キッカケ


「財前、なんでピアスそんな色選んだん?」

改めて謙也さんにそう言われて、俺は初めてピアスを開けた時のことを思い出していた。



「それ、俺にもやってくれや」

俺がよく行く店で働いている女の耳元で揺れるたくさんの輪っかを指して言うと、店員にあるまじき不愉快そうな表情で彼女は口を開いた。

「……あのねぇ。私、キミよりずっと年上なんだけど。その口の利き方どうにかならないの?」
「俺の名前"キミ"ちゃうし」
「そういうとこ、子供っぽい」

面と向かって子供だと言われたことに腹がたったけど、自分でも今のはガキくさかったな、と思ったから聞かないふりをしてやった。

「せやからそれ、俺にもやってくれへん?」
「それって…あぁ、ピアス?だめだめ、キミにはまだ早いよ」
「そんなん勝手に決めんなや。あと俺の名前、光やし」
「ふふ。光くんにはまだ早いよ。せめて敬語が使えるようになってからね」

完全に子供扱いされたことがおもんなくて、次に会った時に耳たぶを見せてやったら、笑えるくらい驚いた表情をしたから、俺はそれに満足した。

「…それ、どうしたの?」
「安全ピンで開けた」

そう言うと、彼女は溜息を吐いて呆れた顔になった。

「あのねぇ…」

そう言ったかと思うと彼女はピアスの正しい開け方を一から説明し始めた。
時々よく分からん用語が出てきて聞くのが面倒くさくなってきた。

「だからね、」
「ほんなら次はみょうじさんがやって下さいよ」

俺が初めて敬語を使ったことになのか、俺の発言になのかは分からんけど、また彼女は驚いた顔をしている。
正直、もう自分では開ける気にならんかった。なかなか貫通しないまま痛みだけが増して耳たぶが熱くなっていくあの感覚をもう味わいたくない。
それでも意地で安全ピンを持った手に力を込めたら何とか穴が開いたけど、ピアスに付け替えるのにも苦労した。そこはパンパンに腫れて、今もまだ赤く、熱を持ったままだ。

「敬語、使えるようになったら、って言いませんでした?」

まだ何も言わない彼女にそう言い加えると、この前自分の言った言葉を思い出したのか、もう一度溜息を吐いた。

「分かったわよ…」
「じゃあ今度の日曜日、お願いしますわ。連絡するんでアドレス教えてくれます?」

携帯を取り出して見せると、渋々彼女もポケットから携帯を取り出して連絡先を交換してくれた。



「ねぇ、本当にやるの?」
「なんべん言うんすか?はよやって下さいよ」

彼女の部屋の机の上に用意されている見慣れない道具を前に、彼女は何度も俺に同じことを繰り返した。
消毒液の臭いが鼻を刺激する。
じゃあやるよ、という声がしたと思ったら、耳たぶを消毒液のついたコットンで拭かれて、彼女は買ったばかりのサインペンを手に持った。
それが顔の横を通り過ぎて行き、耳たぶに触れた。

「この位置でいい?」

鏡を手渡され見てみると、黒い点が耳たぶについていた。
頷いて返事をすると、彼女は注射針を大きくしたような針を手に持って、その鋭く尖った先端に何かを塗っていた。
安全ピンなんかよりも遥かに太い。

「…それ、刺すんすか?」
「怖いなら、やめようか?」

口角を上げてそう言う彼女に心の中を見抜かれた気がして、居心地が悪くなった。

「…別にこわないっすわ。はよして下さい」
「はいはい。じゃあいくよ」

息を詰めて部屋に流れる音楽に意識を逸らした。うるさいくらいの音楽が今はありがたい。
すると耳たぶにちくりとした軽い痛みを感じるとすぐに、あと付け替えるだけだからね、という声がした。
俺が安全ピンで開けた時とは比べものにならんくらいあっけなく終わって、拍子抜けしてしまった。
ほんまにやったんか、と疑いつつ鏡を覗くと確かにそこにはちょこんと小さなピアスがついていた。

「…輪っかがよかったんすけど」
「リングは重いから治りが悪いの」

彼女に言われた通り、自分でつけた輪っかのピアスと彼女にやってもらったピアスの穴の治りの早さは全く違った。
それから毎回、ピアスは彼女に開けてもらった。
三つ、四つと耳を飾るピアスが増えていき、五つ目のピアスを開けたあの日、彼女の口数はやけに少なかった。

「なんや今日、静かやないですか?」
「え…あぁ、うん。もうこれで最後かなーって」
「何言うとるんすか。まだ増やしますよ」
「…うん、そう、だね。ねぇ光くん、これあげる」

小さな袋を手渡され、封を開けて逆さまにすると手の平に五つのピアスが転がった。

「なんすか、これ?」
「プレゼント。」
「オリンピックカラーって…みょうじさん、趣味悪。ださいっすわ」
「文句言うなら返して」
「まぁ、貰っといたりますけど」

そして、俺の耳に六つ目のピアスが増えることはなかった。
彼女は突然いなくなった。
メールをしても返ってこず、みょうじさんのいるはずの店に顔を出したらやめたと言う話を聞かされた。
別に悲しいとか、さみしいとかは思わなかった。
なのに、開けた時は痛くなかったピアスの穴が急に痛む気がした。

今思えば、年上のみょうじさんに近付きたくてピアスを開け始めたのは明らかなのに、その頃は分からなかった。本当は分かってたのに、認めたら負けな気がして。

俺は今でも彼女にいつかまた会えることを期待してるのかもしれん。
これをつけといたら、すぐに俺だって分かってもらえるように。
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