つける薬はない


「あー…寒い。」
「暑いよりマシじゃろ」

そんなふうに言って仁王は眉を片方だけ上げる。
鈍いというか、なんというか。
女の子の発言の真意を読み取ってほしい。
そういう時はさ、黙って手を握ってくれたっていいんじゃない?って思うんだけど、仁王の手は相変わらず制服のズボンのポケットに収納されたままだ。
それもそうだよね、私たち付き合ってるわけじゃないし。


私と仁王の距離感はすごく微妙だ。
付き合ってないけどいつも一緒にいて、友達なんだけど仁王といると私は女であることを意識してしまう。
男友達とふたりで話してたりすると仁王は、さっき何話しとったん?なんて分かりやすい嫉妬をするもんだからなんとなく意識しはじめてしまって、好きになるまで時間はそう掛からなかった。

でも仁王は好きだとは決して言わない。
この関係が壊れるのが嫌で言えないとかではなくて、多分私から言わせたいんだと思う。なんせ捻くれ者だし。
でもさ。私だって言ってほしいなーって思ってるわけで。
だから私たちはずっと微妙な距離を保ち続けている。

こうやって朝練をサボった日に家まで迎えに来ることはしてくれても肝心なことは何も言ってくれないのだ。
もしかしたら通り道だからついでに家に来てくれるだけかもしれないけど。
なんとなく分かってても、ハッキリ言ってくれないと私からアクションを起こすことなんてできない。
それこそ私の勘違いだったとしたら恥ずかしすぎる。
捻くれているわけではなく私は臆病なのだ。



2時限目をサボっていた仁王が私の姿を見るなり寄ってきて眉間に皺を作って私を睨んでいる。

「…な、何」
「それ、どうしたん」

仁王がそれと顎で指したのは、私の身を包んでいる芥子色のジャージのことだろう。
この立海という学校にいれば誰が見ても分かるこれはテニス部のもので仁王も同じものを持っているはずだ。

「どうしたって…丸井が貸してくれたんだけど」

仁王がいない間も寒い寒いと言い続けてたら丸井が「あーもううるせぇ。これ着とけよ」と言いつつ貸してくれた。
断る理由もないし、カーディガンを着てくるのを忘れて本当に寒かったから有り難く借りておいた。

「なして俺に貸してって言わんの?」

むっとしたようにそう言われたって私だって面白くない。

「…朝、寒いって言ったもん」
「そん時貸してって言っとったら俺が先に貸しとったよ」
「丸井は貸してって言わなくても貸してくれたし。どっかの誰かさんと違って」

その言葉に仁王は黙り込んでしまった。
別にそのことを責めるつもりはないのにいちいち突っ掛かれると言い返したくなってしまう。
つまらないやきもちだけはいっちょ前に焼くんですねー、なんて心の中で毒づいてみる。

「……あのさぁ」

いつの間にか丸井が私たちの立っている場所の隣の席に座って口を挟んできた。
同じタイミングで私と仁王が目を向けるとため息を吐きながら頬杖をついて私たちを見上げる。

「俺からしたらお前らどっちもどっちだぜ。果てしなくうぜぇ。もう返せよ、それ。んで仁王に借りればいいだろい」

手の平を出されてしぶしぶジャージを脱いで返すと、篭っていた熱が一気に逃げていって体がぶるっと震えた。
寒い。さっきより寒い。
かと言って素直に仁王に貸してなんて言いたくない。
何もなければ簡単に言える言葉もこうなってしまうと私にだって意地があった。
少しでも寒さを凌ぎたくて体を小さくしたいけどそれも癪で背筋を伸ばして自分の席へと足を向けた。

「あれ?なんだよ、仁王に借りねぇの?」
「……別に、いらない」

我ながら可愛くない言い方だな、と思うけどもう遅い。
ささくれ立った気持ちからは可愛い言葉なんか出てこないものなのだ。

そのまま席について次の教科を確認して机から教科書を取り出す。
引きずるような足音がして私の後ろで止まったけど振り向いてなんてやらない。
今さらなんなんだろう。
もしかして謝りにでも来たんだろうか。
別に仁王が悪いわけでも、まして私が悪いわけでもないのに。
ただ仁王はやきもちを焼いて、私はやきもちを焼くくせに大事なことを言わない仁王が面白くないだけ。
お互い意地を張ってるだけなのだ。

そんなことを考えていると体に衝撃が走って、制服の袖が目の前で交差するのが見えた。

「ちょっ、重、」

頬を銀色の髪がくすぐる。
少しだけ右に顔を向けるとすぐそこに仁王の頭があって、自分が今、仁王に後ろから抱きしめられているんだと気がつく。

「ちょっと!こんなとこで何してんの、馬鹿じゃないの、」
「なぁ。あれ、わざと?」
「は、何言ってんの。恥ずかしいからやめてよ」
「こうしとったら寒くないじゃろ。ブンちゃんのジャージ着とったなまえが悪い」
「もう、離れてよ!どっちが悪いとかじゃないじゃん」
「なまえが悪い」

恥ずかしいわ、重いわ、わけ分かんないわで頭の中が煩い。
教室中の視線が集まってるのを感じて余計に恥ずかしくなってくる。
体を捻って離れようとしてもますます腕の力が強くなるだけだ。

「ちょっと、本当にいい加減に、」
「好きって言わんなまえが悪い」

あまりにもはっきりと言うもんだから、時が止まったみたいになってしまった。

もう、なにそれ。
そんなこと言われたら、私が言うべきことなんてひとつしかない。
ほとんど言ってるようなものなのに、それでも私から言わせたいの。
こんな状況で言わせる仁王って、本当に捻くれてる。

でも、今を逃したらチャンスは永遠にこないような気がして。
これってさ、惚れたほうが負けってやつなのかな。

「…言ったら離れてくれるの?」
「ん。」

あぁ、もう。分かったよ。私の負けだよ。

大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。
こういうのは答えが分かってても緊張するものらしい。
仁王だけじゃなく、教室にいる全員が私の言葉を待っていた。

「……その……、すき……だよ。仁王が、好き」

さっきまで寒かったはずなのに、仁王の体から伝わる熱と恥ずかしさで汗が出そうなくらい熱い。茹で上がりそうだ。
肝心なところは尻すぼみになってしまったけど、すぐそばにいる仁王には聞こえたはずだ。
それでも仁王は私を解放してくれない。

「……ちゃんと言ったんだから離してよ」
「あんなこと言われたら離れられんぜよ」

そう言った仁王はさらに私を強く抱きしめてきた。

囃し立てるクラスメイトたちの中から丸井のマジであいつらうぜぇ、馬鹿だろい。という声がやけにはっきりと聞こえてきた。


あぁ。もう誰かどうにかして。
もうすぐ授業が始まるというのに離れようとしない仁王を。

そしてこの状況で浮かれてる私のことも。
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