モナドは窓を持たない


realizeの続編。
そちらを先に読むことをおすすめします。




仁王はさ、目を閉じてあの子だって思ったらいいよ。私が仁王を見てるから。

そう言われてみょうじにキスされてからしばらくが経った。
相変わらずみょうじは俺のそばにいるが、何を要求するでもないし、キスもあの時の一度だけ。
むしろ変わったのは俺のほうで。
そんな気があるかどうかも分からんのに、気が付けばみょうじに手を伸ばしてしまいそうで、そんな自分に戸惑いすら感じていた。
あぁ、もう一体何がしたいんじゃろ、俺は。
性欲を発散するためだけに女に触れるんは簡単なのに、性欲でもなくただ触れたいとか意味分からんし。
付き合っとった女なんてみんな、手に入れられん女の身代わりのはず。
こんなもやもやした苛立ちを感じるために付き合っとるわけじゃないのに。

「あ、やっぱいた」

その声にハッとして顔を上げると、みょうじがあの時と同じように俺のところまで来ていて、隣に腰をおろして俺の顔を見るなり少し笑って、今日は機嫌が悪そうだね、と言った。
誰のせいじゃ。と心の中で呟いて、 目を反らす。
ただでさえ居心地が悪いのに、目を合わせてたら全部見透かされそうで、最近は顔も見ないようになっていた。

「そんなイライラしてる仁王にいいお知らせがあるよ」
「……なん。」
「あのね、柳生くんと彼女、別れたんだって」

意外すぎるその内容に、俺は思わずみょうじの顔を見つめてしまった。
こいつは何を言っとるんじゃ。あのふたりが別れた?そんなつまらん嘘。
そこまで考えて、今日の朝練で珍しく柳生がミスばっかしてたのを思い出す。
そこに結びつくかは分からんけど、みょうじだってすぐバレる嘘を吐いたところでメリットなんかない。

「ほんま…、なんか。」

やっとのことでそれだけ言葉にすると、みょうじは私は嘘吐かないよ、と言って 微笑んだ。

「だからさ、仁王はあの子のとこ行ってきなよ。今すっごいチャンスじゃん。」

普通の調子でそう言うみょうじは、悲しそうというより、むしろ喜んでるように見えた。
俺にとっても罪悪感なく切り捨てられて、そのほうが都合がいいはずなのに。
あぁ、ほんまに何なんじゃこの感じ。苛々する。
さっきまでのもやもやが一気にでかくなって押し寄せてきて、俺を飲み込んでいく。

「……みょうじはそれでいいんか。」

とっさに口をついて出た言葉はそんな馬鹿みたいなもので。
ほんまにどうかしてるとしか思えん。
みょうじがそうしろと言うなら黙って立ち去ればいいものを。一体俺はみょうじに何て言って欲しいんじゃ。
望んでたものが手に入るかもしれん時に。
一瞬だけ驚いた表情になったみょうじはすぐにまた笑顔を作った。

「ふふ、仁王って結構優しいよね。でも私なら大丈夫だから。本当はもうちょっと長く一緒にいられるかなーなんて思ってたんだけど。もしこういうことになったらちゃんと別れてあげようって、最初から思ってたし」
「…随分と上から物を言うんじゃな」
「あはは、そうだね。偉そうに仁王にこんなこと言えるなんていい女になった気分かも。」
「……みょうじ、お前は、」
「あのさ、仁王。こんなとこで私と話してる暇があるんだったらあの子のとこ行きなよ。同情とかだったらやめてね。本当に平気だから」

はっきりとそう言ったみょうじは本当にいつも通りで、それが平気なふりをしてるだけなのか、俺には分からんかった。
多分こいつが最初から思ってた、って言ったんは嘘なんかじゃなくて。
どんな気持ちでこいつは俺のそばにいたんだろう。
今こいつが望んどるんも、俺がここからいなくなることかもしれんけど、もう知らないふりはできなくなってて。
気付いたら俺はみょうじに手を伸ばして抱きしめとった。
こんなことして何になるかも分からんのに。

「…ねぇ…何血迷ってるの、仁王」
「…俺にも分からん。なぁ、みょうじ。もっかいキスして」
「…何それ。意味、分かんないよ」
「お前さん嘘吐かんって言うたじゃろ。…もっかいしたら、嘘かどうか分かるかもしれん」
「そんなこと知って…どうするの、」

こいつに平気な顔させてたんは多分俺自身。
今さら好きになったとか言うんは都合良すぎるかもしれんけど。
頬に手を添えて真っ直ぐに見つめたらみょうじの瞳が揺れて、さっきまでの威勢の良さはすっかり消え去っていた。
みょうじは意外と分かりやすい人間なのかもしれん。俺がちゃんと見てなかっただけで。

「今度は俺が見とるから。目、閉じんしゃい」


ゆっくりと伏せられていく睫毛の先を見つめながら、俺は初めての感情が心の底から湧き上がってくるのを感じていた。
back
- ナノ -