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静かな水面に落ちた水滴が、いくつもの波紋になって淘汰していくかのように。それはあまりにも自然に、俺の中に入ってきた。


「すいません、参考になりそうな射手の資料とかあったりしませんか」
「それなら名前くんだね」


名前くん。そう口にした資料室の係員から渡された一枚のDVDを、別の部屋のパソコンで再生する。10分程度の動画らしい。画面の中では、見覚えのある訓練室が映っている。室内には既にモールモッドとバムスターが10体以上はいると思う。その数秒後に画面端から現れた男が、トリオン兵を見ながら両腕を上げて背中を伸ばしている。この人が“名前くん”だろう。背後から撮影されているため顔は分からないが、恐らく高校生、くらいだと思う。名前くんさん、いや、名前さん。


「……すっげえ」


名前さんは両手で作ったトリオンキューブを分割してトリオン兵に向けて飛ばす。その一切無駄のない動作に一瞬で目を奪われた。次に、えーと、多分アステロイドとアステロイドを合成、して放つとバムスターが粉々になったのが見て取れた。その都度追加されていくトリオン兵に、同じようにメテオラとバイパーを合わせて丁寧な弾道を引く。合成から次の合成までのロスタイムはほぼ感じられず、流れるように弾を飛ばす彼は、静かでロジカルな戦い方をする割りに、弾幕を張ったり意外と火力主義らしい。そしてグラスホッパーで画面外まで上がりアステロイドの雨を降らせる。着地した名前さんはトリオン兵の残骸を確認し、訓練室から出て行く。と、思ったら、カメラに気付いたのか、手だけ画面に映してピースをする。そこで映像は終了した。

あ、やばい。ぞくぞくする程ひどく
興奮しているのが自分でもよく分かる。入隊したての俺でも見惚れてしまうくらいの手さばき。飄々と感覚だけでやっているように見えて、綿密に計算された弾道の設定。この目で見たい、戦ってみたい、俺もこうなりたい。思うより早く体が動いた。DVDをパソコンから取り出し、ケースにしまう。それをさっきの資料室の人に返却し、名前さんについて尋ねた。


「名前さんって、どこの隊なんですか?」
「いや、彼はS級だから隊には属してないんだよ」


名前さんは休日には大抵に本部にいるらしい。なら探せばいいや。なんて簡単に考えてたけど、そう言えば名前さんの顔を知らないんだった。一人じゃ探せねーじゃん。ため息を吐いて、通りかかった自販機でジュースを買って少し休憩しようと思い、制服のポケットから小銭を探す。


「あ、」


ちゃりん。ポケットから落ちていった百円玉が、床を転がっていく。十円ならまだしも、百円は重要な財産だ。拾わないと。それを目で追っていると、転がる百円玉の上から誰かの足が下りてきた。ローファーから脚を辿って、その百円玉を拾い上げた人物を見る。


「これ、君の?」
「あ」


百円玉を手のひらに乗せ、俺に差し出してくる彼。黒いカーディガンを羽織る彼は、スラックスの柄からして恐らく進学校だ。いや、それよりも。この雰囲気、立ち居振る舞い。


「名前さん?」
「そうだけど…百円…」
「あっ、すいません、俺のです」
「ん」


ほら、と俺の手のひらに百円玉を乗せる。名前さん。名前さんだ。心拍数が嘘みたいに上がる。そのまま俺の隣に立ち、自販機で紙パックのイチゴオレを買っている彼が、名前さん。イチゴオレ、好きなんだ。黙って見ている俺を見て不思議がったのか、首を傾げて「買わないの?」と問う。うそだろ。慌てて小銭を入れて、ボタンを押す。ガコンと音を立てて出てきたのはココアだった。違う。隣のオレンジジュースと間違えた。


「ココア美味しいよね、俺もすき」
「はい…あの、名前さん」
「ん?」
「資料室で名前さんの映像見ました」
「あー…トリオン兵のやつ?」
「はい、すごく、ほんとに!弾道の設定と合成、立ち回りも、ぜんぶぜんぶ計算されてて、丁寧で!グラスホッパーの後のアステロイド、流星群みたいでした!」
「あ、う、うん…面と向かって言われると、照れるんだけど」
「でも俺、すごく見惚れたというか」
「うん、嬉しい」


イチゴオレ片手に、恥ずかしそうに目を細める名前さん。うわ、やっぱりこの人、すごく綺麗な顔してる。 端整というか、美男子というか。


「俺に、教えてくれませんか」
「それはごめん」
「えっ!なんでっすか!」
「めんどくさい」


その六文字で一蹴された。まぁ頑張んな、とイチゴオレを飲み干しゴミ箱に放り込んだ名前さんは、俺に背中を向けて歩いて行ってしまう。くそ、俺はまだ諦めませんよ。


・・・


「もう諦めろよ!」
「いやです!名前さん!超かっこいい!」
「煽ててもダメだぞ!?」


本部で名前さんを見かけるたびに声を掛ける。毎回断られるんだけどな。ちょっと落ち着けよ、と俺にココアを差し出してくる名前さん。違います、隣のオレンジジュースがいいです。そんなことを言えるはずもなく、黙ってそれにストローを挿して口を付ける。


「…お前、名前は?」
「出水です。出水公平」
「イズミ、な。まだ中学生か」
「はい。名前さんの名字は?」
「知らねえのかよ」
「だって名字なんか関係ないでしょ!名字が違ったらポジションも違うんですか!?」
「それはそうだけど!名字だよ、名字、覚えとけ!」
「はい!」


そんなやり取りを本部に来るたびに繰り返す。周囲から「またやってんなぁ」という目を向けられているが、そんなことは気にしない。このやり取りを100回繰り返したら、諦めよう。しかし、それは意外にも早く終わりを迎えることになる。


「出水、今のポイントは」
「1500です、あはは」
「ひっく!お前なにやってたの!」
「名前さんの映像見て、勉強して、一人で練習してました」
「…お前さ、トリオン量すごいんだからもう少しそれを上手く使えよ」
「知っててくれたんすか!嬉しい!」
「あーもう違う!分かったよ!俺がお前に全部教えてやる!」
「え…」


今、教えてくれるって言いました!?目を見開いて名前さんに確認すれば、「あぁ、言った言った」と頭をかかれる。断られること通算42回目にしてやっと、名前さんが首を縦に振ってくれたことに嬉しくて思わず目の前から抱きつけば、引き離すわけでもなく、名前さんは黙って俺の後頭部をくしゃりと撫でた。


「…まず射手の基本を教えて、お前をB級に上げる」
「はい」
「そっから、色々と叩き込んでやる」
「はい!」
「じゃあ、明日から始めるぞ」


そこから訓練室だったり、名前さんとの防衛任務だったり、色々な方法で名前さんの技術を叩き込まれた。その間に、俺の名前さんへの尊敬とか憧憬の気持ちに恋心が加わったり、太刀川隊に入ることになった話は、またの機会にしようと思う。


「ってこともありましたよね、名前さん」
「あの小さかった出水が、こんなに大きくなって…」
「恋人でしょ」
「本当は42回目じゃなくて、43回目だったけどな」
「えっ」



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