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(攻めっぽいずみ)


「なんで泣いてんの」

昔、とは言っても僕が引っ越すまでの間だけど。その頃、遊び相手だった隣の家に住んでいる公平くんは目つきがお世辞にも良いとは言えない男の子だった。

「こ、ころんだ…」
「どんくさい」
「…ふえ、」
「なんでまた泣くんだよ」
「公平くんの目がこわい…おこってる…」
「…もとからこういう顔だけど」
「ご、ごめ…っ」

今と比べ物にならないくらい、どんくさく泣き虫だった。そんな僕を公平くんが見下ろす。公平くんはアスファルトで盛大に転んで擦りむいた僕の膝を見て「うげ」とこぼした。その言葉に忘れかけていた傷口の痛みを思い出して涙をはらはらと流す。ぎょっとしたらしい公平くんは、同じ目線の高さになるように地面に膝を付けて僕の両頬をぎゅっと挟むように手を添えた。そのまま、僕の右目の端に唇を押し付ける。

「泣くなよ、もう」
「な、なにいまの?」
「テレビで見た」
「へー」
「泣き止んだじゃん」
「あ、ほんとだぁ…すごいね、公平くん」

それから、僕が些細な事で泣き出すと、公平くんは僕の右目の端に唇を押し付けるっていうのが定番になっていた。なぜか分らないけど、そうすると僕は泣き止んだし公平くんは楽しそうに笑う。それも、公平くんとのご近所関係も小学3年生までで終わることになる。親の仕事の都合で三門市から離れた土地で暮らすことになるのであった。まぁ、高校入学に合わせて三門市に戻ってくることになったわけだけど。なんで今そんなことを思い出したのかというと、僕が置かれている今現在の状況のせいだ。

「あ、あの…」
「なに」
「退けてくれないかなぁって…」
「い、や、だ」

わざとらしく1文字1文字を区切りながら言われた。ここは高校の廊下。そこで僕は壁に背を付け、1人の男子生徒に両サイドには手、足の間には彼の右足、というなんとも滑稽(というか可哀想)な恰好をしている。なんで誰も助けてくれないんだ。見て見ぬフリをするな。そして写真を撮るのはやめてくださいまじで。せめて無音カメラとか、そういう僕のメンタルへの配慮をお願いしたい。

「おれに挨拶もないって冷たくない?」
「え、あの…こんにちは…?」
「ちげえだろ、本気で泣かすぞ」
「こ、こわ…」
「だから、なにが怖いんだって」
「目が怖い…」
「なぁ、まだ分かんねえの?」
「分かんないって、この状況の方が…」
「おれの顔、数年で忘れたのかって言ってんだよ」

お世辞にも良いとは言えない目つきの彼が、眉を寄せて僕を見てくる。睨んでるのかも分からない。多分、そういう目つきなんだろう。舌打ちすら聞こえそうな雰囲気だ。彼は僕の両頬をぎゅうとつねる。あ、これ。

「っあだだだひょっろまっへくらはい!」
「あ?」
「こおへーくん!こおへーくんら!」
「覚えてんじゃん」
「いはいよはなひへよぉ」
「なんて?」
「……っは、痛かった本気でつねられた」
「久しぶり」
「ほんとに公平くん…?」
「だからそうだって言ってんだろ」
「随分大きくなって…」
「あんたもだろ、そんなに伸びやがって」
「へへ、公平くんよりも伸びちゃった」
「………」
「いだいいだい!」

むっとした公平くんは、再びおれの両頬をぎゅうとつねる。さっきより強い痛みに、じわりと目に涙が溜まった。身長の話は禁句だったらしい。とは言っても、全然低いわけじゃないと思うんだけどな。175くらいあるんじゃないかなぁ。

「だって僕の方が先輩だもん…大丈夫、まだ伸びるよ」
「…そういうフォローはいらないし、別に気にしてるわけじゃない」
「なんで僕はつねられたのか…」
「おれより小さくて泣き虫でどんくさかったのが、数年見ないうちに大きくなって、しかもこっちに戻って来てるのにおれに何も言わないからアンタはもう3年だし、っていうかおれの顔見てすぐに思い出さねえから」
「あ、拗ねてんの?」

ぴくりと動いた彼の眉に「しまった」と本能で察した僕は、上げられた両手を見て目をぎゅうと閉じた。さながら、腹を切る前の武士のような気持ちであった。でも、予想していた痛みはなく、むしろ頬全体に温かい体温、そして右目の端に柔らかい感触を感じた。

「へ?」
「泣き虫なところは変わってねえな」
「あ、あぁ、公平くん、いま」
「いつもしてたじゃん」
「それは!こ、子供だから、じゃ」
「おれはあんたが好きだからしてたけど」
「ああ、もう、な、うわ…」
「顔赤いよ」
「むり、見ないで…」

顔を両手で覆っているせいで公平くんの表情は見えないが、きっと上機嫌にけらけらと笑っているんだと思う。今そんな顔を見たら、絶対絆される。あぶない、あぶないぞ。そう己に言い聞かせてる時に、「ピロン」という場違いで愉快な電子音が聞こえて音のした方を見れば、よく知った同級生がにやにやと表情筋を緩めながら僕たちにスマホを向けているではないか。

「勇!さっきから!お前!」
「当真さん、それ後でおれにも送って」
「は!?なに、知り合い!?」
「ボーダーの。あの人からあんたのこと聞いたんだけど、随分仲良しなんだな?」
「え、あの」
「おれも呼び捨てにしてよ、先輩」

にこりとわざとらしく目を細めた公平くんは17歳というか、年下とは思えないいやらしさを垣間見せた。自分のことながら客観的に「あ、落ちたな」って思った。