう二度と、犠牲者は出さない。私が、不二咲さんの意思を継ぐから。
アルターエゴは静かに待っていた。震える指で文字の入力を終えると、画面を確認した。
<わたしも、ありがとう>
エンターキーを押し、今度はちゃんと伝えることができた。彼女の笑顔が咲くのをみて、心の奥で暗く立ち込めていた感情が晴れていくのを感じた。
Next
140105