25
〈名前ー?〉
「うん、どうしたの珍しい」
〈及川がさ〉
その日の夜。珍しく松川から電話が掛かってきた。
〈今日、他校と練習試合やったんだよ〉
「うん」
〈そこで相手チームの奴に理不尽なこと言われたらしくって、ご機嫌ナナメなワケ〉
「あー…分かった、今からそっち行く」
〈えっ〉
「え?そういうことでしょ?」
〈いや、なんでもないよ〉
「及川のこと帰さないでね」
電話を切ってから、ジャケットだけを羽織って家を出た。本日二度目になる学校に到着すると、普段足を運ぶことがほとんどない部室棟へ向かう。まだ灯りのついている男子バレーボール部部室の扉を躊躇なく開けると、見知った友人四人の瞳が一斉に俺を捉えた。
「遅えよ」
「ごめんって、岩泉」
「名前も来たことだし、早く連れて帰って」
「うん」
「俺たちは三人で楽しく飯食いに行くから」
にしし、笑う三人とは対極に、目をパチクリさせて状況について行けてない及川の複雑そうな顔が見えた。忙しい奴だな。
「及川、帰ろう」
なんで名前ちゃんがいるの、と目で訴えてくるがそれを無視して床に置かれた及川のスポーツバッグを自分の肩に掛けて部室を出ると、とりあえず後について来た及川は俺の2歩後ろを歩いている。無言のまま俺の家の前まで来て、扉を開けて及川を見やれば、俺の意図を察したのか素直に玄関へ足を踏み入れた。複雑そうな顔をしたまま、俺の部屋で所定の位置となっているラグの上に座った及川の隣に、俺も腰を降ろす。新鮮な気がするのは、及川が最後にウチに来たのが三週間も前だからだろうか。
「部活でなにがあったの?」
「……相手チームのやつに、陰口みたいなこと言われた」
「うん」
「でも、俺も、試合中すこし考え事しちゃってた」
「それって、俺のこと?」
できるだけ優しく尋ねると、及川は口をつぐんで俺の顔を見た。
「俺も少し考えたんだ、お前の考えてることなにも知らないのに否定するようなこと言ってごめん」
「でも、それはっ、」
「自分が悪いとか言うなよ、及川は俺に甘いんだから」
「…うん」
「だからさ、及川が考えてること、全部俺に教えてよ」
名前ちゃんはずるい。すっごくずるい。そんな風に優しい声で困ったように笑うなんて、ひどい人。冗談じゃなく、もうきっと引き返せないんだろうなと頭の隅で考えながらもどこか自惚れている俺は口を開いた。
「名前ちゃんはずるいね。全部教えてあげるから、ちゃんと聞いて」
「うん」
「俺は名前ちゃんが好きだよ、昔から名前ちゃんだけが好き、大好き、誰よりも好き。ただの幼馴染って意味じゃなくて、恋とか愛の話で」
そうしっかりと目を見て言えば、名前ちゃんの瞳には驚きと動揺、そしてなぜか安堵が映ったように見えた。
「……そう」
「うん、ごめんね、アレだよ、もう前までの関係に戻れなくてもいいから、忘れないで」
「そりゃあ前までの関係には戻れないだろうなぁ」
名前ちゃんの言葉に泣きそうになる。そうだよね、そりゃあね、本当にごめん。言わなきゃよかった、サラッと謝っていつもの関係に戻った方が良かったんだ。
「俺も好きだよ、及川が」
「ごめ、……え」
「考えごとしてたとかふざけんなよコラ」
「ちが、違う、いま、名前ちゃ」
「俺も好きだよ、そういう意味で。だから泣くな」
俺の目尻に親指を沿えた名前ちゃんは、また困った顔で笑った。
「名前ちゃん、名前ちゃんが好き、触れたい、触れて欲しい、ずっとずっと好き」
「うん、うん、俺もだよ」
正面から名前ちゃんに抱きしめられる。名前ちゃんからなんて、初めてで、恐る恐る背中に腕を回して肩口に顔を埋めた。
「…さっきは嫌いって言ってごめんね、全部嘘だよ」
「それは良かった、実は少し傷付いたから」
「ごめんね、もう冗談でも言わない」
「…あ、そうだ」
俺の肩を掴んで、ぐいっと引き離した名前ちゃんは深刻そうな顔で見つめてくる。珍しい表情、俺だけが知ってる。
「なんで俺のこと避けてたワケ」
「あ、いや、それは…」
「俺を馬鹿呼ばわりするくらいなんだから、深刻な理由があったんでしょうね?」
こ、これはまさか根に持っていらっしゃる。名前ちゃんの目が急かしてくる。これはきっと言わないと終わらないやつだ。
「……………いた、から」
「あ?」
「名前ちゃんが好きな人がいるって言ってたから!」
「はぁ?」
「…告白、断る時に。だから俺が離れないと、名前ちゃんの好きな人が隣に並べないと思って」
「はは、あはは!お前、変なところで抜けてるよなぁ」
「酷いな!名前ちゃんを一番に考えてたのに!」
「誰かさんのためにスペースを作ったら、その誰かさんは自分だったとか」
「俺は真剣に悩んだのに!笑わないでよ!」
「あはは、ごめんごめん、なんか及川が可愛くてつい」
「もう!」
ひとしきり笑った名前ちゃんは、自分の目尻の涙を拭って(涙が出るほど笑ってたらしい)、口を開いた。
「ああいうのもうやめて、地味に堪えるから」
「うん、ぜったい」
「じゃあ悩み事も解決したし、バレーで余計な考え事せずに本領発揮できるな?」
「もちろん、俄然やる気が出てきた!」
「ん、じゃあ夕飯食べてけ」
「うん」
それからいつも通りに、名前ちゃんママのご飯を食べて帰宅する。自室の畳の匂いに、急に現実に引き戻される感覚を味わった。全部夢だったんじゃないかと思ったけれど、俺の耳に残る名前ちゃんの「好き」の2文字は本物だった。
▽△▽△▽△
「あ、名前」
「おはよう、名前」
「朝練か、おはよう」
朝練終わりにいつものメンバーで教室に戻ろうとしていると、ローファーから上靴に履き替えようとしている名前ちゃんを見つけた。
「おはよ、名前ちゃん」
「うん、おはよう徹」
「んへ?」
いいいいいま名前ちゃん、なに?なんて?とおるって言った?徹、って俺か、徹って名前にしてくれてお母ちゃんお父ちゃんありがとう!?あ、なんかだめ、攻撃力が、
「おい、待て待て」
「聞いてないんですけど、なにがあったワケ」
「俺たちは説明を聞く義務がある」
「え?徹は言ってないの?」
「だってだって、ほんとは夢だったんじゃないかって不安で」
「まぁ、こういうことだよ」
「わっ」
俺の肩を抱き寄せて、3人に向かって親指を立てる名前ちゃん。名前ちゃんの匂いがするけど、俺には分かる。説明が面倒になったな、この人。
「やっとか」
「ぐだぐだ話を聞かされる俺達の身にもなって欲しかったね」
「せいぜい仲良くな」
口々に好きなことを言って自分たちの教室に入っていく三人。
「どうかした?」
「ひっ、ふぁ、はい?」
「なにそれ、気張りすぎでしょ」
「ううう名前ちゃん好きだよ」
「うん、俺も。これからよろしくね、徹」
「よろしくするする…あの、毎回名前呼びは心臓に悪いので、普段は今まで通りでお願いシマス…」
「はは、分かったよ及川」
「普段は、ね」といたずらっ子のように笑った名前ちゃん。なんか絶対良くないことを考えてる。でも、今すごく幸せ、なんでも出来る気がする。なんでもは無理だけど。
そんな幸せを噛み締めながら、俺たちは今日も窓側前後の席につく。
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下
いかがでしたでしょうか、これでひと段落です。短かったかな?という気もしつつ、最初から25話で終わらせるつもりだったので数字的には良かったです。連載中に移転だなんだと、大変お騒がせしました。移転先でまで、小説を読んでいただけてとても嬉しいです!またあの話が読みたいというお声も嬉しかったですし、男主を私が使い勝手がいいという理由で使ってたものぐさ君という呼称で呼んでくれる方がいたのが実は嬉しかったです…!裏話ですが、男主は意識するずっと前から及川を特別な感情で見ています。及川と同じく隣にいた岩泉だけが、それが「好き」という類いの感情だと感じていたので、別段二人の顛末には驚いたりしませんでした。このシリーズはまだ続きますので、もう少しお付き合いくださると幸いです。短いようですが、あとがきとさせていただきます。
さ子