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(※烏丸→主表現があります)



「………あ、」


人が少ないラウンジのベンチに見覚えのある隊服が見えた。たまに本部に来るのも悪くないと思う。名前さんは腕で目元を覆いながら、ベンチの上に長い脚を組んで仰向けに寝転がっていた。すぐ側にしゃがめば、アルコールの匂いが漂ってきた。あーだの、うーだの、魘されているのは二日酔いのせいだろうか。名前さんってお酒に弱いのかな。


「名前さん」


耳元で名前を呼ぶが、反応はない。周りに誰もいないからいいか、と自分に言い聞かせて、もとい本部に来ることなんて滅多にないんだから少しくらいという気持ちで、今まで触れたことのなかった名前さんの髪の毛に指を通した。そのまま梳くように頭を撫でていれば、彼の眉間のしわも少し薄くなったように感じる。薄っすらと目を開けた名前さんは、朦朧としたまま俺を見た。


「……あー…」
「名前さん?」
「……いずみ、」
「…ん」
「…どうし、!?うわっ!いって!」


名前さんが背もたれのないベンチの向こう側に落ちていく鈍い音と、後ろでペットボトルが落ちる音が同時に響く。それはそれは、漫画のように完璧なタイミングだった。何があったかと言うと、あのまま名前さんが俺の後頭部に手を回してキスをしたわけだ。口を離してコンマ数秒、目の焦点があったのか俺の顔を見て目を見開いたと思ったら、すぐに大きい音を立てて(すごく痛そう)ベンチから落ちた。尻餅をつく名前さんがその次に驚いたのが、俺の背後に立つ出水先輩の姿にだろう。名前さんを起こしに来たらしかった。


「…え、あ!?っちょ、ちょっと待った!出水!!」


踵を返す出水先輩を慌てて追いかける名前さん。その前に「烏丸、ほんとごめん、なにか埋め合わせするから!」と早口に言われたが、正直謝られるようなものじゃないし、寧ろお礼と出水先輩への謝罪が必要な気さえする。迅さんが今日本部に行くのか、と聞いてきた理由が何となく分かった。でも少しくらい、いいんじゃないか。先輩は射手で弟子で恋人なんだから、ポジションも所属も違う俺にもこれくらい。俺だって名前さんが好き、だったんだから。という俺の言葉を、静かに飲み込んだ。


・・・


「よー、浮気男」
「……………………」
「うわ、これは重症だな」


俺の両肩に後ろから腕を置いてくる2人。太刀川と悠一だ。重い、煩い、正直そんなことを言う気力もなかった。今の俺の顔は凄く情けないんだろうとは思う。


「何があったか話してみなよ」
「そうそう、なにか変わるかも」
「なんか、もういいや…」
「焦りすぎて悟り開き出してるし」
「そのいいやって生きる気力がなくなった感じのやつじゃん」
「名前さん死ぬとか言うなよ、流石に」


俺を挟むようにベンチに座ってきた2人が珍しく焦るものだから、今の俺の姿が容易に想像できた。相当酷いらしい。仕方ないから、ぽつりぽつりと昨日あれから何があったかを話した。


「出水!!待てって!」
「はぁ?」
「違くて!あれは烏丸だからとかじゃなくて!」
「俺以外と、キスしないっていった」
「…………は」
「名前さんなんか、嫌い」


やっとこちらを向いた出水は、ひどく悲しそうな、怒っているような、そんな顔をしていた。その言葉に頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じたと思えば、本当に綺麗な流れで右フックをぶちこまれていたわけだ。赤く腫れた頬には湿布が貼られている。生身の出水は実はそんなに力が強いわけではなく、頬が腫れる程度で収まっている。きっとこれが米屋とかだったら酷い。無理、力がない出水かわいい。口に出ていたらしく、2人が「うわぁ」と言ったのが分かった。


「ていうか名前さんって今日非番だろ?出水に会えないのに、なんで」
「……家にいたら煙草吸いたくなる」
「俺、視えてたのに間に合わなくてごめん。京介にフォロー入れろって言っといたから」
「なにをしても無駄かも」
「うわ、ダメだ。今の名前さん凄くめんどくさい」
「昨日、出水が隊室で涙ぐみながら名前さんに嫌いって言っちゃったって言ってたよ」
「よかったね名前さん、諦めるのはまだ早いよ」
「どうかな…」


それから一週間程、頬の腫れが治るまで任務がない限り本部に行かず、大学と家を往復するという華のない毎日を送っていた。最初のうちは出水に連絡をしようとしていたけど、一方通行な電話とメールに俺の心が折れた。大学で会った蒼也に「お前ならすぐに次が見つかる」と頼んでもいないし望んでもいない励まし方をされた。洸太郎には「ツケが回ってきたんだな」と笑われた。ツケってなんだよ。二人ともどこか楽しそうだったのが忘れられない。


「名前じゃないか」
「あ、東さん」
「太刀川から聞いたぞ、飼い猫に引っ掻かれたんだって?」
「飼い猫…まぁそんなとこです」
「誰が飼い猫ですか」
「あぁ、確かにもう出て行っちゃったから飼い猫じゃないな…」
「名前さん、ちょっとお時間よろしいですか」
「…え、出水…?…東さんすいません、失礼します」


隊服の裾を勢いよく下に引かれて仰け反る。後ろを向けば、元飼い猫こと出水が立っていた。笑顔で手を振る東さんに会釈をして、出水に黙ってついていく。どこで足を止めたかというと、太刀川隊の隊室の前だ。中に入り、無情にも扉は閉じられた。ていうかアレ、俺は何にビクビクしてるんだ。あ、別れ話か。


「…名前さん」
「出水、本当にごめん」
「え、ちょっと、土下座しようとするのやめて」
「なんでだ、させろよ」
「いやいやいや」


出水は片膝を床に着いた俺の腕を引っ張って止める。なんでお前が俺より焦ってんだ。


「…京介に聞きました。名前さん、俺と間違えたんでしょ?」
「あー…うん、学ランしか見てなかったし、頭を撫でられてたから」
「俺の名前、呼んでたって」
「……呼んでた、かも」


眉尻を下げた出水が、縋り付くように俺のジャケットを掴んだ。とん、と壁に背中を付た俺を見詰める出水は、若干視線を泳がせている。


「このままだと、名前さんは俺が取っちゃいますよって、京介が」
「烏丸も冗談言うんだな…」
「……あいつが玉狛じゃなくて、まだ本部だったら分かんないけど、今までもこれからも、名前さんの恋人は、俺がいい」
「俺も、出水がいいよ」


悠一の言っていた通り、烏丸はしっかりとフォローを入れてくれたらしい。しかも、さり気なく焦らせるという出水が弱い方法で。出水は俺を見上げ、そのまま頬に手を伸ばす。すでに赤味の引いた頬を撫でながら、そこにそっとキスをした。


「…殴って、ごめんなさい」
「いいよ、出水なら」
「嫌いって言って、ごめんなさい」
「それは結構堪えた」


俺が困ったように笑えば、出水は一瞬躊躇したように見せてから俺の唇に唇を重ねた。数秒の短いキスで、唇を離した出水は恥ずかしそうに視線をずらしながら「上書きです」と言う。もう、この子は。一週間以上ぶりの出水が可愛くて可愛くて、ぎゅうと抱き締める。


「ごめんな、他の人とキスして」
「……はい」
「もう間違えないし、寝惚けてキスしたりしないから」
「…寝惚けてキスしてもいいから、俺だけにしてください」
「うん、じゃあ任務の前日に飲みすぎるのやめる」
「はい…ん、名前さん、くすぐったいんですけど」


首筋に顔を埋めると、出水は俺の髪の毛が耳に当たってくすぐったいらしい。身をよじる姿が、不謹慎にもたまらなく可愛い。一週間以上触ってないからちょっと我慢して、そう言えば諦めたのか、出水も俺の肩に顎を置いて腕の力を強めた。


「…俺、すごく焦ったし、妬いた。名前さんが京介のとこ、いっちゃったらって」
「……」
「あいつ、イケメンだし」
「…なんでお前の中では、俺が烏丸のこと好きだってなってんの」
「だって」
「俺が好きなのも、可愛いと思ってるのも、出水だけだよ」
「……はい」
「俺だって、太刀川に心配されるくらい焦った。別れるのかって」
「…やっと俺のになったのに、別れるわけないじゃないですか」


それもそうか、俺が笑えば、それにつられて出水も笑う。そのまま触れるだけのキスを落として、額をくっ付ける。明日から今まで通り、任務がなくても本部に顔を出そうかな。そして、二日酔いのまま本部のベンチで居眠りをするのはやめようと思う。



150618
10000hit thanks ロキ様へ
焦りを通り越して悟ってしまいましたが、なんとか烏丸とちゅーさせることが出来ました!リクエストありがとうございます。