スパイラル


普通の幸せがほしい。
ただ隣に好きな人がいてくれて、手を繋いだり、たまに触れ合ったり。
休みの日にはデートして、街を歩いて、疲れたらそのへんのカフェでお茶したり。
なんでそういう普通のカップルが当たり前にすることが私たちはできないんだろう。

答えは簡単だ。
私たちが普通のカップルじゃないから。
今頃柳は本当の彼女とそういう平凡な幸せな時間を過ごしているんだろう。
私はというと、ただベッドに寝転がって、予定もないのに化粧だけはばっちり済ませて窓の外の青い空を恨めしい気持ちで眺めてるだけだ。


そんな関係でもいいと柳に言ったのは私だった。
こんなことを言っても柳を困らせるだけだと分かっていたけど言わずにはいられなくて、言葉に出してみたら案外あっさりと受け入れてくれた。

もし、私の友達が誰かとそういう関係になっていたら、そんなしょうもない浮気男のどこがいいの、なんて言ってやめるように説得していただろう。
実際に柳がわかった、と返事をしてくれた時も、あぁ、そういうことができる男なんだな、なんて思ってしまった。
でもそれで幻滅することはなかった。
素直に嬉しいとその時は思ってしまったのだ。
今考えればその時に嫌いになれたらすごく楽だったと思う。
彼女とデートしてるはずの柳から掛かってくるはずもない電話を待つ日々は、胸の中に想いを閉じ込めていた時よりも遥かにつらい。
それでも、突然デートが中止になったとか、彼女に予定があるとか、そういう展開を望んで、いつ呼び出されてもいいように準備して待っている自分がひどく滑稽だった。



「随分と早いんだな」

電話が鳴った瞬間、私はベッドでうとうとしていて、ついに電話が掛かってくる夢まで見るようになったのか、なんてぼんやりとした頭で考えてしまった。
だんだんと意識がはっきりしてきて、それが現実のものだと分かると携帯に飛びついて、電話の向こうの柳が告げた場所まで慌ててやって来た。

「……何かあったの?」

そう聞いたのは呼び出された理由を聞きたかったからではない。
明らかに柳の様子がおかしかったからだ。
いつも凛としている柳が背中を丸めてうなだれて座っている姿に、一瞬、それが柳だと気付かなかったくらいだ。

「……我ながら情けない姿だな」
「…彼女となんかあったの」
「振られたよ。他に好きな男が出来たらしい」
「うそ、でしょ…なんで、」

嘘だ。そんなの信じられない。
心の中で望んでやまなかったふたりの別れが現実になった。
それは私にとっては嬉しいことのはずなのに、自分が予想していた喜びという感情は出てこなくて、ただただ信じられなかった。
私が喉から手が出るくらい欲しかった幸せを黙っていても享受できたのにそれを自ら手放す人間がいるなんて。
なんで。どうして。そればっかりが頭の中を駆け巡った。

「…何故みょうじが泣くんだ?」

そう言われて柳に目をやると、少し驚いたような顔をして私を見ていた。
泣く?私が?
頬にぬるい滴が伝うのに気が付いて初めて柳の言った言葉の意味が分かった。

あぁ、本当だ。私泣いてる。
柳と彼女が別れたことが悲しいわけじゃない。
私じゃ柳にそんな顔をさせられないことを思い知ってしまったのだ。

「ねぇ、柳。なんで私を呼んだりしたの。私じゃ慰めにはならないんでしょ?」

自分でも分かってるのに、そう口に出したら余計に涙が溢れてきた。
どんな言葉を掛けても、私は離れたりしないよ、なんて言っても柳の心は変わらないのに、どうして私に助けを求めるの。どうして私に縋るの。
私を受け入れてくれたのも、どうせ当てつけじゃない。心変わりをしはじめた彼女に対しての。鋭い柳がそれに気付かないわけないんだから。

「では帰るか?」

嘘でもいいから。そんなことないって言ってよ。
嘘だって分かりきってても、お前に傍にいてほしいとか言ってくれたなら。
本当にみじめだ。来なきゃよかった。
そう思ってるのに。

「……帰らない。柳をひとりでほっとけないよ」

どうしてこんな言葉を吐いているんだろう。
自分のことなのに、まるで分からない。
力なく微笑んだ柳が私の手にそっと指を絡めてきた。
その手を振り払う方法を私は知らない。


私の欲しがっている普通の幸せはどうやったら手に入るんだろう。
自ら底なし沼に足を突っ込んでおいて、抜け出そうともがいている自分がずぶずぶと引き込まれていく様が頭に浮かんだ。

そこから這い上がることはできないということだけを、私は知っている。
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