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「名前」
「はい」
授業中、人気の少ない職員室で名前を呼ぶ。俺が目薬を差しているところに寄ってきた名前が、椅子のそばに片膝をつけた。そのまま彼の頭に手のひらを置く。
「お疲れですか?」
「まぁ、そんなところだな」
そのまま頭を撫でると、名前は尻尾をゆらゆらと動かしながら目を細める。猫かよ。いや、猫か。俺の視線をどう汲み取ったのか、「にゃあ」とわざとらしくひと鳴きされる。こいつ。机の引き出しから取り出したものをスッと名前に見せれば、彼は耳をぴんと立たせて目を見開く。
「そ、それは…!」
「猫じゃらしだ」
「なんでそんなのが机の引き出しから出てくるんですか!」
「買っておいた」
「なぜ、非合理的すぎる」
「そうでもないだろ」
猫じゃらしを目の前で見せびらかすように左右に揺らすと、名前の視線もそれに合わせて左右する。猫の個性を持つ名前は、猫の本能にはなかなか逆らえない。
「お前も楽しいし、俺も癒される」
「ぐ、ぐぬぬ」
「ほれ」
猫じゃらしを持つ手の動きを少し大げさなものにすれば、名前はとうとう耐えきれなくなったのか、猫じゃらしの先に付いているふわふわした部分を手のひらでたしたしと触っている。かわいい。
「イレイザー、お前の引き出しどうなってんだ」
「あ?」
隣の席のマイクが、引き出しの中を覗いてる。こいつ、勝手に。そこからネズミのおもちゃや、毛糸玉、釣竿の先に魚の飾りが付いたおもちゃ等が出てくる。
「いつどこに猫がいるか分からねえだろ、野良猫とか」
「ほんとそんなナリして意外だよな」
マイクと話していると、猫じゃらしを動かしていた手を掴まれる。なんだと名前の方に視線を向ければ、名前は「もういいです、事務室に書類出しに行ってきます」と自分の席に戻り、そしてそのま書類片手に職員室を出て行った。
「……お前さァ」
「つい可愛くてな」
∵
「名前、帰らないのか?」
「帰るなら、お先にどうぞ」
「怒ってるのか」
「全くもって怒ってませんが」
「怒ってんだろ」
「いいえ」
「怒ってる」
「いいえ」
「名前」
「……分かりましたよ!はい怒ってます!怒ってました!」
俺が譲らなさそうな気配を察知したのか、諦めたように頷く名前。
「なんで怒ってたか、教えてくれるか」
「………いやです」
「名前」
「……消太さんが、猫のおもちゃ持ってたから」
「持ってたから?」
「そうじゃなくて!だから、あの、他の猫と遊ぶためとか、言うから」
「つまり、なんだ」
「……妬きました、悪いですか」
「いいや」
名前が怒っていた理由は、俺が他の猫と遊ぼうとしていたことらしい。俺にとってはあんなものは建前でしかなくて、本当は隙あらば名前を構い倒したかったりするんだが。そうするとお前は「俺は猫じゃないんですよ」と言うから、抑えてたっつーのに。
「俺だけじゃだめなんですか」
「……はぁ」
「非合理的だと思った?」
「いや、お前……かわいすぎないか」
名前の顎の下を撫でると、やや不服そうな顔のまま目を細めながらノドをごろごろと鳴らした。
20211108 猫じゃらしと建前