どこかへ連れてって


外は雲ひとつない清々しい陽気なのに私たちはどこかに出掛けるわけでもなく家でごろごろしてばかりだ。
これからどこかへ行こうかなんていう予定もない。
いや違う。
本当はあるはずなのにブン太は忘れているのか、覚えてないふりなのか、とにかくそれを話題に出そうとしないのだ。
どこかへ行く約束なんてもうずっと前にしているはずだった。
それを今日は疲れてるだの気分が乗らないだの言って休みの度に次の休みにしようぜと持ち越されていた。

ねぇ、そのブン太の言う次の休みって一体いつくるの。

何回そう言ってきただろう。
今日だっていつもみたいに言ってやりたかったけど、私はその言葉をどうにかして飲み込んだ。
一度言い始めてしまうと、この前もそうだったじゃない、なんてブン太を責めてしまって一日中険悪な雰囲気で過ごすしかなくなってしまい、夜になってようやく仲直りするということが目に見えてたからだ。

これが俗にいう倦怠期ってやつなんだろうか。
ブン太が私のアパートに転がりこんできて随分と経つからこういう反応はしょうがないのかもしれない。
それでもまだ結婚してるわけでもないのに、ここ最近の一番の遠出が近所のスーパーだなんて悲しすぎる。

「今日もどこも行かないの?」

なるべくトゲのある言い方にならないようにソファで寝転んで漫画を読んでいるブン太に声を掛けると、んー。という気の抜けた声が返ってくる。
その返事に、急激に気持ちがしぼんでいくのに気が付いて、まだ私は期待をしてたんだな、と虚しい気持ちになった。
もう諦めてるつもりなのに。結局それは"つもり"でしかない。

欠伸をしながらパタン、と音を立てて漫画を閉じたブン太がコーヒー入れてくんない、とか言うからぶん殴ってやりたくなる。
本当に手を出してしまう前に無言でキッチンに逃げ込んでやかんを火にかけながら頭を冷やすことにした。
マグカップに、特にこだわりもなく買ったインスタントコーヒーとお湯を注いでテーブルの上に置くと、一口飲んだブン太は、やっぱりなまえがいれてくれるとうまいんだよなぁ、と言った。

美味しいはずないじゃん、そんな安物。
私の苛立ちを感じ取ったのか、ご機嫌を取ろうとしてるのがみえみえで余計に腹が立つ。
そのまま黙ってソファに座ってたら私の膝の上に勝手に頭を載せてきた。

「じゃあ…出掛ける?なまえはどこ行きてーの?」
「どこって……別にどこでもいいけど。どっか行きたい」
「どこでもいいって…行きたいとこあるから言ってたんじゃねーの?」

行きたい明確な場所なんてない。
ただどこでもいいからふたりで出掛けたいだけ。
家でぐだぐだしてるよりは街中で手を繋いで歩いたりしたい。
目的はどこかへ行くことじゃなくて、その過程なのだ。

「ブン太は行きたいとこないの?この前新しい靴が欲しいとか言ってたじゃん。駅前で買い物とか」
「あー。欲しいとは思うんだけど、買い物行って選んだり試着したりすんの考えるとめんどくせぇんだよなー。流行りなんてすぐに終わっちまうしさ。今のやつまだ履けるし」
「じゃあ…映画観に行ったりとか」
「そんなんすぐレンタルできるようになんだろい。金がもったいねぇって」
「そりゃそうだけど。だったら、そうだなぁ…んー…」

考えても、もう何も思いつかなかった。
付き合い始めの頃はどこでデートしてたんだっけ。何をしていたんだっけ。
それすらもう忘れてしまったみたいだ。
うんうん唸りながら思い出そうと首を捻ってたらブン太はでっかい溜息をついた。

「別にさー、行きたいとこねぇなら無理して出掛けなくてもいいんじゃねーの」

少しずつ膨らみ始めていた期待がまた小さくしぼんでいく。
虚しさはさっきの比じゃないくらい大きかった。

「……なら、もういい。」

どうせこうなるなら最初から言わなきゃよかった。
ただぼんやりとしたまま何もしないで一日を終わらせればよかった。
こういう気持ちになりたくなかったのに。
立ち上がろうと、ブン太にどいて。と言うと、仰向けに寝ていたブン太は体を捻って、私の体に腕を回してお腹に顔を埋めた。

「俺はさ、なまえとこうやってごろごろしてんの好きだぜ。いつでもくっつけるし。なんつーか、こういうので幸せ感じたりすんだけど」

表情はだいぶ隠れているけど、その口元は確かに微笑んでいる。

出掛けるのがめんどくさくて丸め込まれた気もするけど、ブン太のその言葉と行動に気持ちがほどけていって、もうなんでもよくなってしまう。
こんなので浮かれてしまうんだから私も結構単純で。

「コーヒー、おかわりいる?次はもっと美味しいのいれてあげる」
「んー…まだいい。もうちょっとこうしてたい」

そうだ。
付き合い始めの頃は、ブン太が隣にいればどこだって、何だってよかったんだった。
小さな幸せに慣れすぎてしまっていたのは私だったのかもしれない。

「夕飯は何食べたい?」
「んーと……オムライス。」
「ん、分かった。じゃあ後でスーパー行こ?」

近くのスーパーも、このアパートも、私たちにとってはデートスポット。
それでいいや。
寝息を立てはじめたブン太の赤い髪を撫でながら、そう思った。
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