3
「好きです。高杉君が、大好き」
口にした瞬間、私の中で何かがはじけ飛ぶ。穏やかだった風が、一瞬強くなって私たちを吹き抜けたのを感じた。
「……」
「冗談みたいに言ってごまかしてきたけど、本気なの」
言った。言ってしまった。心音が、高杉君に聞こえてしまうんじゃないかってくらい、うるさい。
真っ直ぐと見つめあうと、足が震えた。弱音を吐いてしまいそうな自分の唇をかみしめる。
じっと耐えていると、高杉君がふと視線を外して空を見上げた。もう沈みきってしまうであろう夕陽を眩しそうに見つめた彼は、自分の頭をガシガシと思い切りかいた。
「……知ってる」
「……」
「……つーか、俺、返事しただろ」
ポツリポツリと高杉君が呟いた。私はその答えに絶望する。それはつまり、今まで通りの返事と言うことなのかな。
予想はしていたけれど、ショックが大きすぎる。一気に緩んだ涙腺を感じ、私は引き留めたままだった高杉君の袖を手放した。力なく垂れさがる腕。
あ、やばい。泣きそう。
茫然と立ち尽くしかけて、私は我にかえる。駄目だ。ここで泣いたら高杉君に迷惑を掛けてしまう。これ以上嫌な女になっちゃだめだ。
笑うって、決めたんだから。
私はふっと息を吐き出すと、精一杯の笑顔を彼に向けた。驚いたように目を見開いた高杉君を見据えて、柔らかい口調を意識する。
「そっかあ……、そうだよね、うん。ごめんね」
「……あ?」
「高杉君が私のこと、……なんて、天地がひっくりかえってもありえないよね」
「……」
「高杉君、楽しかったよ、一年間。あっ、なんか俳句みたいになっちゃった」
「おい、待て」
「ごめん、先に帰るね。またいつか会おうね」
「だから待てって!」
笑顔の限界を感じて身を反転した時、高杉君に肩を思いきり引きとどめられた。
衝撃で眼尻に浮かんでいた涙が一粒零れ落ちる。私は慌ててそれを拭ってから振り返った。
「あの、もう、ごめんなさい。これ以上はきついっていうか……」
「……みょうじ!」
今度こそ本当に驚いた。私は言葉を紡ぎかけたまま、固まる。爽やかすぎる風が吹きぬけ、一瞬の静寂。
高杉君はほんの少し気まずそうに視線を外し、顔を顰めた。
「え、あの、今……」
「俺、返事したつもりだったんだけど」
高杉君は動揺する私を無視してもう一度繰り返す。
「……だ、だからそれって、いつもの返事ってことでしょ」
「違ェ。卒業式の日」
さっぱり話が見えない。私は振り向きかけていた中途半端な体をもう一度ちゃんと彼に向けた。私の肩を引き留めたままだった彼の手は自然と下がることになる。
真っ直ぐと視線を向けた私が続きを促していることを理解したのか、高杉君は小さく舌打ちを漏らすと蚊の鳴くような声で付け足した。
「……第二ボタン、渡しただろーが」
彼の言葉は低かったけれど、恐怖を感じることはなかった。どちらかと言うと普段よりも柔らかくさえ感じた。
私はしばらく立ち尽くし、卒業式の日のことを回想する。漸く電池が入ったかのように全てが動き出し、私は彼に詰め寄った。
「……えっ、何、それ。……だって、え?!」
「落ち着け」
「嘘だよ!だって、高杉君何も……」
うろたえる私に、高杉君は少し苛立ったように溜息を吐きだす。
「だから、てめェが『私でいいの』っつったから、頷いただろーが……」
高杉君は答えてからもう一度舌打った。私は視線を外したままの彼を見上げたまま、必死に脳みそを動かした。そうして、やっと記憶が繋がった。確かに私はそう問いかけた。そして彼も確かに――
「わっ、分かんないよ!それじゃあ……!」
理解した途端に、感情が一気に高ぶった。高杉君は眉を寄せて「分かれよ」と呟く。分かるわけないじゃん!はっきり言ってくれなくちゃ。
高杉君が言葉を切ったせいで、沈黙が再び流れだす。けれど先ほどの様な気まずいものではない。心の奥が熱い。動悸がどんどん早まっていくのを感じる。
「じゃ、あ、私たち、付き合ってるの?」
「……世間一般で言やァ、そうなんな」
高杉君のなんとも気の抜けた答えに私は脱力。視線を外したままの彼をこちらへと向けるために、思わず彼の両腕を掴んだ。驚いたように目を見開いた彼と視線がぶつかる。
「じゃ、じゃあ、高杉君は私の、かかかか彼氏?」
「……不本意ながらそうなるな」
「じゃあっ、じゃあ!私は高杉君の、かの……」
じわりと熱いものがこみあげて、言葉を紡げなくなった。私の意志とは関係無しにぼろぼろと大粒の涙があふれ、目の前が霞む。
「……だからなんで泣くんだよ」
呆れたように、高杉君が呟く。私は何も言えず、涙をぬぐうこともできず、立ちつくしたままひたすら涙をこぼす。
そんな私を見かねたのか、高杉君が私の手を優しく振りほどくと、その袖でごしごしと目元を擦ってきた。酷く乱暴で、荒々しくて、痛い。
でも、それってこれが夢じゃないということだ。
確かなぬくもりと痛み。鼻を掠めた高杉君の香りに、また涙が溢れる。何これ。こんな幸せってあるんだ。
私がもらっちゃっていいの?
「……じゃあ、関係なくないね」
嗚咽を漏らして呟けば、高杉君の腕が一瞬止まった。けれど、すぐ何でもなかった風に動きだす。
「……そうだな」
「浮気じゃ、ないよ」
「知ってる」
「ごめんね、高杉君」
「もういいっつーの」
高杉君が私の涙を拭くのをやめて、私の頭を軽く撫でた。誰、この優しい人。高杉君?本当に?
「この春休み一人で悩んでたの、馬鹿みたいじゃん……」
「馬鹿だな」
「だって高杉君が、すっ、好きとか言ってくれないから……」
私の頭を撫でていた高杉君の手が止まった。何事かと顔を上げると彼はなんとも言えない微妙な表情をしていた。
「正直認めたくなかったつーか」
「えっ!」
「最初はこんな変態、絶対あり得ねェと思ってたし……」
「ええええ」
ショック。高杉君の包み隠さずな発言に、理解していたとはいえやっぱり凹んだ。悲しくて項垂れると、高杉君が頭を撫でる力を強めた。髪の毛を掻きまわすように撫ぜるから、頭がぐしゃぐしゃになる。
「でも気付いたら……こうなってた」
「そこもっと詳しくお願いします!」
「……」
高杉君は私から手を離すと、逃げるように手すりに向かう。私はそれを慌てて追いかけて、彼の横に並んだ。先ほどよりも、距離は近い。
「高杉君、教えて」
急かすように言った私の心臓は、今までにないくらいの速さだと思う。彼は手すりに肘をつくと遠くを眺め、小さなため息零した。
「いるとうぜーけど、いねェと何か物足りねェ……っていうか」
それはすごく小さな呟きだったけれど、確かに聞こえた。
今日何度目かの風が吹き、私たちを吹き抜ける。目の奥がつんとして、私は彼に気づかれないように鼻をすすった。
「高杉君、顔赤い……」
「……夕日」
「もう沈んでるよ」
自分の顔を隠すように項垂れた高杉君。髪が揺れて現れた彼の耳は、やっぱり赤かった。
そんな高杉君を見ていると、沢山の感情が溢れだした。切ないような、嬉しいような、苦しいような、形容し難い感情。そのまま愛おしさでいっぱいになって、私は胸が満たされる。
諦めないでよかった。頑張って良かった。自分をここまで支えてくれた皆のことを思い出して、涙腺が再び緩むのを感じた。
大好き。大好き。高杉君が、大好き。
自分の中には到底おさまり切らないこの想いを、大切にして来て本当によかった。
「高杉君。抱きついていいですか」
無性にそうしたくて、私は思いを口にした。
感極まったせいで、思わず涙声になってしまった。せっかく高杉君が拭ってくれたのに、目元にはもう涙が浮かんでいた。
「……鼻水はつけんなよ」
高杉君が振り返り、にやりと笑った。微かに上がった口角と、細められた右目。私が好きになった、あの時の笑顔だ。
つられて笑いを零した私は、思い切り彼に向かって飛びこんだ。
だって、好きだから!
きっと、これからも、ずっと。
End
090923
→
←