10000hit | ナノ

「あ、」


名前さん、その言葉はこえになることはなくそのまま消えていった。商店街と住宅街の境目で、あまり人通りの多くない通り。見間違えることのない後ろ姿と、見慣れない女の人が隣り合って歩いている。反射的に足を止め、これ以上距離を詰めることのないようにした。二人の姿が小さくなっていく。それでも、二人が別れ際にキスをしたところは、しっかりと見えた。見えてしまった。


・・・


「いーずみ」
「…あ、名前さん」
「どうした、元気ないな」


本部でベンチに座っていると、名前さんに声を掛けられる。心配してくれてるであろう言葉に、貴方のせいです、なんて返せるわけもない。俺の隣に腰を下ろし、俺の顔を覗き込んでくる名前さん。そういえば、後ろ姿と横顔しか見てないけど、名前さんの彼女も美人だったなぁ。そんな余計なことばかりが脳内を支配する。そのくらい俺は、名前さんが好きだ。


「ほんとどうしたの」
「いや、別になにもないです」
「嘘」
「なんでそう思うんすか」


少しムッとして、冷たく切り返してしまう。普段の俺は名前さんに対してこんな態度になったりなんか絶対にない。しかし、そんなことは御構いなしに、名前さんは答える。


「出水が俺の顔見ないから」
「………」
「こっち向いてよ、出水」


声のトーンから、名前さんが笑顔であることが分かった。そのせいで、無意識に視線が名前さんの顔に行ってしまう。名前さんは、「やっと目があった」と口角を上げながら口にする。あぁ、ずるい。ずるい。


「なんでそんな泣きそうな顔してんだよ、本当になにがあった」
「…いや、大丈夫です」
「大丈夫ですって」
「名前さんが、心配してくれたので」
「するに決まってんだろ」


その言葉が胸を締め付けてどうしようもなくなったことを誤魔化すように、隣の名前さんにぎゅうと抱きつけば、日常茶飯事だと特に動揺するでもなく俺の後頭部をぽんぽんと触る。


「ほんとに大丈夫?」
「はい、大丈夫」
「俺はお前に無理に聞いたりしないから、言いたいことだけ言っていいよ」
「…名前さん煙草吸ってきた?」
「言いたいことってそれかよ」
「まぁ」
「はいはい、吸いました」
「あ、そういえば名前さん、彼女いたんすね」


別に話題に出す必要は全くなかったけど、つい口をついて出てしまった。彼女、というワードに名前さんは「あ?んー…、あぁ」というなんとも煮え切らない返答をする。どういう反応すか、それ。


「別れたよ、昨日」
「は!?昨日って、帰りにキスして…」
「そんなとこ目撃されてんの、俺」
「別に盗み見たとかじゃ」
「分かってるよ。その後に“やっぱり名前はあたしのことが本当に好きなわけじゃないのね”とか言って振られた」
「最後のキスみたいな」
「そんな感じ?」
「ていうか名前さんの彼女なんでしょ?好きだったんじゃないの?」
「あたしのことは好きじゃなくていいから付き合って、とか言われたんだよ確か」
「…うわ、両思いで付き合った方が絶対にいいと思うんすけど」
「俺もそう思う」


理解できねえよな、と名前さんはくすくすと肩を震わせて笑う。俺が知る限りの名前さんの恋愛事情は「来るもの拒まず」ってのじゃなくて、最初に名前さんが拒んだことを更に相手に拒まれた時に、これ以上拒むことを諦めてしまうらしい。名前さんの面倒くさがりなところが出てる。それを分かってる上で、俺はいつもの言葉を口にする。


「名前さん、すき」


はやく、絆されて。あわよくば。名前さんの表情は見えないが、俺の頭をくしゃりと撫でられる。遠くで人の声が聞こえ上体を起こすと、名前さんが真顔で俺を見ていた。目を離せずに、黙って見つめ返す。


「俺、元カノよりもお前を大切にしてる」
「へ?」
「だから元気がないとか気付くし、心配してんだぞ。分かってるか?」
「え、あの、分かって…、ます?」
「幸せもんだなぁ、お前」


そうして名前さんはふわりと笑う。拒まれるとこはなく、頷かれもしない。でも名前さんは、ふいに俺にとって甘い蜜みたいな言葉をくれる。今はまだ、その甘さに酔いしれていてもいいのかもしれないと、心のどこかで思っている。


「よし、名前さん模擬戦しましょう!」
「復活した」
「はい!」



150815
10000hit thanks のびひら様
嫉妬よりもしょんぼりしてしまいました…!時系列的には、シリーズ本編の約1年前くらいです。主人公はすでに絆されていたりするので、頷きそうになってたりします。