一足先に辿りついた霧切さんは、すでに捜査を始めているらしく、部屋の様子を念入りに観察していた。苗木くんも覚悟を決めるように自分の頬をぱちんと叩き、部屋の中へと入っていった。
舞園さんの遺体は部屋の奥のシャワールームにあるらしい。らしい、というのは、先ほど死体発見アナウンスが流れた際は、入口まで漂う血液の匂いに怯んで、足を踏み入れることさえできなかったのだ。
だけどもう、そんなことを言ってる場合じゃない。勇気を出して踏み込んで、部屋の様子をぐるりと見渡した。傷だらけの壁や床、争った形跡。舞園さんはここで必死に抵抗して……。想像しかけて、止めた。マスクをつけたままでも血の匂いは十分わかるけど、意を決してあごまで下ろした。瞬間、苗木くんのものでも舞園さんのものでもない匂いが鼻をつく。すでに現場に踏み込んだ、霧切さんたちのものでもない。私は部屋に舞ういくつもの匂いの中から、その香りにだけ意識を集中し、記憶のものと結び付けようとした。
「……みょうじさん?」
不信感をあらわにした声をかけられ、我に返った。私は気づけば地面に這いつくばって、一心不乱に匂いを嗅ぎまわっていたのだ。あわてて立ち上がってスカートを整える。珍しく目を丸くした霧切さんに見つめられると、羞恥がこみあげてくる。
「あなた何してるの?」
「一応、調査を……えっと、実は私、嗅覚がちょっとだけいいので」
「そう……たしかあなたは【超高校級の犬】だったわね。そういうことだったの」
納得した様子の霧切さん。警戒されなかったことに安堵していると、急に真剣な眼差しを向けられて、鼓動が一際高鳴った。
「じゃあもう、犯人の見当はついているのね」
「……」
小さくうなずいた。今もまだ私の嗅覚を刺激する、この部屋に入っていないはずの人物が身につけていた香水の香り。
でも、分からない。分かりたくないのかもしれない。言葉を返せずに俯いていると、霧切さんがふっと息を吐きだした。
「……でも、その名前は言わないで。この謎は、彼に解かせてあげたいの」
「彼?」
予想外の言葉に顔を上げると、霧切さんの視線は、懸命に捜査する苗木くんに注がれていた。どうして、と聞きかけて口を閉じる。きっと彼が舞園さんと一番仲が良かったからだろうと、勝手に解釈した。
開けっ放しのシャワールームをそっと覗きこむと、ますます血の匂いを近くに感じた。入って匂いを嗅げば何か手がかりを見つけられるかもしれない。そう思ったけれど、遠目に見るので精いっぱいだった。
「無理をする必要はないわ」
胸元に手を添えて呼吸を整えていると、捜査に戻って壁の傷を確認していた霧切さんがこちらを見ずに言った。
「あなたは例の人物の匂いを追いかけて、証拠や手がかりがないか探してきて」
例の人物というのが犯人を指していることに気づき、私はうなずいた。こんな状況で気づかわれてしまったことが申し訳なかったけれど、彼女の提案は有難かった。
苗木くんが大神さんから話を聞いている横をすりぬけ、部屋を出る。さっそく地面に膝をついて匂いをたどろうと鼻に意識を集中したら、少し進んだところで頭が何かにぶつかった。
「……何をしている」
苛立ちを含んだ高圧的な声には聴き覚えがあった。素早く顔をあげると、腕を組んだ十神君が私を見下ろしていた。
「捜査を……」
「まるで犬だな」
十神君は私がぶつかってしまった脚の部分のあたりをしきりにはたいていた。汚いもの扱いがショックだったけれど、今はそんなことで喧嘩をしている場合じゃない。
四つんばいのまま彼の隣を抜け、さらに匂いを追っていこうとすると、背後から「待て」と声がかかった。反射的に振り向いて、地面にしゃがんだまま十神くんの言葉の続きを待っていると、まじまじと観察された後、視線を逸らされる。
「お前みたいなやつも加わらなければならんほど、捜査は難航しているのか?」
言い方に何か引っかかりを覚えたけれど、首を横へふってみせた。
「霧切さんも苗木くんも、一生懸命捜査してたよ。十神くんは捜査しないの?」
「『捜査しないのですか?』……だろう?」
無意味な威圧に私は怯んだ。ついでに今の状況が、彼に跪いているように見えなくもないことに気づき、もやもやとした感情がふくらんだ。でも、わざわざ逆らって事を荒立てるのも面倒だった。有無を言わさない口調にセレスさんを思い出し、本能的に、十神君も従わなければならない人種であることを悟った。
「十神くんは、捜査しないのですか?」
「ふんっ……歩き回って証拠を探し集めるのは下々の者がすることだ。俺はおまえらが持ってきた情報を元に、真実を導き出す。それだけだ」
何でこんなに偉そうなんだろうと考えかけて、彼が【超高校級の御曹司】であることを思い出した。つまり彼は、本当に偉いからこんなに偉そうなのだ。納得した私は素直にうなずいて、また匂いをたどる作業に戻った。
最初にたどりついたのは、ランドリーだった。とはいえ、誰もがこの寄宿舎で生活していたのだから、犯人の匂いが残っているのは当然だ。一つ一つの洗濯機を確認したけれど、特に血を洗い流した形跡もない。ここには何の手がかりもなさそうだと判断し、私は早々にランドリーを後にした。
次に向かったのはトラッシュルームがある方の通路だ。みんなは普段、部屋が並んでいるほうの通路を使うらしく、こちら側はあまり使用された気配がない。それなのに、部屋から近い山田くんや葉隠くんは別として、犯人の匂いが残っていることが気になったのだ。
トラッシュルームの扉を慎重に開けた私は、漏れるように立ち込めてきた生臭い匂いに息を詰まらせる。とっさにマスクを元の位置に戻したけれど、すでに思い切り吸い込んでしまったせいで、咳がでた。
扉をしめてしばらくむせていると、「みょうじさん?」と背後から声がかかる。咳き込みすぎて涙目になった状態で振り返ると、苗木くんと山田くんが驚きに目をむいた。
「どうしたの!?大丈夫?」
「みょうじなまえ殿!どうしたんですか!持病の発作が出たんですか!?」
「ち、ちがうの……」
なんとか呼吸を落ち着かせ、トラッシュルームの調査をしようとしたのだけれど、匂いがきつすぎて尻込みしていたことを伝える。
「それなら、ボクたちが調べるから大丈夫だよ。どのみち掃除当番の山田くんが持ってる鍵を使わないと、中は見れないらしいし」
「……そうなんだ」
一瞬のぞいた扉の向こう側で、左手に鉄格子がはまっていたことを思い出して納得する。名前を出された山田くんは、自分の眼鏡をくいっと押し上げると、得意げに言った。
「安心してください!苗木誠殿が証拠隠滅をしないように、このわたくしめがしっかり目を光らせておりますぞっ」
「はは……とにかく、ここはボクたちに任せてよ」
犯人扱いされたというのに、苗木くんは苦笑するだけだった。私は代わりに彼が犯人じゃないことを主張しようとしたけど、霧切さんの言葉を思い出して踏みとどまった。余計なことを言ってしまう前に立ち去ろうと身をひるがえすと、何か気づいた様子の苗木くんに呼びとめられた。
「そうだ、みょうじさん、ちょっといい?」
「え?」
「時間がないかもしれないから、もし手が空いてるなら、これを観てもらいたいんだ」
引き返して差し出された何かを受け取る。それは昨日モノクマに見せられたDVDで、ケースには舞園さんの名前が書かれていた。
「……、勝手に観てもいいのかな?」
これを観た彼女がひどく怯え、視聴覚室を飛び出していった記憶がよみがえった。緊張に強張った体を感じながら問いかければ、苗木くんが辛そうな表情をした。
「……捜査のためだから」
だけどはっきりと口にした彼。腹をくくったような強い瞳に見つめられ、やっぱり私はこの人を信じるべきだと確信した。
預かったDVDをしっかりと抱きしめて、視聴覚室へ向かう。正直、自分が見せられた映像の事を思い出してしまうので良い気はしなかったけれど、苗木くんに託された以上、しっかりと確認しておかなければならない。
モニターの前へと腰を下ろし、DVDをデッキへと差し込む。再生ボタンを押し、暗いままの画面をしばらく見つめていると、コンサート映像が映し出された。
ステージの上、センターに立つ少女の顔は、ここ数日ですっかり見慣れたものだった。
「舞園さん……」
同じアイドルグループの仲間たちと並び、マイクを片手に歌って踊る彼女は生き生きとしていた。輝かしい笑顔をふりまく舞園さんを見ていると、自分が置かれたこの状況が、悪い夢のような気がしてくる。本当の彼女は生きていて、どこかでこうして元気に活動しているんじゃないか。おにぎりを届けにきてくれた舞園さんは嘘で、彼女はこんな学園生活に最初から参加していなかったんじゃないか――。
ありもしない願望を抱き、視界がぼんやりとにじみかけたその時、あの忌々しい声がスピーカーから流れだした。
『超高校級のアイドルである舞園さやかさんがセンターマイクを務める国民的アイドルグループ。そんな彼女たちには、華やかなスポットライトが本当によく似合いますね。ですが……』
テレビの砂嵐みたいに画面が暗転した。咄嗟に立ち上がって、デッキの線がつながっていることを確認する。急に機械が止まってしまったことに動揺したのもつかの間で、すぐに音声が戻ってきた。
『訳あって、この国民的アイドルグループは解散しました!』
画面に視線を戻した私は反射的に自分の口をおさえる。先程までのコンサート映像がウソみたいに、荒れ果てたステージ。舞園さんの姿は消えていて、残りのメンバーたちは、ぐったりと倒れこんでいる。
『彼女たちが、アイドルとして活躍することも、スポットライトを浴びることも二度とありません。つまり、舞園さやかさんの“帰る場所”は、もうどこにもなくなったのです!では、ここで問題です。この国民的アイドルが解散した理由とは!?』
再び画面が暗くなったあと、中央に現れたテロップには見覚えがあった。バラエティ番組みたいな『正解発表は卒業の後で!』の文字。昨日、私自身が見せられた映像がフラッシュバックする。住んでいた家が無残な姿になり、その中央に倒れる母の姿。思い切り身を引くと、座っていた椅子が勢いあまって倒れてしまう。
「……なんでよ!!」
国民的アイドルグループが、誰もが知っている有名人が、こんな簡単に。もしもこの映像が本物だったら、外の世界は大騒ぎになっているはずだ。
「モノクマは……いったい何者なの!?なんで、なんでこんなことができるの……!」
モニター画面に強く手を置くと、タイミングよく映像が終わった。再生を終了した機械がDVDを吐き出す。私はそれを回収するのも忘れて、ただ押し寄せる恐怖に震えていた。舞園さんがこの映像を見て、どう思ったのかを想像すると、胸が押しつぶされそうなほど息苦しくなる。
みょうじさんも、明日から一緒にがんばりましょう。
舞園さんの甘い香りが鼻をかすめた気がした。はっと顔をあげるけど、当然そこに彼女の姿はなく、自分が聞いた声が記憶の中の彼女のセリフだということに気づいた。
呆然と立ち尽くしかけた時、チャイムが鳴り響いた。習慣でモニターに目を向けると、案の定モノクマが映し出される。学級裁判を始めるから、捜査を止めて学校エリアの赤い扉の前に集合するように告げると、画面はすぐに暗くなった。
「やるしかないんだよ……ね。ううん、舞園さんのためにも、やらなきゃ!」
いつの間にかこぼれていた涙を袖で拭う。マスクの隙間に入り込んできた滴もふき取って、私は視聴覚室を後にした。
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131101